スバル

スバル車関係のネタ.たまに○秘ネタもあるとかないとか.

79Vは意外にも一部の業界人にはウケた

初代フォレスター(開発符号79V)の操安乗り心地はこの記事で書いたように、ボクがこっそりと
アンチ・レガシィ(GT-B)&アンチ・インプレッサ(WRX)の意識で携わったクルマです。
もちろんそれは単にボクの好き嫌いで決めたわけではなく
ボクなりのスバルの方向性としてこうあるべきという信念を持ってのことですが。

けれど、当時の富士重工社内ではレガシィGT-BやインプレッサWRXのようなクルマが
操安性の良い“走り”のクルマとされていて、
それは偏平ハイグリップタイヤを履かせてビルシュタインなど減衰力を高めたサスにして
ほとんどロールせずに強引に曲がるのが良い“走り”のクルマ、
そのためには少々乗り心地が悪くたって神経質だってそんなのは我慢できるっていう風潮でした。
我慢というよりそういうのがフラットでシャープな走りって勝手な解釈が蔓延っていました。

ですから、79Vの“走り”の社内評価はあまり芳しいものではありませんでした。
それでも、79Vはまぁあまり関心が向けられなかった車種ですからそんなに風当たりも強くなく
ボクものらりくらりととぼけながら“アンチ”を貫くことができたわけです。
なので社内的にはあまり良い評判でなかったのも覚悟の上でしたし、
社内評価を良くして鼻高したいとも出世したいとも思いませんでしたしね(笑)

ところが、そんな社内評価とは裏腹に一部の社外の業界人には意外にも賞賛されたことを
今回の記事にしたいと思います。プチ自慢話のようになってしまうので恐縮なんですけどね。

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79V発売後ですがターボ仕様車で欧州走行試験

前回記事で新車開発時の海外走行試験での意義などについて書いてしまいましたので
今回は79V(初代スバル・フォレスター)の発売後のことなので時系列的にズレてますけど
71Gでの欧州走行試験の思い出を書いておきましょう。

なお、その頃のスバルの開発符号のつけ方は数字二桁+アルファベット1文字なんですが
いちおう意味はなくランダムにつけることになってましたが
年次改良については最初の数字固定で次の数字をひとつづつ繰り上げていき
アルファベットは逆にひとつづつ繰下げていくのいう暗黙のルールがありました。
数字の0は使わないので79Vの一年目年次改良は71〇ですが
何故かアルファベットはいきなりGで71Gになってしまってるんですよね。

で、79Vは日本国内ではターボ仕様だけといういびつなグレード展開でしたが
逆に欧州ではターボ仕様なしで2.0LのNAだけというしょぼいグレード展開でのスタートで
1年目の年次改良からターボ仕様を追加販売するということになっていたのです。

別に技術的に問題があってターボ仕様が遅れたわけではなくて
欧州でのスバルは安くないと売れないから先ずはターボ仕様は要らないと
販売ディーラーに言われたからというのがその理由です。
欧州の販売ディーラーはスバル直営ではなく他のメーカーのクルマと併売なので
価格の高いスバル車は他のメーカーの価格帯と重なるので売り辛いと言われるのです。
まぁそんな状態ですから欧州でスバルが商売になるはずないんですけどね(悔)

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30数年前の入社試験もほぼ記憶がゼロですorz

大学入試共通1次高校入試の思い出などを書いてきたのでその流れというのもおかしいですが
新卒での入社試験についてもちょっと書いておこうと思います。

ボクは単位が足りずに大学4年で卒業できずに1年留年して5年かかって卒業しましたが
いちおう大学の推薦ももらって富士重工業株式会社(現SUBARU)の入社試験を受けて
新卒として採用してもらってから一度も転職せずに退職しましたから
入社試験というものは人生でただ一度、この時だけの経験になりますね。
今後も入社試験を受けることはないつもりですし(笑)

入社年度は1986年ですから、就職活動&入社試験は1985年のことになります。
このころはまだまだバブル景気に突入していませんが新卒求人倍率はゆうに1.0倍以上あり
就職氷河期のように就職浪人ということもほとんど聞かないような状況でしたし、
そのころは非正規労働者というのもほとんどなかったです。
専門職のフリーランスというのはある意味憧れるけど誰も周りにいないって感じでしたしね。

ただ、1985年9月のプラザ合意で急激な円高が進んで当時から輸出に頼っていた富士重工は
世の中のバブル景気とはまったく裏腹に急速に業績悪化となってしまいますから、
ボクたち以降の1987年度以降は新卒採用を大幅に減らしてしまったので
富士重工に関して言えばそれ以降は就職氷河期に突入してしまっています。
逆に言えばボクはその富士重工の就職氷河期直前に滑り込みで入社できたわけです。

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前橋のアミーゴのちょっと変わったペペロンチーノ

前橋のけやきウォークというショッピングモールに用事があったので
そのすぐ近くにある「アミーゴ」というレストランで麺紀行してきました。
アミーゴはスペイン語で「友達」という意味だそうですが、
やはりボクはどうしても「アミーゴ・ドミンゴ!」が頭の中を巡ります(笑)

エッ知らないって? そんな方はこちらの動画をご覧ください。

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新車開発における海外走行試験の意義とは?

前々回前回と79V(初代スバル・フォレスター)の操安乗り心地開発において
アメリカとヨーロッパの海外走行試験について思い出しながら書きました。
それらは一見すると海外旅行みたいな感じで仕事というより遊びじゃないの?
と思われかねないような内容であったでしょうが、
前回記事の最後に書いたように今回は何の目的で海外走行試験を行うのか
そのためにはどのようなスタイルの海外走行試験をするのかということについて
ボクなりの考え方を書いていきます。

もちろん、海外走行試験の目的はテストコースの中だけでは分からないこと
日本の交通環境・道路環境だけでは分からないことを現地で確かめてくることですから
まぁここまでは何も小難しい話でなく誰にも異論はないでしょうけどね。
ただ、細かいところでは部署によっても考え方が違うしその時々の課題にもよりますが
それでも同じ部署でも人それぞれによって考え方に差があるなと感じたものです。

端的に言ってしまうと、長距離トリップに対して積極的か消極的かの差です。

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新書「自動車の世紀」を読了

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岩波新書の「自動車の世紀」折口透著を読みました。
1997年発行の本で中古で買ってきたものです。
ですから“世紀”というのも20世紀を指していていささか古い内容の本とも言えます。
でも、逆に自動車が輝きを持っていた時代の本とも言えますし
旧車も好きなボクですから一度振り返ってみるのも良いでしょうね。

著者は自動車雑誌の「モーター・マガジン」編集長を務めていたこともある
自動車ジャーナリストだそうですが、失礼ながらボクは存じ上げていませんでした。
本名は伊藤哲というそうで、哲から折口というペンネームなんでしょうね。

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「スバル ヒコーキ野郎が作ったクルマ」を読了

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プレジデント社の「スバル ヒコーキ野郎が作ったクルマ」野地秩嘉(のじつねよし)著を読みました。
知人の方のブログでこの本の存在を知ったものですが、
ハードカバーで本体定価1,700円もする本で
2019年12月25日発行ですが通販で予約していてそれよりも前に届きましたので
一気に読んでしまいました。

著者は様々な分野を題材にするノンフィクション作家ということですが、
「長いあとがき」によると若くして亡くなった父親とその後OLになった母親ともに
富士重工(現・SUBARU)で働いていたとのことですから
それなりの思い入れもあってこの本を著したものと思われます。

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79V 1試車での欧州走行試験について

前回は79V(初代スバル・フォレスター)の操安乗り心地開発における
先試車でのアメリカ走行試験について書きましたので
今回はその次の1試車(1次試作車)での欧州走行試験について書くことにします。

1試車はもうフォレスターのカッコウをしている試作車になります。
まだ世に出ていないクルマですからスクープ写真を撮られると今なら大問題になるところですが、
当時はそれほど神経質になっていなかったしスマホや携帯のカメラも普及してない時代ですし
79Vそのものが大して目立つカッコウのクルマでもなかったことなどから
大胆にもほとんどスッピンのままで昼間でも欧州各地を走行していました。

ただ、当時も新型車がスクープされるとそれを理由に営業部門が現行車が売れなくなり
在庫処理ができなくなるとかなにかと難癖つけて開発部門に責任を押し付けてくるので
日本国内での一般公道での走行試験はほとんど出来ない状況になっていて
夜間にこっそりと前後をガードして走るしかないくらいでしたから、
むしろ海外走行試験の方が充実していたと言えるかも知れないですね。

今では海外走行試験でもすぐにスクープ画像が撮られて瞬時にネットで拡散してしまうので
ますますもって公道での走行試験はやりにくくなってしまってますね。
本当はこういう実路で徹底的に走り込むというのが乗り味・走り味の熟成には必要不可欠なんですが……
まぁ今のクルマはそういう乗り味・走り味に拘るというモノでもなくなってきちゃいましたけどね(哀)

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79V先試車でのアメリカ走行試験について

これまで79V(初代スバル・フォレスター)の操安乗り心地開発についてあれこれ書いてきましたが、
今回は海外走行試験について書いておきましょう。
79Vは海外にも輸出して販売するいちおうグローバル車種でしたから
当然ながら現地での走行試験もしておく必要がありました。

試験車を輸送したり比較のためのレンタカーを用意したりと手間もお金もかかりますし
現地駐在員が同行する日程などの制約もありますから
いろいろな実験部署の人が何人か寄せ集めでチームを組んで海外走行試験をすることがよくあります。

ボクは79Vではインプレッサを改造しただけの台車・先試車と呼ばれる試験車の時にアメリカに
そして1試車と呼ばれるフォレスターの形をした試験車の時にヨーロッパに走行試験に行きました。
2代目ドミンゴの69D開発で欧州走行試験を経験済みとはいえ
本格的な海外走行試験としてはほぼ初めてのことになりますから
ある程度は試行錯誤的な形になってしまっているのはいたし方ない事かなと思ってますが、どうでしょう。
確かその後1試車か次の3試車(2試車はなかった)の頃にもう一度アメリカ・カナダの
海外走行試験をしましたが、その時はボクは行かずに一緒にやっていた後輩に行ってもらいましたね。

今日はその2つの海外走行試験のうち最初のアメリカでの走行試験について
その模様や裏話などを書いてみようと思います。
まっこの時にもそのアメリカ走行試験での動画を載せてますけどね。

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79Vはお金を掛けずに設計の手間を掛けさせてしまった

前回までの記事で79V(初代スバル・フォレスター)の操安乗り心地開発において
具体的にいろいろやったことについて書いてきました。
そこでも折に触れてあまりコストを掛けず型費も抑えて種類増も極力抑えたと書いてきましたが
一方でリアサスクロメン嵩上げ廃止やリア早当たりロングウレタンヘルパーなど
突拍子もない提案をしたので設計担当者にはそれなりに手間を掛けさせてしまいました。

もっともタイヤ開発やサスペンションの仕様決めなどそれほどやり直しや揺り戻しなどなかったので
開発全体としてみるとそれほど設計担当者に無理な負担を強いたとはボク自身思ってませんけど。
ただ、相手がどう思っているかは知る由もないですよね。

この辺についてもうちょっとだけ詳しく書いておきましょう。
といっても、今回の記事は手短にするつもりですが……

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