スバル

スバル車関係のネタ.たまに○秘ネタもあるとかないとか.

インプレッサ・ハイブリッドより超手抜き開発車があった

ここでのスバル・カテゴリーの記事は昔を懐かしむシリーズに特化してるわけではないですが
AWD-CoEの記事から急に比較的最近の先代インプレッサ・ハイブリッドの話に飛んじゃったので
後者からの流れでほぼ同時期の超々短期開発のエクシーガ・クロスオーバー7の話もしておきましょう。

エクシーガ・クロスオーバー7は7人乗りのエクシーガをなんちゃってSUV風にしたてた車で
2015年4月に発売となってますので、先代インプレッサ・ハイブリッドの少し前の発売です。
ですからメディア向けの試乗会などは両車抱き合わせでこじんまりとやった記憶があります。

クロスオーバー7の提案が出たのは前々年秋の東京モーターショーの前くらいですが
その時はデザインスタディレベルで本格的にGOはかかってませんで、
その後ずいぶん経ってから開発がスタートしています。
それでも、外装大物パーツを新規でおこしていますから企画~開発完了までの期間はそれなりでしたが
にも関わらず実験部門が開発へ関与していた期間(工数)は非常に少なくほとんどゼロでした。
実際に実験部門で管理する試験車もなく、ただ外装検討用で企画部門の車両があるだけでしたし
実験部門の工数はゼロということで予算が組まれていたというホントに異常な車でした。

もちろん、この車も新たに排ガス・燃費等の認証を受けていません。
あくまでもベースのエクシーガの小改造という範囲となっていますから。

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インプレッサにハイブリッド復活で思い出した5年前の事

スバルのインプレッサ・スポーツに4年ぶりにハイブリッド仕様が復活とのことです。
今年の9月17日から先行予約開始で10月8日から発売とのことで
買う気はさらさらないけどちょいと興味があって最寄りのスバルディーラーまで行ってみました。

B201013_8
ところが、実車は置いてありませんでしたのでセールス氏と雑談してカタログだけもらって来ました。
そのセールス氏によると来週あたりには試乗車が配車されるのではと言ってましたけど
試乗車用意するんだとちょっと意外に思いましたね。
というのも、現行インプレッサは2016年10月発売ですからもう4年経ってます。
スバルのフルモデル・チェンジのサイクルは通常5年ほどですからもうモデル末期近いので
普通ならそんなに気合い入れないでしょうからね。

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AWD-CoEのスバルにGMは何を期待したのか?

前回記事でGMグループ内でスバルはAWD技術に特化するAWD-CoEという立場になり
そのとばっちりでボクは操安乗り心地の実験から何の説明もないままに
新設のAWD-CoE部署(AWD先行研究グループ)に突如異動となったと書きました。

そしてそのAWD-CoEは5名の寄せ集めメンバーでのスタートとなりましたが
その5名ともども顔を合わせて、「さて、これから何するんでしょうか?」という状態でした。
そう、誰もAWD-CoEが何をする部署で、何の目的で作られたのかも知らされてないのです。
というか、GMからAWD-CoEと言われて何をすれば良いのかトップでさえも分かってないのです。

何も分かってないからとりあえず窓口的なものを適当に作っておいて
あとはそこのメンバーに適当に全部押し付けちゃえばいいかという感じなんでしょうね。
と我々5名のメンバーで共通の認識をしたわけですよ(笑)

そこで、まず、GMはAWD-CoEのスバルに何を求めているのかから考えようということになります。
もっとも、GMの期待に無償で答えられたとしてもスバルにとっては直接の儲けにはなりませんが
それでもGMグループ内での存在感は高まりますからGMはスバルの株を放出しにくくなりますし
GMグループのどこかのメーカーがAWD化するときに技術供与やコンサルティングなどで
スバルが請け負ってなんらかの収益を得ることも出来なくはないですからね。

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D1に1年足らずで、新設のAWD-CoEへ異動

前々回の記事に少し書きましたが、D2(第2操安乗)担当からD1(第1操安乗)担当に異動して
レガシィをやりはじめて1年も経たないうちにまたまた突如として異動させられることになりました。
ボクはレガシィやWRXのように社内的に目立つ車種をやりたかったわけではないですが
それでも操安乗り心地の業務は好きでしたし
ボクはひとつのことに集中してじっくりと腰を据えて取り組みたい性分ですから
当面は異動したくないと人事調査表にも明記していたのに、この異動ですからまさに青天の霹靂です。

大抵、人事異動は年度切替わり時や少なくとも月替わりのタイミングになるのですが、
確か2000年2月の中旬当りに突如異動の話があって有無を言わさず異動させられました。
北海道への走行試験も計画・準備してたのがキャンセルになったりもうバタバタでした。

それに、4月からSKC(栃木県佐野市にあるスバル研究実験センター)に操安乗り心地部隊そのものが
勤務地変更になる予定だったのですが、それも関係なくなってしまいました。
別にSKCに行きたかったわけではなくむしろ通勤時間(クルマ)が長くなるので嫌だったのですが
その長距離通勤(往復70km)に備えてイエローの中古のスバル・ヴィヴィオを買っていたのに
出番がなくなってしまったのはなんだかなぁという気持ちでした。

 

さて、どうしてそんな突然に異動になったかというと、きっかけは日産にカルロス・ゴーン社長が就任し
1999年末に日産保有のスバル(富士重工)の株を放出してGMに全部売却したからです。

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操安乗り心地の官能評価者に必要な能力は?

前回記事で「官能評価者の資格認定基準」というBR(ビジネスルール)を作成したと書きましたが
だからといって資格試験があるわけでも、それに向けた訓練プログラムがあるわけでもありません。
ただ、その人の人事上の資格、操安乗り心地業務の経験年数、テストコースライセンスなどと
最後は上司の判断で決まるというなんともアバウトなものです。

当時のスバルにはそんなアバウトなものさえもなくその発想すらなかったわけですし、
アバウトであってもいちおうの目安にはなりますし
官能評価結果を軽視させないためにはこれでも十分であると考えてのことですし
それ以上厳密にするのも難しいと考えてのことですが。

そもそも人事上の資格だって資格試験は僅かだけだし特別な訓練プログラムが用意されてるわけでなく、
テストコースライセンスもいちおう資格試験はするにも審査官の印象次第のところがありますからね。
ドライバーの運転技能の訓練プログラムは今は一部は出来ているようですが
当時はそんなものもありませんでしたし。

上司や先輩などに同乗しながらのOJTや他の人の官能評価とすり合わせながらの経験なども重要ですが
当時のヘンテコ部署などを筆頭に実験屋は「仕事は見て覚えろ」的な悪しき職人気質もあって
官能評価のやり方も車両の運転操作なども手取り足取り教えてもらうようなことはなかったですね。
ですから、なんだかんだ言っても官能評価に必要な能力は個人個人の自己啓発に依っていたわけです。

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D1での成果は「官能評価者の資格認定基準」だけかも

この記事で、1999年春に突如第2操安乗担当(D2)から
第1操安乗担当(D1)に異動したことを書きましたが、
実は翌2000年初頭にはまた突如そのD1担当もおさらばとなって
全く違うというか新設の不思議な部署へと異動となってしまったのです。
それについてはまた後ほど記事にしたいと思います。

要するにD1担当でレガシィ系の操安乗り心地開発に従事したのは丸1年にも満たず
ほとんど消化不良のまま、また次の部署に異動となったというわけです。
その1年弱で何をやったのかなぁと思い返してみると、
確かに現行(3代目)レガシィの不具合対策や年改・水平対向6気筒車の開発や、
それで先日の記事のように北米走行試験へ行ってきたり、
次期(4代目)レガシィの重心、ヨー慣性モーメントなどの諸元目標設定などやりましたが
やはりどれも何かこうやり切った感もないし思い入れもあまりありませんでした。

そんな中で今思い返して自分として一番のというか唯一の成果だったかも知れないなと思うのは
「官能評価者の資格認定基準」というBR(ビジネス・ルール)を新規で作成・発行したことです。
BRは仕事の手順の規定ことですけど、ビジネス・マナーとは全く違いますのであしからず。
そして、「官能評価者の資格認定基準」とは官能評価(フィーリング評価)をする人の資格を定めて
その資格であればどこまでの官能評価をすることが出来るのかを整理して
さらにその資格を有するかどうかはどのような基準で認められるかを明確にした規定です。

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レガシィ系操安乗り心地担当時代の北米走行試験

3代目レガシィに新開発水平対向6気筒エンジンを搭載したのは2000年発売のC型からです。
日本国内ではランカスター6の名称でしたが主要市場のアメリカではアウトバックの名称です。
今では6気筒エンジンは世界的にかなり数少なくなってきましたが
この時の6気筒エンジン搭載はその後のスバルのプレミアム路線(に行きたい)の布石というよりは
当時のアメリカ市場では排気量の大小やターボの有無よりも気筒数で車のランクが決まるという
(トラックでも8気筒が最もすごい)そのように単純に考えるユーザーが多かったので、
スバルにも4気筒より上の6気筒の車が欲しかったということだったと記憶しています。

この後に、プレミアム路線を目指すとしていた頃はBMWやアウディみたいにより高い価格の車を
金持ち相手に売って1台あたりの利益率をよくしたいという魂胆でしたけど、
この6気筒を出した時はアメリカ製大衆車でもトヨタカムリでも6気筒エンジンはあったので
それらと同じ土俵に上がりたいというだけでプレミアム路線という概念はまだなかったわけです。

そうはいっても、今までの4気筒に対して6気筒となればより高価格で上級と位置づけされるので
装備・性能などもそれに見合うものになっていなければなりません。
そこでそのようなものになっているかどうかを北米で実際に走行して確認しませんか?
という話が北米の現地研究実験部署(SRD=SUBARU Research & Development)から出て
その時にたまたまそのレガシィの操安乗り心地担当になっていたボクが
それならばいちおう行って確認してきますか、という感じで出張することになりました。

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レガシィ・マルチリンクサスに関するマガジンXの記事

前回、D2担当からD1担当に突如異動して3代目レガシィ(66L)の
リア・マルチリンク・サスの前に愕然としたことを記事にしました。
本日は、自動車メーカーの広告掲載を排除してヨイショ記事を書かないと言われるマガジンXで
このマルチリンク・サスがどう評価されていたのか、当時の記事を振り返ってみましょう。

1998年10月号No.134の商品評価会議 ざ・総括で「継続への挑戦」と題された
3代目スバル・レガシィ・ツーリングワゴンの評価になります。

なお引用中の出席メンバーは以下のようになってます・
プ:プランナー、マ:マーケッター、E1、E2:エンジニア、T1、T2:テストドライバー
OL:某自動車メーカーの元OL
他に突然“誰”という謎の表記が出てきますが、おそらくなんらかの手違いか誤記でしょうね。

それではかなりの長文引用となって恐縮ですが、暇な人は読んでください(笑)

                                   (以下引用)

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突如レガシィ系担当に異動しマルチリンクサスに愕然

これまで書いてきたように72F(初代フォレスターのビッグ年改)の操安乗り心地開発と併行して
サンバー系と44S(2代目インプレッサ)の操安乗り心地開発をしていたわけですが、
道半ばで突如としてレガシィ系の操安乗り心地開発へと異動となってしまいました。
まぁ人事異動ってのはたいていが突然なのですし、課内異動は正式には人事異動扱いになりませんが。
確か、1999年の春のことでした。

その頃は操安乗り心地の開発・実験部署はレガシィ、アルシオーネを扱う第1操安担当(D1)と
それ以外のインプレッサ、フォレスター、軽自動車等を扱う第2操安担当(D2)とに分かれてました。
ここで、“担当”というのは一般的な組織では係に相当します。もしくは係長に相当する役職も意味します。
またD1,D2の“D”はDrivingの略として使っていたものです。操安乗り心地=Drivingは変ですが。

このD1、D2の区分けは大昔の小型=レオーネ、軽=レックス&サンバーという時代からのもので
軽自動車から派生のジャスティが中間車種といわれ、それとドミンゴもD2で扱うことになり
インプレッサも結局は中間車種といわれてD2でその派生のフォレスターもD2という区分になり、
結果的にレガシィだけ家父長みたいに扱う社内風潮も含めてD1は扱う車種が絞られていたわけです。

ですから、その時にボクはD2の担当員(グループリーダー)だった身から
D1の担当(係長相当)へ異動・昇級したということになります。
昇級しても給料はまったく変わりませんけどねorz
ちなみに、排ガス・エバポから操安乗り心地に異動したこの時はD1で
その後すぐのこの時にD1からD2へ異動したのでその意味では出戻りとも言えますかね。

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79V開発の頃に昇格試験のお受験をした

前回の記事までで44S(2代目インプレッサ)の操安乗り心地開発途中までのことを書きました。
その時点ではサンバー・ドミンゴ系および33E(富士重工製最終サンバー)開発は後任に委ねたけど
まだ併行して72F(初代フォレスターのビックマイチェン)もやっていたわけですが
それも含めて途中で異動することになってしまったので、どれも中途半端で離れることになりました。

その異動のことを書く前に、少しその布石というかステップにもなった
昇格試験についての記事を書いておこうと思います。

 

ボクがサラリーマン時代に勤めていた富士重工(現SUBARU)には2段階の昇格試験がありました。
もちろん、資格等級が3段階しかないという意味ではなく試験をする節目が2つあるという意味です。
その節目となるのは、1つ目が一般的な企業でいうと係長クラスに昇進できる資格(主事)への時で
2つ目がこれまた一般的な企業でいうと課長クラスに昇進できる資格=職制への時です。
ですから前者を主事試験、後者を職制試験などとも呼んでいました。
資格と職位(係長、課長など)は別物ですが、資格が達していなければ職位には就けません。

その2つの節目以外の昇格は上司の人事考課などから最終的に人事部で判断されて決定されます。
まぁ入社後数年は勤続年数が目安になって、つまりは同期はほとんど横並びで昇格していきます。
ですからある程度は年功序列的というか勤続年数序列で資格等級が決まるところがあります。
もちろん、高卒・大卒とか中途採用とかでスタートラインが違うところはありますが、
個人的には高卒や中途が不利になるというほどではなかったのかなと感じていました。

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