海外旅行・出張

2003年10月、AWDシンポジウム@U.S.A.出張

前回のこのスバルカテゴリー(及び海外出張カテゴリー)の記事では
キネティックサスの適合のためオーストラリアのパースへの出張のことを思い出して書きました。

それが2003年8月のことでしたが、今回はそれから2ヶ月あまり後の10月のことになりますが、
GM(ゼネラルモーターズ)で「AWDシンポジウム」というのがアメリカ・デトロイトで開催され
そこに出張してこいと会社より命令されたので、渋々行ってきたことを書いておきましょう。

で、“渋々”と書いたのは、本来的にボクはあちこち出かけて行って仕事している気になるのが嫌で
どちらかというとどっしりと内にこもって仕事をする方が性に合っていると思ってたのもありますが、

このAWDシンポジウムでボク自身がなにか発表するとかでもないので主役でもないどころか
この頃にはGMグループ内でのスバルの位置づけも依然としてAWD-CoEではあったものの
かなりGMとは距離を置きつつというかGMから見限られてきた感じもあって、

スバルの車両実験部から大きな顔で、否ボク自身は小顔イケメンじゃないけど決して厚顔ではないが、
スバルのAWD実験代表でもなくいち操縦安定性乗り心地の主に先行開発している実験エンジニアが
そのAWDシンポジウムに出席して何があるのかという考えでもあったので、

社内的にもそのAWD関係者から出張の打診があった時も消極的な回答しかしてなかったんですよね。
ところが、正式に上司(部長→課長経由)に名指しで命令されたので、行くしかなかったわけです。

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オーストラリア・パースへの出張(キネティックサスの適合)

このスバル・カテゴリーの記事としては、前回までにキネティックサスを搭載した試作車を作り、
それをキネティック社のあるオーストラリアのパースで1次適合(セッティング)をした後に
日本に送って、(ボクが不在時に)関係者の試乗会をして、
結果的にキネティックサスの先行開発の中止が決まったことを書いてきました。

今回はその時のオーストラリアの出張について他愛もない話をちょっと書いてみようと思います。

海外出張・カテゴリーの記事となると前回記事は2004年8月のプロドライブ社への出張でしたが、
今回のオーストラリア出張はそれよりも1年前の2003年7月~8月のことになります。

また、パース(Perth)は西オーストラリア州の州都、つまりオーストラリア大陸でも西の方にあり、
日本から直行便はないので、東側のシドニーから国内便で約3300kmも移動することになります。
それもあって大変な目に合うことになったのですが、まぁその話はまた後で。。。

 

で、スバルからというか日本からは実験部門のボクの他、設計部門から2名の計3名が出張しました。
設計部門の2名のうち1名はボクと同期入社のSo氏で
現場応援(会社が赤字の時に工場ラインで働かされた)の時も一緒だったよく知っている人ですが、
その時はボクが担当(係長相当)だったのに対して主査(課長相当)と役職はボクより上でした。
もうひとりの設計者は中途入社から間もないくらいのかなり若いSa氏という布陣となってました。

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プロドライブのATDというAWDシステムを評価した

このスバルカテゴリーでは、最近は、21世紀初頭のスバルのAWD関連開発について書いていますが、
新ACT-4制御、そしてボツになった新型VTDと書いてきましたので、
今回はハイパースポーツ用というかまぁインプレッサWRX狙いのAWDの先行開発のひとつとして
プロドライブ社から提案されたATDというAWDシステムについての話を書きましょう。

なお、プロドライブ社とはまぁ業界人やスバル好きの人なら誰でも知っているであろう
スバルが本格的にWRC(世界ラリー選手権)に参戦していた頃のパートナーであった
というよりラリー参戦の主導権を握っていて
プロドライブがなかったらスバルのWRC本格参戦・チャンピオン獲得は絶対になかったであろうという
イギリス本拠地のモータースポーツ・コンストラクターおよび参戦チームですね。

ただ、モータースポーツだけでなく、アフターパーツなどの開発・販売もしていますし、
それだけでなく自動車メーカーに売り込むような技術開発などもしている企業です。
今回、記事にするATDだけでなくAMT(自動変速MT)などもスバルに提案してきていました。

内部の組織的にもモータースポーツ部門とそれらの技術開発部門とは
かなり線引きされて別々の組織として存在しているという印象でした。
もちろん、それらの中からモータースポーツに応用できたり
逆にモータースポーツの技術からのフィードバックなどもあったのでしょうけど。

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北海道出張から帰ったら、スウェーデンへ。2001年冬のこと。

このスバルカテゴリーの前回までの記事で、2000年11月にベルギー&スウェーデン出張し、
翌2001年1月下旬にはGM-AWD大会に参加のためアメリカ出張し、
その1週間後の2月初旬には国内ですけど北海道美深テストコースでのオペル合同試験に参加し、
さらに、2週間ほど美深テストコースで各種評価試験をし、帰還して1週間も経たないうちに、
今度はまたスウェーデン出張するという、その頃はほんとうに慌ただしい状態となっていました。

貿易会社や商社の人なら年中、世界各国を飛び回っているって人でも珍しくはないでしょうけど、
いくらグローバルに展開している自動車メーカーだとは言え、
担当(係長クラス)の一介の開発エンジニア(この時はAWDという要素開発エンジニア)であるボクが
なんでこんなにあちこち行かされなくちゃいかんのか、と少々やけになってしまうほどでしたよ。

あっ、そうそう、これらの出張はすべてボク自らが望んで手を挙げて行ったのではなく
あくまでも上司からあるいは他部署の人からの依頼で上司を通じて出張を命じられたものです。
というか、これらに限らず、ボクは現役会社員時代に自ら望んで海外出張したことは皆無です。
部下や後輩に出張イッテとお願いしたことは何度かありましたけどね。

 

もちろん、そもそも出張というものが自分が行きたいとか行きたくないで決まるものではなく
会社や上司から命じられて行くものだ、というのが大前提なわけですが、表向きはそうであっても、
中には個人の意向で出張するしないが決まるという部分もなきにしもあらずというところもありましたが。

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GM-AWD大会の前には、ベルギー&スウェーデン出張

前回記事では、2001年1月にGMがアメリカ・ミシガン州で開催した
「AWD車雪氷上乗り比べ大会」みたいなイベントに
スバルの一員として出張・参加したことを書きました。

その出張とは時間が前後しますが、その前年の2000年11月には
ゼクセル・トルセン@ベルギーとハルデックス@スウェーデンをハシゴするという出張がありました。
その出張でのトピックスはあまりないのですが、本日はさらっとそのことを書いてみましょう。

 

トルセンは言わずもがなトルク感応式のLSD(機能のあるデファレンシャル)を作っている会社ですが
元は米国のGleason Works社が事業化したのを、日本のヂーゼル機器(後のゼクセル)が買収して、
それが2000年にボッシュ傘下に入っています。
なお、ヂーゼル機器はもともとボッシュのライセンスを受けて燃料噴射を製造した会社ですね。
さらに、なお、トルセンはその後2003年に豊田工機(後のジェイテクト)が買収しています。

この記事にも書いたように、2代目ザフィーラのAWD開発の話があって
そのAWDシステムのひとつとして挙がったのがそのトルセン・センターデフを使ったものでした。
そのために、スバルとしてトルセン・センターデフのAWDを知っておくためにも
ベルギーにあるゼクセル・トルセンに出向いてプレゼンを聴いて
さらに工場見学をして、実車評価をしようということです。

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GM主催のAWD車雪氷上乗り比べ大会@ミシガン

この時の記事この記事でも少しだけ触れたのですが、2001年1月にGMがミシガン州で開催した
「AWD車雪氷上乗り比べ大会」みたいなイベントにスバル代表の一人として出張・参加しました。
スバルからは日本から4名、アメリカ駐在所から2名(うち1名はアメリカ人)で
GMの人は24人いたようでよく覚えていませんが、中にサーブから出向している人もいました。

まずはデトロイトにあるGMまで出向いて
とある建物のとある会議室でGMとスバルの人たちが初顔合わせをして
概要が説明されて、もちろん全部ネイティブ英語で、
なので英語が苦手なボクはチンプンカンプンな状態のままですが
いきなり「ハイ、スタート」って感じです。

どうやらGMのエンジニアと企画部門の人など2~3人に対して
スバルのエンジニアがそこに1人づつ加わって1チームとなって
駐車場のどこかに停めてある指定された各車を見つけて、まずは勝手にスタートするようです。
スタートしてから各車の無線で緩く連絡取りながら、途中で落ち合うってやり方です。

スバルの場合だと、全車両をあらかじめ順番に並べておいて、順番に乗車して、
そのままの隊列でスタートという感じなのですが、
GM流はかなり緩いというかいい加減というか、各々が適当にやるというやり方みたいです。
それはそれでいいんですけど、まったく土地勘もないところでほぼ言葉が通じない状態では大変でした。
まぁ、言葉が通じないのはボクの英語能力に責任があるんですけど……

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44S開発でも北米走行試験に参加した

いちおう前回からの続きということになりますが本日の記事は内容がほとんどありません。
まぁいつも大した内容はなくて単なるジジイの昔話なんですが
本日はほんとうに単なる備忘録程度のことなのであしからず。

44S(2代目スバル・インプレッサ)の操安乗り心地の開発に携わったのですが
正式な試験車ではない旧型を改造しただけの試験車までしか関与しなかったので
走りの味付け、いわゆるチューニング部分など含めて細かな部分はまだまだの段階まででした。
タイヤ開発で揉めていてそちらに精力を削がれていた面もありますが(汗)

そんな段階ですから海外走行試験をして些細な部分まで確認するのはまだ早かったのですが
商品力検討という意味合いでプロジェクトチーム・メンバーが北米走行試験をするということで
何故だか一介の操安乗り心地の実験担当者であるボクにも召集がかかったので
その北米走行試験に参加したというわけです。

本来はそういう企画部分のコンセプトワーク的なものは目標性能立案前の
もっと早い段階でやるべきなんですけどねぇ。

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パスポートが期限切れだが、そのまま放置

今年7月20日をもってパスポートの期限が切れました。
サラリーマン時代にはいつなんどきでもすぐに海外出張に行けるように
パスポートは期限切れとならないように早めに更新(切替)しておくように会社から言われてました。
もちろん、更新費用は会社負担ということになります。

退社間近に切替えることができたら無職となってもしばらくはパスポートの期限切れにならずに
なんだか得した気分にもなったかもしれませんが
こればかりはタイミング次第ですからしかたないですね。

ところで、パスポートって期限切らしちゃって必要になってから再度新規で取得するのと
更新(切替)にするのとどっちが得になる、というかどんな差があるんでしょうか。

ということで、ちょいと調べてみました。
調べたのは昨日今日ではなく先月の某日ですけどね。

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79V発売後ですがターボ仕様車で欧州走行試験

前回記事で新車開発時の海外走行試験での意義などについて書いてしまいましたので
今回は79V(初代スバル・フォレスター)の発売後のことなので時系列的にズレてますけど
71Gでの欧州走行試験の思い出を書いておきましょう。

なお、その頃のスバルの開発符号のつけ方は数字二桁+アルファベット1文字なんですが
いちおう意味はなくランダムにつけることになってましたが
年次改良については最初の数字固定で次の数字をひとつづつ繰り上げていき
アルファベットは逆にひとつづつ繰下げていくのいう暗黙のルールがありました。
数字の0は使わないので79Vの一年目年次改良は71〇ですが
何故かアルファベットはいきなりGで71Gになってしまってるんですよね。

で、79Vは日本国内ではターボ仕様だけといういびつなグレード展開でしたが
逆に欧州ではターボ仕様なしで2.0LのNAだけというしょぼいグレード展開でのスタートで
1年目の年次改良からターボ仕様を追加販売するということになっていたのです。

別に技術的に問題があってターボ仕様が遅れたわけではなくて
欧州でのスバルは安くないと売れないから先ずはターボ仕様は要らないと
販売ディーラーに言われたからというのがその理由です。
欧州の販売ディーラーはスバル直営ではなく他のメーカーのクルマと併売なので
価格の高いスバル車は他のメーカーの価格帯と重なるので売り辛いと言われるのです。
まぁそんな状態ですから欧州でスバルが商売になるはずないんですけどね(悔)

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79V 1試車での欧州走行試験について

前回は79V(初代スバル・フォレスター)の操安乗り心地開発における
先試車でのアメリカ走行試験について書きましたので
今回はその次の1試車(1次試作車)での欧州走行試験について書くことにします。

1試車はもうフォレスターのカッコウをしている試作車になります。
まだ世に出ていないクルマですからスクープ写真を撮られると今なら大問題になるところですが、
当時はそれほど神経質になっていなかったしスマホや携帯のカメラも普及してない時代ですし
79Vそのものが大して目立つカッコウのクルマでもなかったことなどから
大胆にもほとんどスッピンのままで昼間でも欧州各地を走行していました。

ただ、当時も新型車がスクープされるとそれを理由に営業部門が現行車が売れなくなり
在庫処理ができなくなるとかなにかと難癖つけて開発部門に責任を押し付けてくるので
日本国内での一般公道での走行試験はほとんど出来ない状況になっていて
夜間にこっそりと前後をガードして走るしかないくらいでしたから、
むしろ海外走行試験の方が充実していたと言えるかも知れないですね。

今では海外走行試験でもすぐにスクープ画像が撮られて瞬時にネットで拡散してしまうので
ますますもって公道での走行試験はやりにくくなってしまってますね。
本当はこういう実路で徹底的に走り込むというのが乗り味・走り味の熟成には必要不可欠なんですが……
まぁ今のクルマはそういう乗り味・走り味に拘るというモノでもなくなってきちゃいましたけどね(哀)

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