新書「やくざは本当に『必要悪』だったのか」

講談社+α新書「やくざは本当に『必要悪』だったのか」溝口敦著を読みました。
ボク自身は子どもの頃から今のジジイに至るまでずーとヤクザ否定派です。はっきり嫌いです。
まぁ、たいていの一般人はヤクザ否定派なんだろうとは思いますが、
なかにはそれこそヤクザは必要悪だと言う人もいますし、
ヤクザに限らずマフィアとかでも反社会というか裏社会は必要悪だと言う人もいるでしょう。
本書を見かけた時にはこのタイトルから否定派なのか肯定派=必要悪とする立場で書かれているのか
どっちもあり得るなぁと想定しながらも、どっちでもそれはそれで面白いかもと思い買ってみました。
結論的には……ネタバレになりかねませんが、著者の基本スタンスは一応はヤクザ否定派なのかな。
なんとなしに衰退の一途をたどるヤクザに対する哀愁みたいなものも感じないではないですけど(笑)
本書の「はじめに」ではこんな書き始めになっています。
(以下引用)
暴力団が消滅しようとしている。暴力団対策法のせいではない。同法は暴力団に解散を求
めていないし、暴力団の存在を認めている。(中略)
日本の暴力団は単なる組織犯罪集団ではない。団体名を名乗り、首脳の名前や経歴を明ら
かにし、メンバーを明かし、本部がどこにあるのか明示しているような犯罪集団は世界広し
といえど、日本の暴力団だけだろう。(中略)
社会にとって、やくざが滅びるのは喜ばしいことには違いない。しかし、今のようなやり
方で末端やくざたちを社会的に追い込んでいくやり方は、かえって一般国民の負担になって
しまう側面があることを、本書では指摘していきたい。 (引用終わり)
ここまで読むだけだと、ヤクザ擁護というかヤクザ側の立場にたって書かれているような感じも受け、
それこそヤクザは必要悪だと主張するのか、親分子分・義理人情の任侠の世界を美化するのか、
あるいはヤクザがいなくなったから逆に匿流や闇バイトが増えたとでも言いたいのか……
なんて展開もあるのか?と思っていたわけですけどね。
それに、そもそも暴力団が消滅しようとしているのは暴力団対策法のせいではないとは
どういうことなのだろう? 他に暴力団の力を削ぐような要因があるのだろうか?
この答えについては、捉え方にもよるけどボクが本書を読んだ限りではやはり暴対法の影響が大で、
ただそれだけでなく例えば暴力団の対立・内部抗争の問題もあるし、
シノギ(例えばみかじめ料、地上げ、総会屋etc.)の制限や新規シノギ開拓への遅れ、
あるいは組織運営面・経営面の問題とか若手ヤクザのなり手減少とかいろいろ書かれてます。
本書では〇〇組とか〇〇会(會)などのいくつかの暴力団組織を実例に、
その特徴なり歴史というか抗争のやりとりとか暴力事件の概要などを紹介していたりしますが、
それらも含めて詳細については個人的には興味もありませんし
もし興味ある方は本書でも買って読んでもらえばいいと思います。
もちろん、ヤクザだけではなく匿流や半グレ、特殊詐欺、闇バイト、、、
などにも言及されてますが、基本的にはそれらはヤクザとは別物という扱いとなっています。
なので、ヤクザは滅びるとしてもそれらは別に対応が必要ということでしょう。
そのあたりのことはこれまた別視点での議論が必要なんでしょうけどね。
それらとは別に、少し与太話みたいなことを紹介しておきましょう。
(以下引用)
「村松組長はもともと導友会の幹部だったが、九〇年代に導友会は弘道会の傘下に入った。
村松組長は導友会とは別に弘道会の直系若衆に取り立てられた。リーマンショックの前まで
奥さんを社長に(株)甲英という人材派遣会社を経営し、トヨタやデンソーに五〇〇人もの
工場労働者を派遣していた。一時はかなりのカネを握り、金融業や裏カジノにまで手を広げ
ていた。 (引用終わり)
えぇっ、昭和の話じゃなくて、リーマンショックの前までって最近と言えば最近じゃないの。
暴対法施行からゆうに10年も経っているのに、
トヨタやデンソーといった大企業が暴力団関連の人材派遣会社から大量の人を雇っていたっていうの!
それに、リーマンショックの前までってことは自浄作用でそれを已めたというより
単にリーマンショックで車の生産台数が激減して工場労働者が要らなくなったので
いわゆる派遣切りをしたというだけのきっかけだったんでしょうね。
まぁトヨタは下請からだけでなく提携先のスバルにも格安人件費で人材派遣を強要する会社なんで
こういうことをやっていたというのもさもありなんって感じではありますけどねぇ(汗)
また「任侠道」についても江戸時代にまで遡って考察が及んでいます。
(以下引用)
そういえば江戸期以来、浪曲や芝居などでもてはやされた有名侠客もすべて物語の住人
であって、実像は醜い殺人鬼だったり、非情な利己主義者だったりする。国定忠次、清水次
郎長、大前田英五郎、会津小鉄など、みな同じようなもので、生涯に人を殺し、逃げ、辛う
じて生を終えている。貧民に施しをしたなどの善行はおそらくなく、義賊と呼べる要素はな
い。彼らに仮託した者たちが白昼夢のように物語をでっち上げ、庶民の娯楽の用に供したフ
ァンタジーと見るべきだろう。 (引用終わり)
特に国定忠次(忠治)についてはもっと詳しく書いてあったりしますし、
ボクはこの時やこの時などに国定忠治の墓と言われるものを見にいったりもしてますが、
かといってもちろん国定忠治をはじめ大昔のヤクザの親分を崇めたりも拝んだりもしませんし
ここに書いてあることはしごくもっともなことなんだろうと納得するところです。
もっとも現代とは時代背景があまりにも違うので
それを現代の価値観でどうこう評するのは無理がありますが、
それより面白いのはそういうファンタジーというか物語がでっち上げられるという歴史ですね。
ボクが勤めていた会社にも自称・親分ってな人がいて
本人はそれこそ国定忠治か清水次郎長気分でもあったんでしょうけど、
やはり取り巻きとか子分とかに物語をでっちあげさせて外面は威張ってましたからねぇ(笑)
その親分二代目みたいな人もいましたし(笑)
まっ、今だから「(笑)」なんて言ってられるんですけどね。
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