新書「桜とは何か 花の文化と『日本』」

河出新書「桜とは何か 花の文化と『日本』」佐藤俊樹著を読みました。
本書はおそらく桜の咲く頃に合わせて昨年2025年2月末に初版発行となっていたのですが、
その当時も目にしていながらもなんとなくスルーしていたのに
昨年の秋(9月)になってからなんとなく買ってしまい、
今年の1月になってから読みはじめたというなんとも季節感のズレた読書となってしまってました(汗)
さすがに記事にするのはあまりに季節感がないとどうかなと思い
読んでから少し寝かせてこの時期にアップした次第になります。
なお、ひと昔前に「桜を見る会」なんてのが問題となりましたが、
本書ではそういう政治的な悪しき話とはまったく関係がありませんので、あしからず(笑)
本書の「序章」(これが結構長いのですが)には次のようにはじまます。
(以下引用)
日本の春が今、大きく変わりつつある。
日本の春といえば、もちろん桜である。その桜が今、100年ぶりの大きな転換期を迎
えているのだ。 (引用終わり)
へぇー、そうなの。というのが第一の感想。
それは地球温暖化うんぬんで春という季節がなくなりつつあるから? とか読んでいくと、、、
どうやらそういう話ではなくて、昭和(の戦後)に比べるとソメイヨシノだけでなく
多様な桜が見られるようになり、桜の見頃の時期が長くなり色合いも多様になったと。
そう言われるとそんなもんなのかなぁという気もしますが、鈍感なボクはとくに実感はないかな。
それくらいしかボクは桜のことを知らないということでもありますが、
本書では次のようにその日本の桜の歴史から存在価値や意味合いなどについて書かれているようです。
(以下引用)
だからこそ、それらにもう少し、より良く言葉をあたえたい。論理と知識でその姿を明
確にしたい。もっとよい形で、それらとともに生きていくために。そのためにこの本では、
桜が「さくら」と呼ばれるようになってからの、おそらくは一万年以上の時間をたどり直
し、日本だけでなく東アジア全域の空間を巡りながら、日本の桜がどのようなものなのか
を明らかにしていこう。
小難しい言い方になったが、要するに、根拠のない観念や語りの呪縛から解き放った方
が、桜はきれいに見えるし、その美しさよりも楽しめる。それが知識や言葉の最も筋のよ
い使い方だ、と私は考えている。 (引用終わり)
そう「小難しい言い方」とか書かれているように、少なくともボクからすれば
本書は「桜」に関してはかなりマニアックな話ばかり書いてあって少し小難しいです(汗)
例えば、同じく「序章」の中でも終盤に次のように書かれていて、
真剣に文章と桜に向き合って読んでいかないと何を言わんてしているのか分からなくなりそうです。
(以下引用)
はるか昔から「咲くもの」だった桜が「花だけ」を鑑賞する文化と接続することで、春
の花のなかでの圧倒的な重みという量的な面と、「外なる内」として意味づけられるとい
う質的な面の両方で、特異な性格をもつことになった。そこに日本語圏の桜の独異さがあ
る。 (引用終わり)
ということなんだそうです。(?)
まぁ、ボクはあまり知らないのですが、桜については専門家・自称専門家などいろいろな人が
いろいろな自説を展開しているようで(桜に限らずどんな分野でもそういう話はありますが)、
本書ではそれらの自説・俗説などなどについても批判的な論調で展開されているところもあります。
個人的にはどちらが正解かどうかはまぁどっちでもいいかなと思うところもあるのですが、
それらもひっくるめていろいろな知識や考え方などがあって面白いところかなと。
それで、最初の「100年ぶりの大転換期」の話ですが、
「序章」では次のように締めくくられています。
(以下引用)
それが100年ぶりに大きく変わりつつある。序章で述べた二一世紀の、多彩で多様な
春。それが桜の時空をめぐる旅の終点でもある。「真正な桜」探しの呪縛から解かれ、「外
なる内」という性格を取り戻しつつある。そこに現在の、二一世紀の日本の桜の春がある
(終章1)。私はそう考えている。 (引用終わり)
その前の引用部分も合わせ「咲くもの」とか「花だけ」とか、「外なの内」とか「真正な桜」とか、
それらの言葉が何を意味しているのかなども含めて、
興味のある方は本書を読んでいただければと思います。
一方で、桜の下でブルーシート敷いて酒呑んでドンチャン騒ぎして花見出来ればOKみたいな人は
(ボクはそっちもあまり興味はないですが)、これ読んでもまったく意味ないですかねぇ(笑)
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