新書「米軍戦闘機から見た太平洋戦争」

光文社新書「米軍戦闘機から見た太平洋戦争 ガンカメラが捉えた空戦・空襲」
藤原耕 栗原俊雄 共著を読みました。
ここのところ太平洋戦争関連の本ばかりとなっていますが、
これは前回紹介の「生還特攻」までとは別の日に別の本屋で見かけて買ってきた本ですし、
読んだのも少し間隔をおいてのことでしたが、
流れでこのタイミングで記事をアップすることにしました。
本書はサブタイトルにあるように米軍戦闘機搭載のガンカメラ映像(カラー動画)が元になってますが、
実際にはガンカメラだけでなく偵察用や戦果確認用に撮影された空撮静止画や
米軍カメラマンが撮影した報道写真やスナップ写真のようなものまでも掲載されています。
さすがに動画を観ることはできませんが、かなり豊富なカラー写真・モノクロ写真が掲載されていて、
それ故に税別1,600円と新書としては結構な値段がしますが、見応えもあります。
ただ、それらの写真をここで紹介するわけにもいかないところが残念でもありますが。
まっ、画像はなしですが文章で書かれているところを少し紹介していきましょう。
まずは前回からの流れで(?)、戦艦・大和についての話。
(以下引用)
戦艦の存在価値である主砲は、45口径46センチ3連装砲塔で、3基計9門。「45口径」
とは、砲身が口径の45倍あることを意味し、「大和」の砲身は約20・7メートル。砲身は
長い方が初速が早く、貫通力が増す。
当時他国の戦艦で、主砲が最大なのはアメリカの「ワシントン」型であり40・6センチ
砲9門であった。「大和」は主砲が他国より大きいことだけでなく、射程も図抜けていた。
最大射程は42キロ。東京と神奈川県の大船、あるいは京都と大阪の距離に当たる。アメリ
カ他他国の戦艦は40キロ未満だった。計算上、「大和」は敵弾の届かないところから一方
的に敵を攻撃できることになる。それが「アウト・レンジ」と呼ばれた戦法だ。(引用終わり)
ただ、本書には書かれてなくてテレビ番組などで知ったのですが、
地平線との関係で敵艦を目視できないので命中確認→微修正などが出来なかったのだそうです。
なので、航空機から命中確認→無線連絡→微修正をしていくことになったとのこと。
逆に言えば、航空機をその程度の役割としか認識していなかったとも結果的に言えるのかも。
(以下引用)
しかし、「大和」は完成と同時に「時代遅れ」の兵器となりつつあった。1941年12
月8日、他ならぬ日本海軍の機動部隊(空母を基幹とする戦隊)がハワイの米太平洋艦隊
に壊滅的な被害を与えた。戦いの主力は戦艦から空母に移ろうとしていた。空母は艦載機
を搭載し洋上で発着させる。いわば海の航空基地だ。その空母複数を基幹とする機動部隊
が戦術の主役となっていった。 (引用終わり)
結局はそういうことで、空母と航空戦力、その質・量で日本はアメリカにはまったく敵わず、
大和も使い道がなくなり最後は海上特攻出撃するも米軍機の猛攻撃で沈没してしまうわけです。
そんな大和の最後の雄姿(?)がガンカメラに捉えられているのですが、
それを見た第一印象は……あんな巨大な大和がこんなに小回り出来るんですね、でした(汗)
我ながらショーモナイですな。
潜水艦についての話も紹介しておきましょう。
(以下引用、改行位置変更)
戦争中に日本側が喪失した輸送船は約2600隻、総計約860万トンにのぼる。そのうち
1153隻、約476万トン、すなわち実に半数近くが潜水艦による攻撃で失われたものである。
一方、米軍の潜水艦の損失は52隻であった。
米軍潜水艦の任務は、軍艦や輸送船に対する雷撃だけにとどまらなかった。日本軍の勢力
圏内に不時着水したB-29爆撃機や艦上機の搭乗員の救出も重要な任務のひとつであった。
(引用終わり)
潜水艦というとドイツのUボートがよく知られていますが、
米軍潜水艦もそんなに戦果をあげていたんですね。
当時の日本の潜水艦ってよく知らないというか目立った戦果はあげられなかったイメージですが
そこでもアメリカとの圧倒的な差があったということなんですかねぇ。
大空襲というかカーティス・ルメイによる無差別爆撃についての話&映像も出てきます。
(以下引用)
アメリカには、軍事施設と民間人の居住区を区別しない無差別爆撃に対し、消極的な意
見もあった。1942年2月、同盟国のイギリスがドイツの各地に焼夷弾による夜間空爆
を始めたことに対し、「赤ん坊まで殺している、これは軍事行動ではない、犯罪だ、最悪
の行為だ」とイギリスに警告している(中略)
だが、その裏で、日本に対して無差別爆撃の準備を進めていた。 (引用終わり)
こんなアメリカの二枚舌なところはヘドがでるほどおぞましいですなぁ。今も変わらないし。
この章では空襲前と焼野原となった空襲後の航空写真などが載せられていますし、
空襲だけでなく原爆後の航空写真なども載せられています。
その中でも特におぞましさを感じた写真がありますが、その解説文を紹介しましょう。
(以下引用、改行位置変更)
上:塗装中の長崎型原子爆弾「ファットマン」の弾頭部分にサインをするノーマン・ラム
ゼー博士。ラムゼー博士は1969年にノーベル物理学賞を受賞、 (引用終わり)
写真ではその弾頭部分に寄せ書きのように幾つも書かれたサインが見てとれます。
本書の帯にはそれとは別画像で米海軍少将のサイン(いたずら書き?)が紹介されてますが、
個人的には軍人が日本の天皇に対する挑発的な文言を記するのはなんとも思いませんが、
科学者が、しかもこの原爆により何十万人もの民間人の命が失われることを知っていながら
我が名を刻むってのは全く理解できないし、彼らを科学者と見なすことは絶対に出来ません。
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