新書「70すぎたら『サメテガル』」
小学館新書「70すぎたら『サメテガル』 『老害』にならない魔法の言葉」樋口裕一著を読みました。
ボクはまだ70歳になってませんし、まだ7年ほども先の話ですし、
今から70歳を過ぎてからのための準備や心構えをしようってそんな先を見据えた生き方しませんが(汗)
「サメテガル」って何? と思ってしまったので、
それが著者の罠だろうと勘ぐりつつも(笑)手に取ってしまいました。
それで、著者のことは知りませんでしたが、本書の「まえがき」にはこんなことが書かれています。
(以下引用)
私が『頭がいい人、悪い人の話し方』(PHP新書)を刊行したのは2004年。20年
も前のことだ。その本の前にも後にも、もっとよい本を書いているつもりでいるので、な
ぜその本が突出して売れたのか私にも全く分からなかったが、翌年、あれよあれよという
間に250万部を超す年間ベストセラーになった。 (引用終わり)
あぁ、「頭がいい人、悪い人の話し方」って幾度か気になり読もうかどうしようか迷ったことがある本だ、
それを書いてたのがこの人だったのか、と思ったわけですが……そんなにあの本は売れたのかぁとも。
で、同じく「まえがき」で次のように続いていきます。
(以下引用)
思うに、あの本はビジネスの世界の中心で生きている壮年の人々に向けて、「もっと賢
い話し方をしていきましょう」と呼びかける内容だった。(中略)
高齢になったいま、私は再び、同年代の人々に呼びかけたくなった。だが、いまさら
「ともに賢い話し方をしましょう」と呼びかけるつもりはない。「ともに気楽に生きまし
ょう、もっと穏やかな老年を生きましょう」ということだ。
私に効き目のあった、あの「魔法の言葉」を知ってくれれば、多くの方が気楽で穏やか
な老年生きることができると思う。 (引用終わり)
そうなんですね、だったら「頭がいい人……」は読まなくて正解だったかな、と思うし、
「気楽に生きましょう」と言われてもまぁいまも気楽に生きてますけど(笑)
「もっと穏やかな老年を生きましょう」と言われるとまだ老年じゃないけど出来ればそうなりたいので
読みはじめて正解だったかなとも思えてきますね。
それで、その「魔法の言葉」というのがタイトルにもなっている「サメテガル」なわけですが、、、
それは、本文に入ってから次のように説明されています。
(以下引用)
フランス語に「サメテガル」(Ça m’est égal.)という表現がある。(中略)
英語に逐語訳するとIt is equal to me.「それは私にとってイコールだ」となる。
私が最初にこの言葉に出会ったのは、アルベール・カミュの名作『異邦人』だった。(中略)
つまり「それは私にとって平等である」。辞書であれこれ調べて、「私にとって、どっち
でもいい」「私にとって、どうでもいい」というニュアンスであることを知った。
(引用終わり)
日本語じゃなくてフランス語でしたか。
さらに、その後に続いて著者は次のように綴っています。
(以下引用)
私も現役でバリバリ活動していた時期は、フランス人ほどではないにせよ決断を迫られ
ることがたびたびあった。意見を求められ、何かしら正解らしき答えを語らなくてはなら
ない場面も多かった。(中略)
セミリタイアしたいまになって考えてみると、これまで生きてきた中でのほとんどの出
来事は「どっちでもいい」、まさに「サメテガル」と言いたくなる場面だったのだ。
(引用終わり)
確かに、バリバリかどうかはさておきボクも現役時代は決断をする必要に迫られたというか
判断をする立場のことが多かったし、決断ができることを良しとしていたし、
逆に決断ができない人には失望していたわけですが、
早期リタイアした今となってはあまりそんな場面に出くわすこともなくなったのは確かですね。
まっ、麺紀行で何を食べるかとかは決めなくてはならないのですが(笑)、
それとて究極の判断とかじゃなくて本能的に好き嫌いで決めればいいだけのことですからね。
とはいえ、なかなか現役時代のクセは抜けないので、
ついついどっちかに決めなければ……と思ってしまうことも多々ありますから、
「サメテガル」というフランス語を知ったこと以上に本書に書かれていることはためになりました。
いや、本当にためになったかどうかは今後のボクの人生次第なわけですけどね。
まっ、70歳に向けてこれから少しずつ「サメテガル」を究めていきましょうかね。
って、究めるもなにもどのみち「サメテガル」なわけですけど(笑)
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