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新書「加耶(かや)/任那(みまな)」

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中公新書「加耶/任那 ――古代朝鮮に倭の拠点はあったか」仁藤敦史著を読みました。

前回紹介の「日本神話の考古学」は中身は1993年刊行のものでしたが
本書は2024年10月初版発行ですから内容としては最新ということになりますかね。
かといって扱っている内容は3~6世紀のことなのでずーと昔の話になりますし、
逆に最近になって大発見があったわけでもないですし、定説が定まったというわけでもないですが。

本書の内容としては先ずは本書の表紙カバーの袖に次のような紹介がされています。

                           (以下引用、改行位置変更)
加耶/任那は3~6世紀に存在した朝鮮半島南部の小国群を指す。『日本書紀』は任那
と記し、「任那
日本府」の記述などから長く倭の拠点と認識されてきた。だが戦後、強
く疑義が呈される。歴史教科書
の記述は修正が続き、呼称も韓国における加耶へと変わ
る。他方で近年、半島南部で倭独自の前方後円
墳の発掘が相次ぎ、倭人勢力説が台頭す
る。本書は、古代東アジア史の大きな争点である同地域の実態
を実証研究から明らかに
する。                              
(引用終わり)

まぁ、この加耶については日本/韓国との政治的な問題も絡んでくるのでやっかいなんですが、
個人的には別に千何百年も前にそこが日本支配だったのか韓国支配だったのかはなんの意味もなく
そもそも当時は日本という国も韓国という国も今のような国体(戦前・戦中時の意味ではない)ではなく
それどころか国境という概念すら明確でもなかったんでしょうから、
それを直接現代と結びつけてどうこうマウント取り合いしても無意味で
そこを切り離して、純粋に史実としてどうだったのかを知りたいという気持ちで本書を読みました。

 

いちおう、本書の「まえがき」では次のように書いてあります。
                                  (以下引用)
 この本を通読することによって、加耶/任那=加耶諸国に対して、従来のような倭の
植民地的な見方をするのではなく、周辺諸国のさまざまな分野に影響を与えるようなき
わめて重要な地域だったことを理解していただければ幸甚である。   (引用終わり)

というわけで、これだけでもほとんど結論は見えてしまいますが(汗)、
もちろんただ単純に「倭の拠点=植民地があったかどうか」だけの話ではないので
少しでも興味のある方は本書を読む価値は十分あると思います。
いちおう、本書の「終章」では次のようにまとめられています。
                                  (以下引用)
 第四には、任那問題の中心的課題だった「日本府」の解釈について、戦前以来の通説
だったヤマト王権の出先機関説を明確に否定した。そのうえで百済による加耶諸国への
侵略に抵抗する勢力の総称として表現されたものと論じた。      (引用終わり)

ということですね。なお、「第四」と書いてあるのはその前に三項目のまとめがあるからです。

 

なお、本書では古代朝鮮史としては前2世紀くらいまで遡っているものの
それは当然ながら三国史記などでの古代文献の記載内容からそうなっているのですが、
個人的にはそれ以前から日本というか九州北部、出雲、越などの地域と朝鮮半島南部は交易があり、
というか“国”とかの意識もない海の民のような人々が行き来をしていて
どちらの地域にもそれなりに拠点を持って生活していたんだと思っているので、

その辺りから、あるいはそれらの視点からの考察もあるとよかったかなと思いましたね。
もっとも、文献資料は皆無だし、考古学的資料もほとんどないんでしょうけど。

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