« ポタ&麺紀行:「すかや新前橋」の「本鴨汁相もり」 | トップページ | ポタ&麺紀行:細谷「松竹」の「サンラーみそら~めん」 »

新書「共感バカ」池田晴彦著

B241203_1 
祥伝社新書「共感バカ」池田晴彦著を読みました。

著者の池田氏はよく知らないけど生物学者で評論家で理学博士という肩書のようです。
なんて書いてたら、以前にも著者が著した
生物学ものしり帖」、「環境問題の嘘」、「騙されない老後」を読んでましたね。
なんかそれぞれテーマがかけ離れているような感じなので、本当に同一人物?って思いますが。

 

で、本書の内容は端的に言えば「共感」することを揶揄するというかバカにするようなものです。
まぁボクもあまり共感しないというか先ずは警戒して疑ってから納得の上で共感したい派ですが。

本書の「はじめに」では次のように書いてあります。
                                 (以下引用)
 共感力はないよりはあったほうがいい。
 それは間違いない事実だが、だからといって共感=絶対的な善ではない。
 むしろ、共感が過剰だったり、逆に不足していたり、あるいは極端に偏った共感
に人々が振り回されているせいで、現代社会のあちこちにほころびができているよう
に私には感じられる。
 ひと言でまとめると、共感を適切に扱えない「共感バカ」が増えているのだ。
 本書ではそんな「共感バカ」の事例をさまざまな角度から紹介しながら、共感が人
間心理と社会にもたらしている影響について語っていく。      (引用終わり)

いちおう、共感が無さ過ぎるのも問題としていますが、
それはある意味で分かりやすいのでそれほどページが割かれているわけではありません。
やはり本書では共感し過ぎの弊害について主に語られています。
まっ、語られているけど著者は心理学とかそのような専門家でもないのでフムフムと聞くくらいですが。

ところで、本書では「共感」という言葉について以下のように説明しているというか定義しています。
                                 (以下引用)
 そもそも「共感(empathy)」とは、人間と人間のつながりを表す概念である。他者
の感情や考えを理解し、相手の立場になって心を寄せる。共同体の中で生きていくた
めには、程度の差ことあれ共感能力は必須スキルだ。        (引用終わり)

ただ、少し前に読んだ「他者の靴を履く」によるとエンパシーだけでなくシンパシーも共感と訳され、
でもエンパシーとシンパシーは似ているようで本質的に異なってもいるわけですし、
本書でも「共感」としてシンパシー的意味合いで用いられているところも多分にあると感じられます。
特に「共感バカ」として揶揄されるような内容はシンパシー的意味合いが強いような気がします。

 

そして、内容的には結構単純で少なくともボクには分かりやすい話が多いのですが、
たとえば「TikTokごときで安易に泣くバカになるな」とかはそうだと思うしボクも泣かないけど
(というよりTikTokの動画が面白いとも感動するとも端から思ってないのでほとんど観ないけど)
映画や漫画、小説などのフィクションで感動できる人は」と言われると
歳とともに涙腺が緩んでるボクとしてはアニメ映画なんて結構ウルウルしちゃうのでヤバイですねぇ。

また、どうして歳とともに涙腺が緩むかなんかについても解説してあったりもするんですけど。

 

ところが、著者は本書では時折暴走気味となることがあって、
言いたいことはさておき読んでいておいおいもう少し冷静になったらと思うところが出てきます。
                                 (以下引用)
 ちなみに、私は現代日本の最悪・最強・最凶のカルト集団は間違いなく自民党だと
思っている。オウム真理教が消滅したのは、人殺し集団ということの他に、政権に忖
度しなかったからだ。
 一方、日本最大のカルト宗教である旧統一教会は、信者を騙して多額の献金を巻き
上げ、その資金力をバックに長年自民党を操ってきた。自民党の国会議員の半数近く
が統一教会と関係があり、教会は選挙のたびにボランティア運動員として多数の信者
を送り込み、選挙を支援してきた。
 旧統一教会の支援がなければ当選しなかった議員も多かったはずだ。その結果、自
民党の政策は旧統一教会の考えを忖度せざるをえなくなったのだ。憲法改悪に固執す
るのも、選択的夫婦別姓や、LGBTQの権利擁護に冷たいのも、すべて旧統一教会
の差し金である。言わば自民党は旧統一教会の政治支部のようなものなのだ。自民党
が現代日本の最悪・最強・最凶のカルト集団であると断じる所以である。(引用終わり)

そういう側面は皆無ではないでしょうが、逆にそこまで旧統一教会の力が強いかと言うと疑問だし、
むしろ日本会議とかネトウヨとかそういった幾つものの団体・個人もある意味カルトでしょうしね。
そういう幾つものカルトをうまく集約して集票するシステムを自民党が、
あるいは安倍氏がうまくつくり上げてきたという点ではその通りなのだと思いますが……

 

なお、この文脈とは別に宗教・新興宗教については次のようなことも書かれています。
                                 (以下引用)
 幸福で満ち足りた人生を送っている人は宗教を必要としないが、そうでない人は孤
独を埋めるため、救いを求めるための手段として宗教を選んでいる。とりわけ新興宗
教はそれが顕著だろう。
 アメリカではハイソサエティな地位を得るためには無宗教だと恥ずかしいという考
え方が根強い。そのため、今のシニア世代の多くはプロテスタントやカトリックとし
て日曜日に教会へ行く暮らしを続けていたのだが、現代では徐々にその構図も崩れて
いる。                             (引用終わり)

なるほど。
ボクはそこまで満ち足りた人生を送ってるとは思ってないけど
自分の人生は自分で決めてきてここに至るわけだからそれなりに納得しててその意味では幸福で
だから宗教を必要とは思っとことは一度もないのかもしれないですねぇ。

逆に、宗教や神に頼るというのはナンセンスだと子供の頃から考えていたからこそ
自分の人生は自分で決めてきたという意識がありある程度幸福と思えるのかもしれないし。

それにしても欧米人は「無宗教だと恥ずかしいという考え方」が根底にあるんですね。
よく欧米人に対して「無宗教」だと言うと不思議がられるとは言われますが、
無宗教でどうやって生きられるのか不思議だというより
そんな恥ずかしいことを平気で口にするのが不思議だと思われているのかもしれないですね。

まっでもそれもだんだんと薄らいでいるというのなら個人的には喜ばしいことですかね。

 

最後にちょっと、というかかなり考えさせられる話を紹介しておきましょう。
断片的に引用するのでなんのことか分かりづらいですが、想像して補間して読み取ってください。
                                 (以下引用)
 一度、SNSかメルマガにこの話を書いたことがある。「私の遺伝的母親は人間だ
が、私を生んでくれた母親は豚でした。私の遺伝的な母親は私が生まれたあと、私を
生んでくれた母親を食べてしまいました」と書いたけれど、冗談と思われたのか、余
りバッシングはされなかったな。                 (引用終わり)

けっこうエグイよね。

|

« ポタ&麺紀行:「すかや新前橋」の「本鴨汁相もり」 | トップページ | ポタ&麺紀行:細谷「松竹」の「サンラーみそら~めん」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ポタ&麺紀行:「すかや新前橋」の「本鴨汁相もり」 | トップページ | ポタ&麺紀行:細谷「松竹」の「サンラーみそら~めん」 »