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単行本「スバル水平対向エンジン車の軌跡」を読了

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グランプリ出版「スバル水平対向エンジン車の軌跡 シンメトリカルAWDの追求」武田隆著を読みました。

先日、「えがおのあそびば」@イオンモール太田を見にいった時に買ってきた本です。
その時の記事にも少し書きましたが、15年以上昔の「水平対向エンジン車の系譜」とは
同じグランプリ出版で同じ武田隆著で似たようなタイトルではありますが、
本書は基本的にスバル中心に書かれている本になります。

ただ、本書の「はじめに」では次のように両方の本の関係について書かれています。
                                       (以下引用)
 本書は、2008年に刊行された『水平対向エンジン車の系譜』の第1章(水平対向エンジン車の
特徴とはなにか)と、第8章(スバル水平対向エンジン車の進化)をもとに、大幅に加筆修正した
ものです。
 本書の後半にあたる第3章以降、2009年の5代目レガシィ以降については、新たに描き下ろし
ています。                                 (引用終わり)

ということなので、互いに重複するところもあるけど、まぁ視点の違いもあるだろうし、
15年前に読んでも忘れてることも多いでしょうから、
復習も含めて全部読んでみましょうというところですかね。

 

とはいえ全体の内容はスバルの歴史みたいな感じでもあり、
それは単に水平対向エンジンとかサブタイトルにもあるシンメトリカルAWDだけにとどまらず
パッケージング、デザイン、性能、商品性、プラットフォーム戦略、商品戦略、ブランド戦略など
多岐に渡ってます。

要するにスバル全史のうち、水平対向エンジンではない軽自動車やジャスティ、ドミンゴなどは
ほとんど触れていないというだけで、スバル小型車についてはほぼ網羅されているわけです。

だからと言って、スバリストやスバラー(死語?)ご用達のヨイショ記事という感じでもなく、
あるいは巷に流布した都合の良さそうなステレオタイプの内容でもなく、
個人的にはそれなりに事実に基づいた、またあまり誇張のない冷静で論理的な内容という感じです。

例えば、スバルの水平対向エンジン採用の理由も次のように解説しています。
                                (以下引用、改行位置変更)
水平対向エンジンの車体レイアウト上の特性は、その平たい形状ゆえに、搭載したときにクルマの
重心を低くできるということもあるが、それ以上に、全長が短いということが重要で、スバルが最
初に水平対向エンジンを採用したのも、それが最大の理由といえる。       (引用終わり)


さらには、次のようにも解説されています。
                                (以下引用、改行位置変更)
スバル1000が水平対向を採用したのも、基本的にはそれが理由である。
 ただその後、等速ジョイントの性能が上がって、デフを片側に置くエンジン横置式のFF(ジア
コーザ式)が、1960年代にフィアットの手で実現されると、ポピュラーな直列4気筒エンジンを
使う横置方式が一気に広まり、縦置FFに向いた水平対向エンジンは少数派になってゆく。 
                                      (引用終わり)

その通りですね。スバル1000は居住性と高速安定性のために当時としては先進的なFFを採用し、
そのためには当時の技術としては全長の短い水平対向エンジンを縦置きにしたというだけで、
低重心だから水平対向とかではないし、ましてや後の4WDを見据えてでもないし、
逆に前身の中島飛行機が星形エンジンだったからとかのこじつけの話でも何でもないわけです。

なので、欧州の先進的メーカーは同様に水平対向エンジン縦置きでFFを開発したわけですし、
逆にトヨタなんかはそういう流れやスバルが水平対向FF車を開発している情報を入手しながら
古くさいFRでも80点主義でもいいからとFF車開発を捨てて水平対向2気筒のパブリカを作ったわけです。

でも、スバル1000の開発の過程で結果的に性能の良い等速ジョイントを開発できてしまった。
皮肉にもそれによって横置エンジン(デフ中心が少しズレる)でもFFはちゃんと成立できるし、
スバル1000のようなインボードブレーキやゼロスクラブも必須ではなくなってしまったんです。

 

ではなぜその後もスバルは水平対向エンジン縦置を続けたのかというと、レオーネ時代に
水平対向エンジンを辞めて新たに横置エンジンのFFに作り変えるだけの設備投資が出来なかっただけ。
それについても次のように書かれています。
                                (以下引用、改行位置変更)
極論すれば、レオーネは日本車のワンオブゼムとして、安くてよくできた小型車であれば十分とい
うことになった。そうなると、合理的な理由から採用した水平対向エンジンFFの意味がほとんどな
く、ただ設備投資もせずにすむことから、既存のメカニズムがとりあえずそのまま引き継がれてい
るといった印象である。ちなみに初代レオーネのときは、百瀬晋六は開発に関わっていなかった。
                                      (引用終わり)

外されたんでしょうね。おそらく(哀)

そして、そうこうしている間にたまたま4WD化するのに都合がよかったのでやってみたらうまく行った。

うまく行ったけどそもそもニッチ市場相手なので、レオーネの終盤ではユニークな存在になり、
そうなると水平対向エンジンとか4WDとかが他社との差別化に繋がっていることに気づき、
実用車・大衆車としては横置エンジンFFが理想なんだけど、それでは他車に埋没しかねないので、
レガシィの構想時に侃侃諤諤の議論の末に(これは直接知らんけど)水平対向縦置を踏襲し、

レガシィの下のクラスのレオーネ(後のインプレッサ)は横置FFにしようとしたけど
結局はお金がなくて(初代レガシィでお金を使いすぎたしアメリカで売れずに会社が傾いたので)
水平対向エンジン縦置のレガシィを短くしてインプレッサを作らざるを得なかった。
そして、なんだかんだとそれが今に至っているというわけですね。

そうそう、初代レガシィも巷では瀕死のスバルを起死回生させた救世主みたいに語られるけど、
確かに旧態然としたレオーネまでの技術からの躍進はあったもののそんなのは
いつかは世代交代しなければならなくてそれがたまたま初代レガシィの時だったとも言えなくはないし
(とはいえもっと早く、例えば2代目レオーネの時とかにすべきだったとは思いますが)、

なにより初代レガシィはアメリカで売れずに初期投資だけでなく高コストで品質問題も多く抱えて
スバルに大赤字をもたらしてしまったのもこれまた事実です。
(それでも初代レガシィの技術は当時の世界標準をキャッチアップできていたのも事実でしょう。)

そういうところも歴史の歪曲などはなくある程度冷静な目で事実に基づき本書は書かれています。

 

また、そういう差別化があらぬ方向に向かってしまったのが2000年代前半のスバルの迷走期でしょう。
これは、水平対向とかシンメトリカルとかとは直接関係ないですが、2000年前半頃のスバル迷走期の
ザパティナス氏やスプレッドウィングスグリルなどについても真っ当なことが書かれています。
                                (以下引用、改行位置変更)
 スプレッドウィングスグリルは後述するアンドレアス・ザパティナスがスバル在籍時に展開され
ており、原案はザパティナス自身ではないようではあるが、(中略)この頃スバルは、デザイン改革
の一環として外部デザインコンサルティングに協力をあおいでもいた。オーストリア人デザイナー
のエルヴィン・レオ-ヒンメルが立ち上げたFuore Design International 社がそれにあたり、ス
プレッドウィングスグリルを披露したショーカーのB11Sを手がけている。    (引用終わり)

スプレッドウィングスグリルだけでなくスバルR2(R1も含めて個人的にはカッコ悪いと思ってる)も
元アルファロメオ(の主にインテリア)のデザインも手がけたザパティナス氏が
デザインを指揮したとかと流布されていますが、それは明らかに間違っていて、
ここに書いてあるようにアウディのプレミアムブランド戦略も担った実績をもつFuore社のいいなりで
あの醜いグリルや一連の不格好なスバル車があの時には生み出されていったんですね。

もちろん、Fuore社だけが悪いわけではなく、スバル自身がプレミアムブランドを目指すとかほざいて
変な方向にというか迷走した結果としてああなってしまっただけなんですけど。

 

それでも、次に書いてあるように2006年からスバルの迷走も収束してきて好調に転じます。
                                (以下引用、改行位置変更)
2006年に社長が竹中恭二から森郁夫へと交代、翌2007年に新しい中期経営計画が設定されたが、
その中で目立つキーワードは「全てはお客様のために」で、実質重視の方針がいよいよ強化された。
(中略)
 クルマづくりにおいては、初代レガシィ以降エスカレートしていた走り一辺倒のクルマに偏るこ
となく、後席も広く使える実用的なクルマを顧客に提供することを第一に考えるようになった。
マーケット重視の姿勢が打ち出され、まさに「全てはお客様のために」なのであった。
 こういった改革は、成果を上げた。2008年のリーマンショック後に、軒並み世界の自動車メー
カーは赤字を計上したが、スバルはひとり業績を伸ばした。           (引用終わり)


その通りで、この時期はボクも実験総括部に異動して「お客様目線」という言葉でもって
エクシーガやフォレスター以降ほとんどのスバル車の開発(年改含む)に関与してきたし、
それ以前の迷走期にプレミアムブランドを目指すだのNBR最速だのアジリティ重視だのと
のたまっていたのに苦言を呈し続けて上司とかから疎まれていた身からすると、

やっとスバルの本来の立ち位置というか、スバル360→スバル1000からの正常進化の形に
自信を持って邪魔されることなく取り組むことができたるようになったところだと思います。

ただ、リーマンショックで赤字にならなかったのに、職制は減給させられたんだけど(怒)
まっ、それはさておき、その後もスバルの好調は続き、
それもあってボクとしてはひと段落やりきった感もあって早期リタイアに踏み切ったわけです。
その後はどうなったのか、特に最近のS-HEV、BEV、自動運転とか知りませんけどね。

 

と本書は全体的には事実関係にもとづいて誇張もこじつけもなく書かれていると感じられますが、
とはいえ、一方で些細な事であるかもしれませんが、あれっと感じる部分がないわけではありません。
例えば、
                                (以下引用、改行位置変更)
それは燃焼効率向上のために近年ではロングストロークが求められているからであり、そのために
設計にいろいろ工夫して、ストロークを長くしているのである。         (引用終わり)


うーん、燃焼効率ではなくて熱効率ですね。終盤になると熱効率という言葉もチラホラ出てきますが、
兼坂弘さんに怒られますね(笑) 太田安彦先生(実際にボクの先生だった)にも怒られますよ(笑)

燃焼効率はざっくり言えば与えた燃料がどれだけ燃えたかなので
燃料冷却でドハドハ燃料垂れ流しじゃなければ現代のガソリンエンジンはほぼ100%燃えてます。
熱効率は燃料のエネルギーがどれだけ有効に仕事=車を動かすエネルギーに変換されたかで
熱や振動・騒音などで捨てられてしまう分があるので、一般的には20~40%程度になるわけで、
それをいかに高めるかが燃費に直結するものなので、エンジンの良し悪しの指標にもなるわけです。

まぁでも、自称自動車評論家などでも平気で燃焼効率という言葉は使ってたりするし、
情けないことにスバルのエンジン開発者の中でも平気で燃焼効率なんて言う人もいたので(呆)
まぁ理系・工学系でない著者には難しいことではあるのかもしれないんですけどね。

 

もうひとつあれっと思ったところを紹介しておきましょう。
                                (以下引用、改行位置変更)
ただ、サファリを中心とした継続的な活動は、それを率いた小関典幸が実験部隊のボスであるだけ
に、市販車の開発にもフィードバックされてレガシィへと結実した。(中略)
 ちなみにレガシィ開発時に、足回りの開発要員として抜擢された実験部の辰巳英治も、ダートト
ライアルのトップドライバーとして名が知られた存在で、そんな経験がレガシィ開発にも活かされ
た。                                    (引用終わり)

ここはやはり内部にいた人間にとっては多分に違和感を抱くところではないかとは思います。
まず、小関氏は自称“親分”とか“Mr.Boss”とか言い、周りにもそう呼ばせてましたけど(笑)
実験部の組織上の部長や本部長でもなく影の支配者でもなく(笑)、
単に実験部の中のシビア部隊とか呼ばれるいち組織の係長相当でしかなかったですからね。

操縦安定性、つまり足回り開発は小関氏とはまったく関与しないところで進められていたし、
小関氏がスバルのテストドライバー(スバルにはテストドライバーという職種はないし)を
育成するという特別な立場でもなかったし、そういう育成プログラムは存在してないし、

例え辰己氏も小関氏の部下となっていた時期があったからといって
そのような育成を受けたわけでもなく、というかその時は二人は完全に反発しあってたし(笑)。
なので、初代レガシィの開発に辰己氏が参画していたのは紛れもない事実ですが、
辰己氏がすべての権限で初代レガシィの足回りを操安性乗り心地をまとめたわけでもないですし。
というか、本人も振り返って「全然思い通りにやらせてもらえなかった」と嘆いてましたしね(汗)

それでも、当時のスバルの実験部で200km/hオーバーの世界まで走らせて実験できる人は少なく
そのような領域での実験においては辰己氏の運転技量や感性が開発に活きたのは確かでしょう。
ちなみに、本書では「辰」と書いてありますけど正確には「辰」です。

 

最後に、スバルの話ではないですが、スバルBRZ/トヨタ86の話の中ででたことを紹介しましょう。
                                (以下引用、改行位置変更)
トヨタは、売れ筋のカテゴリーが市場で盛り上がったら、すかさずそこに新型車を投入すると、言
われることも多い。たとえばかつてレガシィ・ツーリングワゴンが大ヒットになったとき、そこに
対応してカルディナを投入したというのはよく知られる逸話で、どの企業でも当然そういう動きは
するが、ある種臆面もなくともいわれかねないくらいストレートにそういう車種を開発する、開発
できるのがトヨタの特徴でもある。                      (引用終わり)

あはは、笑っちゃいますな。カルディナの話は有名というか、業界裏話で聞こえてくる話も含めて
トヨタが唯一市場のイニシアチブを取れなかったのが(レガシィ)ツーリングワゴン市場と言われました。

トヨタがえげつないのは真っ向勝負して他社より良い物を開発するんじゃなくて
なんとなく同じような偽物を安価に仕立てて販売力で押し切って市場を奪い取っていく
(レガシィの下取りは特別に+何十万円も出すとか言われてましたし)、
というか市場を荒らしてまるで焼き畑農業のようにして他社が開拓した市場を壊滅していって
結果的にトヨタに有利な数の理屈だけで売り切れる市場のみを残していくというやり口ですね。

それに、その時は、ツーリングワゴン市場はなんとかスバルが守ったとも言えるけど、
カルディナとの争いの中で結局は走り(かっ飛び)のツーリングワゴンって方向にだけ偏ってしまい、
(それはたまたまスバルもそういう方向に偏ってしまっていたからでもありますが)
結局はワゴン(レオーネや初代レガシィ)の持っている豊かな生活感やおおらかさやゆとり感がなくなり
レヴォーグのようなWRXをワゴンボディにしただけのようなクルマしか残らなかったんですよね。

そりゃぁこんなことやってりゃ日本車はみんなつまらない車ばかりになっちゃうわなぁ。
もっともそれは日本車だけの問題でもないんだけどねぇ。それでもトヨタは露骨だよな。

 

あっ、さっき「最後に……」と書いちゃったんだけど、おまけ的にもうひとつ本当に最後に追加です。
本書の「おわりに」には次のようなことが書かれていました。
                                (以下引用、改行位置変更) 
 実は子どもの頃は、スバルのことをわかっていませんでした。姉の小学校の同級生の家のクルマ
が、たぶんff-1で、サングラスの似合うスポーツウーマンのお母さんが運転担当でしたが、一家で
スキーに行っていたので、典型的なスバルユーザーだったろうと思います。ただその頃、うちのク
ルマが某社の2リッターDOHC車だったりしたこともあって、馬力も派手さもないスバルは眼中に
なく、スバル360なども「かわいそうな小さなクルマ」と勝手に認識していました。スバル360の
偉大さを知ったのは、大人になってからのことで、恥ずかしいかぎりです。    (引用終わり)

おいおい、武田さん。いくら認識を改めたとはいえ「かわいそうな小さなクルマ」はないでしょう。
まぁでも1966年生まれとのことで小学生の頃にはスーパーカーブームに突入するような世代ですから
スバル360が生まれた時代背景も知らないしスバル車は眼中になかったのは
ある意味では普通の子どもだったということなのかも知れませんが、、、

ただねぇ、それなのにシトロエン2CVについては……あっ、その話は次の機会にしますね。
それにしても今回の記事は長くなってしまいましたねぇ。最後まで読んでくれた人はいるのかな?

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