« 「ペヤングやきそば風 カレー レトルト」ってなんだ? | トップページ | ラリっ娘で麺紀行:上里SA下り期間限定の「ジェノバ風塩ラーメン」 »

新書「日ソ戦争」を読了

B241016_1
中公新書の「日ソ戦争 帝国日本最後の戦い」麻田雅文著を読みました。

先日紹介の「猫だけが……」でも佐藤優氏が少し日ソ戦争にも触れてましたが、
そういえば太平洋戦争に関する話でも日本のポツダム宣言受諾
いわゆる玉音放送までを主に日米の戦争という視点での話ばかりで、
それが太平洋戦争のすべてであるかのように思ってしまいがちですが(ボクだけ?)、

終戦直前にソ連が宣戦布告して日ソ戦争となったことにはあまり焦点があてられてなく、
ボクはほとんど何も知らないなぁと思ったので(「ゴールデンカムイ」で知るくらい(汗)?)
本書を読んで学んでみましょうとなったわけです。
まぁ、学ぶなんていう真面目な動機ではなく単に興味を持ったというだけですが……

本書の「はじめに」では次のように始まっていきます。
                                    (以下引用)
 一九四五年八月八日、ソ連は日本へ宣戦布告した。
 なぜ、ソ連は第二次世界大戦の終わりになって参戦したのか。
 日本はなぜこの直前まで、ソ連に期待して外交を続けていたのか。
 玉音放送が流れた八月一五日以降も、なぜ日ソ両軍は戦い続けたのか。
 これまでも、こうした問いに答えようと研究が重ねられてきた。その一方で、一九四五年
夏にソ連と繰り広げた戦争について、日本ではいまだに正式な名称すらない。ロシアではソ
日戦争(ロシア語部分は省略)といわれる。本書では「日ソ戦争」としたい。 (引用終わり)

あら、日ソ戦争って正式な名称ではないんですね。そこからして間違ってました(恥)
ただ、この最初の疑問についてはボクも同様に思っていたわけで、
それについて本書では定説ではないけど様々な考察がされています。

ただ、それらの疑問に対する答えをここに単に書いても面白味はないのでやめておきましょう。
そもそもそこに至る経緯は長い歴史の背景やらアメリカやらドイツやらいろいろな世界情勢の
複雑な関係があるので、ここで簡単に書くことは無理ですしね。

 

なので、枝葉末節な話になりますが、面白そうなところを断片的に紹介しておきましょう。
まずは戦車の話です。
                                    (以下引用)
 戦車は第一次世界大戦では脇役だったが、無限軌道による機動力と大型化した主砲の攻撃
力が増すと歩兵を圧倒し、第二次世界大戦では陸戦の主役となる。そうなると、戦車の性能
や数が勝敗を左右するようになった。
 ソ連軍は、一九四一年からの独ソ戦で、優秀な戦車を駆使するドイツ軍に苦しめられたこ
とから戦車の改良を重ねる。ソ連軍の主力となったT-34は防御力を示す戦車の鉄板の厚さ、
すなわち走行厚が四五ミリ。一方、日本軍の主力だった九七式中戦車は最も厚い部分でも二
五ミリしかない。攻撃力を示す主砲は最新型のT34-85は八五ミリで、九七式中戦車は五七
ミリと劣る。時速もT-34が上回った。
(中略)               八月五日の段階でソ連極東には戦車が五五四八輌も
配備されていた。なかでもT-34は一八九九輌でその三分の一を占める。
 これに対し、関東軍の戦車は第三方面軍に四四八輌、第一方面軍に四五輌、第四軍に二四
輌で、計五一七輌に過ぎない                      
(引用終わり)

あっ、日本軍にもいちおう戦車はあったんですね。
物資輸送でも十分なトラックがなく、軍事施設設営でもまともな重機がなかったとか聞いていたので
日本軍にまともな戦車なんてなかったんだと勝手に決めつけてました(汗)

ただ、圧倒的に弱っちくて圧倒的に数が足りない。
おそらく日本中にあった全ての戦車を北方に集結させたとしてもソ連軍にはおよばなかったのでしょう。
よくこんなでアメリカに対しても本土決戦だとか叫んでいたよなと今さらながら呆れますな。

 

もうひとつ、短い引用をしておきましょう。
                                    (以下引用)
 このように、米軍の上陸を予想して日本軍の主力は朝鮮南部に集まっていた。その結果、
手薄となった朝鮮北部にソ連軍が襲来する。(中略)
 現在まで続く朝鮮半島の分断の起源は、日ソ戦争に先立つ。       (引用終わり)

もちろん半島の歴史や紆余曲折はこれだけが理由ではなく
日本とソ連だけが原因を作ったわけでもないのですが、
その一因もしくは遠因となっているのは確かなことなのでしょうね。

 

では、最後に本書の「おわりに」に書かれていることを紹介しておきましょう。
                                    (以下引用)
 日ソ戦争は同時代の米英との戦いに比しても、さらに陰惨な印象を受ける。それにはソ連
そしてロシアの「戦争の文化」が関係している。自軍の将兵の命すら尊重せず、軍紀が緩い。
こうした第二次世界大戦におけるロシアの「戦争の文化」が、今世紀のウクライナでも繰り
返されている感覚を覚えているが、それは別稿に譲る           (引用終わり)

確かにねぇ。
でも、同時代のアメリカの2つもの原爆投下や無差別の焼夷弾による大空爆なども悲惨だし
それで正義面・英雄面してるのだからロシアに負けず劣らずの陰惨ぶりだとは思うけどね。
もちろん、それでも日本は悪くなかったとか、仕方なかったとかの論調にもNOだけど。

|

« 「ペヤングやきそば風 カレー レトルト」ってなんだ? | トップページ | ラリっ娘で麺紀行:上里SA下り期間限定の「ジェノバ風塩ラーメン」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「ペヤングやきそば風 カレー レトルト」ってなんだ? | トップページ | ラリっ娘で麺紀行:上里SA下り期間限定の「ジェノバ風塩ラーメン」 »