新書「『黒塗り公文書』の闇を暴く」を読了
朝日新書の「『黒塗り公文書』の闇を暴く」日向咲嗣(ひゅうがさくじ)著を読みました。
「黒塗り公文書」と聞いて真っ先に浮かんだのはもちろんモリカケ、桜を見る会なんですが、
本書はそれらを引き合いに出すことはあっても直接それらの黒塗り公文書に関する話ではなく、
それらとは別の事案についての黒塗り公文書について扱っています。
正直なところとしてはあれっすかされた?という気もしなくはないですが、
どうして黒塗り公文書が出てきてしまうのか、あるいはそれが許されることになるのか、
それらの疑問については別の案件であっても参考になり得るであろうということで読んでみました。
なお、著者の日向氏は1959年、愛媛県生まれのジャーナリストということです。
本書の「はじめに」には次のようなことが書かれています。(ちょっと長いですが(汗))
(以下引用)
ダンボール箱に隙間なくギッシリと詰め込まれた約1400枚の公文書。2018年4
月20日に和歌山市教育委員会に開示申出してから3ヶ月後の7月上旬、自宅に届いた“荷
物”を開封したところ、出てくる紙という紙のほとんどが、真っ黒に塗りつぶされていた
のだ。その割合を算出すると、実におよそ92%にもおよんだ。 (中略)
本書は、6年の歳月をかけて、そんな疑問をひとつずつ解消していくことで、わかった
行政の深い闇に光をあてたものである。 (中略)
モリカケ、桜を見る会、名古屋出入国在留管理局で起こったウィシュマさん死亡事件な
ど、国政で大きく騒がれた黒塗り公文書が、いまや地方自治の現場でも、日常的に作成さ
れていて、あたり前のように、市民の目の前に提示されるようになっているのだ。
(中略)
ナチスドイツの高官で、第二次世界大戦中に数百万人のユダヤ人を強制収容所へ輸送す
る指揮をとったアドルフ・アイヒマンは、自らの職務に忠実なだけのごく平凡な役人の側
面があったと、後年、指摘されるようになった。その意味からすれば「黒塗り公文書」と
いうものは、役人による「凡庸な悪」の象徴といえるのかもしれない。
「黒塗り公文書」が乱発される背景にある「凡庸な悪」のメカニズムに迫っていきたい。
(引用終わり)
引用部分の中段でも「モリカケ、桜を見る会、……」は出てくるけど
前述のように引き合いに出されているだけで直接の言及はありません、
もちろんそれらに関する黒塗り公文書についても直接どうこうはありません。
では、「和歌山市教育委員会 」からの黒塗り公文書は何に関するものなのかと言えば、
まぁ個人的にはあまり知らなかったのですが蔦屋書店と補助金等に関することです。
まっこれはこれで完全に他人事というわけでもなさそうなので、なんだかなぁとも思いますが……
そして、どうして黒塗り公文書が生まれてしまうのかという疑問に対しては、
この引用部分後半の「凡庸な悪」なのだということですね。
要するに黒塗り公文書を作っている人、つまり黒塗りをしている人そのものは、
別に悪意があるわけでも隠し事があるわけでもないけど、
いろいろと忖度やらしがらみやら内部規定を厳格に守ろうとすると真っ黒黒にしてしまうということか。
それにしてもどうしてそんな黒塗り公文書がまかり通ってしまうのか、
億単位の多額の公金・税金が使われている案件なのに、ましてや人の命が関わっている案件なのに、
それが本来中立であるべき機関がどこかに・誰かに忖度して黒塗り公文書を作ることに対し
どうして法的な拘束力が無力なのかはなんだか釈然としない部分が残りますわなぁ。
理由のひとつに個別の企業等に関する事項は開示できないというものがあるようですが、
昔、サラリーマン時代、ISOも含めて認証関係についてはほぼ有無を言わせず全面開示でしたよ。
もちろん知的財産がらみの事もありますから全面開示といっても広く公に誰にでも開示ではなく、
あくまでも監査などの際に監査員に対して開示する義務があるだけなんですが。
ですから、公文書でも誰にでも開示ではなく黒塗りがあってもしかたないけど、
裁判資料などで請求されれば黒塗り箇所も含めて裁判資料として開示すべきかどうかは
双方の中立的立場で司法側が判断すべきことなんだと思うし、そうあるべきだと思うんですけどねぇ。
それに近いシステムも皆無でもないようですが、上手くというか全く機能してないということですかね。
問題の核心はそこなのかもしれませんが、それが上手く機能するようにするには法律改正が必要で、
でもそうすると自らも含めていろいろと過去もほじくり返されて困る国会議員さんにとっては
そんな法律改正に対して前向きになるはずはないでしょうからねぇ。ダメだこりゃ、ですな(呆)
まお、著者が何故蔦屋書店の問題に首を突っ込んでいるのかについては
本書の「おわりに」で次のように書いています。参考までにですが。
(以下引用)
筆者が初めて図書館についての記事を書いたのは、2015年10月のことだった。それ
は、ツタヤ図書館問題ではなく、東京・足立区立図書館で起きた“時給180円事件”と
呼んでいる事件についてである。 (中略)
その結果、作業開始当初、この作業にあたったパート従業員の賃金は、時給にすると1
80円にも満たない額となった。当時、パート従業員を監督する立場にあったN副館長は
「このような行為は、不正な脱法にあたるのではないか」と、再三、館長および地域学習
センター長に中止するよう進言したが、それは、まったく受け入れられなかった。それど
ころか、正しいことを主張したはずの彼女は会社から「トラブルを起こす人間」とみなさ
れ、翌年3月末で契約更新を拒絶され、実質解雇された。
このN副館長というのが、実は、筆者の妻だった。 (引用終わり)
なーんだ、身内の恨みかよー、ともちょっと思っちゃいましたね(汗)
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