新書「『笑っていいとも!』とその時代」を読了
集英社新書「『笑っていいとも!』とその時代」太田省一著を読みました。
前回紹介した「永遠なる『傷だらけの天使』」と同じようにテレビ番組についての内容の本だし、
同じ集英社新書でもありますが、特にシリーズになっているとか関係はないし、
テレビ番組といっても「傷天」は短期間のドラマだしゴリゴリの昭和なのに対して
「笑っていいとも!」はご長寿バラエティだし昭和の終盤からだけどほぼ平成の時代でしたからねぇ。
その「笑っていいとも!」(以下「いいとも!」)はボクもよく観ていた気がしますけど、
実際にはボクが大学生の頃に始まってサラリーマン時代に終わっているので
平日昼間に観る機会は稀で、昼休みに食堂とかでチラ見してたり、
たまに有給休暇取った時になんとなく観ていたというくらいでしかないでしょうね。
もちろん、ビデオ録画してまで欠かさず真剣に観るなんてことはしてませんしね。
ただ、本書の中でも次のような記述があることからして、むしろボクみたいな人が多かったようです。
(以下引用) 始まって1か月ほど経った頃
の「話題の盛り上がり方が、主婦のペースではない」ことに気づき、「いけるな」と思う
ようになった。つまり、主婦ではない視聴者層、たとえば昼休みのあいだに職場や食堂で
見ているサラリーマン、自室で見ている大学生のような視聴者からの反応が、『いいと
も!』を支えたのである。 (引用終わり)
やっぱりそういうことだったんですね。
なんとなく見るともなしに見ているとかつまみ食いならぬつまみ見してる感じで、
そのくらいの緩い感じというか適度な距離感をもって見てられるから長続きしたんでしょうし。
本書でも特にタモリの冷めた感じとか距離感みたいなものについて好意的に解説してますが、
ボクらの視聴者側からしてもその距離感が心地よかったのかもしれません。
ただ、本書ではあまりそのこと(つまみ見視聴者からの視点)には触れられておらず、
逆に番組に積極的に参加する視聴者やスタジオ観客者からの視点が多いので違和感を覚えることも。
確かにそういう素人さんも重要な要素であったのは事実でしょうけど
ボクみたいな距離感のつまみ見視聴者からすると、
そこまで「いいとも!」に熱を入れられてもついていけないかな~という気分にもなっちゃいますから。
さて、順序が逆転しましたが、本書の「はじめに」では次のように書かれています。
(以下引用)
こうした時代のなか、「ザテレビジョン」の創刊から間もない1982年10月、お昼に
フジテレビの新番組が始まった。タモリがMCを務める『森田一義アワー 笑っていいと
も!』(フジテレビ系。以下、『いいとも!』と表記)である。本書は、この番組について多面
的に深堀りすることを通じて、テレビ、そして戦後日本社会をとらえ直そうとするものだ。
(引用終わり)
確かにあんなにも長く平日毎日放送された番組はすごいなと思うので、
それを深堀りするのは意味のあることだし興味はありますが(だから読み始めたんだけど)、
それをテレビ全体に広げるくらいならまだしも、
戦後日本社会までとらえ直そうとはちょいと風呂敷を広げすぎじゃないって感じもしますけどね。
そして、同じく「はじめに」では次のように続いて書かれています。
(以下引用)
ただし、だから「テレビはもうオワコン」などと言いたいわけではない。テレビならで
はの可能性があり、それは未来のメディア状況にとってもきっと必要なものだ。そして
『いいとも!』という番組は、まさにその可能性を示すお手本のような番組だった。その
ことが言いたいのである。
(中略) そして『いいとも!』という番組は、戦後日本、とりわけ戦後民主主義が
持つ可能性を最も具現した番組なのではないか、というのが本書全体を貫く仮説である。
(引用終わり)
まぁ「テレビはもうオワコン」という言い方はボクもあまり好ましく感じませんが
(テレビに限らず、時代遅れとレッテル貼り自分は先端を行ってる感を出すのは嫌)、
それでもメディアや娯楽の多様化でひと昔前のようなテレビのあり方に戻るのは無理だし、
あれだけの長寿番組で数字(視聴率)も取れていたみたいなので「お手本のような番組」でしょうが
だからといってたとえ形を変えたとしてもそこには活路は見いだせないんじゃないか
というのが正直な思いではありますけどねぇ。
まぁ、ヒントくらいにはなるかなという感じですが。
それよりも、引用の後半の「戦後民主主義」とかがここで出てくるのはかなり突飛な印象。
まさか、国会で「いいとも!」とみんなで叫ぼう! なんて話じゃあるまいし(笑)
もっとも本書の中身では、そこまで戦後日本社会とか戦後民主主義とかが述べられてるわけでもなく
大半は「いいとも!」の番組そのものと、タモリについてのことであり、
それにレギュラー出演者、ゲスト、スタジオ観客、番組スタッフなどについてのアレコレな話です。
実際にも「いいとも!」はタモリの類まれなる才能や感性によってのみ成立し得た番組でもあり、
それを見出して抜擢したプロデューサーの横澤彪氏の功績によるものでもあったわけで、
その意味でももう一度「いいとも!」でテレビ復活をなんて単純な話は無理な相談なわけです。
もちろん、本書でもそんな単純な話ではないですが、それでも本書を読めば読むほど
「いいとも!」を懐かしんでももうああいうテレビの時代には戻らないよなぁと思っちゃいますね。
そして、「終章」のところでその戦後民主主義うんぬんの話も次のように出てきます。
(以下引用)
たとえばそのことを、「戦後民主主義」という側面から考えてみることもできるだろう。
ただしここで言いたいのは、政治面というよりもむしろ、文化面における自由の実現を支
えるものとしての戦後民主主義的な価値観のことである。言い換えれば、個としての生き
かたの充足を最優先させる価値観である。 (引用終わり)
あぁ、そういう意味で戦後民主主義という言葉を持ち出してきているのね。
そして、「いいとも!」もタモリもその戦後民主主義的の筆頭じゃないの、という主張なんですね。
それについては異論なく受け入れられますな。
ただ、でも、その戦後民主主義=「個としての生きかたの充足を最優先させる価値観」という点でも
一度に多くの人に受け入れてもらう必要があるテレビ(番組)というのは難しい時代になってるのかなと。
ボクはまだまだテレビを観てますが(といってもリアル視聴はほとんどないですが)、
「個としての生きかたの充足を最優先させる」ために
好きな時間に好きな内容(部分)だけを選択的に視聴してるので、もうテレビ放送と呼べないと思うしね。
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