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文庫本「他者の靴を履く」ブレイディみかこ著を読了

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文春文庫の「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ」ブレイディみかこ著を読みました。

著者のブレイディみかこ氏も誰だよって感じでしたけど、
なによりもタイトルの「他者の靴を履く」ってどういうこと? と妙に惹かれたので読んでみました。
なお、本書は小説ではありません。

子どもがお父さん・お母さんの大きな靴を履いてみたくなるのは分かる気がするし可愛いのですが、
潔癖症でなくても大人になって赤の他人の靴なんて絶対に履きたくないし、
逆に赤の他人が自分の靴を履くのだってやめてくれ~という感じでしかないボクなんですが、
いったいぜんたい著者は何がいいたいの? というところです。

その本書の「はじめに」では次のようなことが書かれています。
                                  (以下引用)
 2019年に『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を出した。
(中略)                                   本
の中の一つの章に、たった5ページだけ登場する言葉が独り歩きを始め、多くの人々が
それについて語り合うようになったのだ。
 それは「エンパシー」という言葉だった。(中略)
 つまり、「共感」ではない他者理解があるよな、ということを前々から感じていた人
が多く存在し、それを言い表せるキャッチーな言葉がなかったところに、「エンパシ
ー」というカタカナ語が「誰かの靴を履く」というシンプルきわまりない解説とセット
になって書かれていたので、ストンと腑に落ちた人が多かったのではないか。
(中略)   なぜなら、米国や欧州にはエンパシーをめぐる様々な議論があり、それは
危険性や毒性を持ち得るものだと主張する論者もいる。すべての物事がそうであるよう
に、エンパシーもまた両義的・多面的なものであって、簡単に語れるものではない。
 ならば、そうした議論があることを率直に伝え、もっと深くエンパシーを掘り下げて
自分なりに思考した文章を書くことは、たった5ページでその言葉の「さわり」だけを
書いてしまった著者がやっておくべき仕事ではないかと感じるようになった。
 そうして出来上がったのが本書である。だから、これは『ぼくはイエローでホワイト
で、ちょっとブルー』の副読本とも言える。             (引用終わり)

ボクはもちろんその「ぼくはイエロー……」の本は読んでないですが、
それを読まないとこの本を読めないというわけではないようです。
要は本書は副題にもあるように「エンパシー」について書かれているというわけです。

でも「エンパシー」ってなんかもやもやっとしてる感じで、確かにピンと来ないし、
それと「他者の靴を履く」とどうつながってくるのかも腑に落ちないし、
さらに“アナーキック”エンパシーって言葉も“無政府状態”?ってくらいでわけわからん(笑)

 

ただし、第1章の冒頭では次のようなことが書かれていてやっと「他者の靴」の意味が分かります。
                                  (以下引用)
 わたしの息子が英国のブライトン&ホーヴ市にある公立中学校に通い始めた頃のこと
だ。  (中略)                               そ
の科目のテストで、「エンパシーとは何か」という問題が出たという。
 息子は「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えたらしい。「To put yourself in
someone's shoes(誰かの靴を履いてみること)」は英語の定型表現である。(引用終わり)

あぁ、「他者の靴……」は英語の定型表現からきているんですね。
家の中でも靴を履いたまま過ごす欧米人と必ずといっていいほど脱いでしまう日本人では
靴に対する感覚もまたまったく違っているでしょうから、
この英語の定型表現に対してボクら日本人がピンと来ないのは無理からぬことではありますかね。

 

それで、では「エンパシーとは何?」ということになるわけですが、
日本語では「共感」とか「感情移入」などと訳されるんだけど、
一方で似たような言葉で「シンパシー」というのもあり、
それも「共感」とか「同情」とかと訳されますから、違いがよー分からんです。

本書ではそのエンパシーとシンパシーの違いの説明もありますし、
エンパシーの種類やエンパシーという言葉の由来や歴史などについての説明もあり、
そこをスタートラインにしてエンパシーにまつわる様々なことを著者が思考し哲学していきます。

そして、エンパシー=共感と訳されてしまう日本にあっては
エンパシーはもろ手を挙げて歓迎されるようなものというイメージが強いですが、
他者の靴を履いて=他者の立場になって「他者の感情や経験などを理解する能力」とのことなので
良い意味でも悪い意味でもあるというか、良いも悪いもないことだとも言えるわけです。

ですから、著者も「他者の靴を履きましょう!」とも「他者の靴を履くな!」とも言ってない。
ただ、サブタイトルのように「アナーキック・エンパシー」は薦めています。

まぁ、その“アナーキック”というのも直感的にはよー分からないのですが、
本書をひと通り読み終えるとちその“アナーキック”の意味するところも、
その「アナーキック・エンパシーのすすめ」も分かる気がするし、賛同するところも多々あります。
ただ、結論的にそれをここに書いてしまうとネタバレみたいになっちゃうので、やめておきましょう。

代わりといってはなんですが、「あとがき」にこんなことが書かれています。
                                  (以下引用)
「他者の靴を履く」ために出た旅が、「足元にブランケットを敷いて民主主義を立ち上
げる」で終わった。特に足へのフェチがあるわけでもないのだが、自分がよく使って来
た「地べた」という言葉を鑑みても、どうもわたしには人間が拠って立つ足元に戻って
来てしまう習性があるようだ。                   (引用終わり)

「足元にブランケット……」とは余計にわけがわからん話だなと思われるかもしれないですが、
まぁ興味のある人は本書を読んでいただければそれも分かることでしょう。たぶんね(笑)

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