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新書「現実とは?」を読了

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ハヤカワ新書の「現実とは? 脳と意識とテクノロジーの未来」藤井直敬著を読みました。

著者の藤井氏は本書の略歴には「株式会社ハコスコ代表取締役社長。医学博士・脳科学者。
などと書かれていますが、本書の「はじめに」では次のような経緯も書かれています。

(以下引用)                              眼科医として
働いていたときもものを見るということは結局は神経の問題に帰着するという問題意識はあ
って、そこから始まって最終的には脳にすべての認知機能が帰着するのだろうと考えるよう
になった。(中略)
 しかし、その後のマサチューセッツ工科大学(MIT)でのポスドクから理化学研究所
(理研)での研究員を経て、社会性というものに目覚め、特に自分自身が苦手な社会的な適
応行動というものを理解することへと興味の中心が移っていった。そこでは、脳の中に完結
しない社会というものがヒトの脳と一体であること、そしてそれを含めて理解しないことに
はヒトを理解できないだろうと考えていた。               (引用終わり)

つまり、眼科医としてスタートして、脳科学者になって、社会学の領域にも広がっているということです。
そんな著者ですから、人間の目が何をどう現実として見ているのか、
人間の脳が何をどう現実として認知しているのか、
そして社会全体として何をどう現実として合意しているのか、などを考えていくことになるのでしょう。

 

では、本書で著者が「現実とは?」の答えが順を追って説明されているのかというとそうではありません。
同じく「はじめに」で、本書の構成を次のように書いています。
                                    (以下引用)
 本書で扱っている現実科学レクチャーシリーズは2020年から始めたオンラインイベン
トであり、毎回ユニークな研究や活動をしている有識者をお招きし、それぞれの視点から現
実とは何かを語ってもらっている。(中略)
 これまで30回以上開催して毎回異なる議論が行われ、毎回異なる定義へと落ち着く。この
全員の異なった現実定義こそが一番大事で、そこを起点としてわたしたちは「現実を科学し、
ゆたかさをつくる」試みを始めることができる。本書はその実験の記録である。(引用終わり)

つまり、本書の中では著者自身が「現実とは?」について直接語って(著して)おらず、
8名の有識者の方にそれぞれ各章に分けて「現実とは?」のお題に沿って語ってもらってます。

もう少し詳しくいうと、各章の最初に「#レクチャー」としてその有識者の方の語りがあり、
続いて「#トーク」としてその有識者と著者の対談と「#Q&A」(これも対談形式ですが)、
そして「振り返り」として著者の総括と著者の一部意見が書かれているという構成です。

その有識者としては、稲見昌彦、市原えつこ、養老孟司、暦本純一、今井むつみ
加藤直人、安田登、伊藤亜紗、となっています。
ボクが知ってる(といっても著者の本を読んだくらい)のは養老氏と今井氏だけですね。

 

で、先ほどの引用部分でも「毎回異なる定義へと落ち着く」などと著者が書いているように、
「現実とは?」の問いに決まった定義も結論としての答えもないし、書かれてもいません。
だから、それについてここで書くこともできませんし
だからといって8名のそれぞれの異なった話を紹介するわけにもいきませんので書きません。

というわけで、なんだかモヤモヤとした記事にしかなりません。
というか、本書を読んでもそのモヤモヤが残ったままになりますが。
もちろん、いろいろと考えるヒントになるというか考えるスタートにはなりますけどね。

でも、かなり難解なところも多かったなというのが全体を通じての率直な感想ですかね。
まぁ哲学的なところもある話ですから難しいのは当たり前ということもありますが、
対談みたいなところでは2人だけで話が先鋭化していく傾向もあり
読み手側の視点がなくなり読者は置いてきぼりにされるような感じにもなりがちなのでねぇ。

 

そんな本書ですが、主題についての本質部分ではないのですが、
今井むつみ氏との対談の中でちょっと興味深い話があったのでここで紹介しておきましょう。
                                    (以下引用)
今井 あ、でもそれは日本語にない表現だからかもしれません。例えば、匂いも抽象的な概
念ですが、日本語に香りや匂いを表す語彙ってほとんどないんですよね。例えば「甘い薫
り」という表現は、もともと味の表現から借りてきたものです。ワインのソムリエも、「鋭
い」「甘い」のようにほかの感覚から転用した語彙や「チョコレートのような」「ベリーの
ような」といったモノの香りや味を転用して匂いを表現します。その一方、匂いに関して多
くの語彙をもつ言語では、私たちがカテゴライズしていない匂いに対して「こういう匂い」
ということばをもっていて、しかもその分類が非常に正確になされているんですよね。
                                   (引用終わり)

あぁ、日本語では匂いを表す語彙はないんだけど、世界では匂いを表す語彙をもつ言語もあるんだ。
ここではこれ以上言及されてないのですが、どんな言語でそのような語彙を持ち、
その言語を話す民族はどのような食生活などをしていて、
それと匂いを表す語彙の関係とか由来とかがどうなっているのかって興味が湧いてきますねぇ。

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