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オーストラリア・パースへの出張(キネティックサスの適合)

このスバル・カテゴリーの記事としては、前回までにキネティックサスを搭載した試作車を作り、
それをキネティック社のあるオーストラリアのパースで1次適合(セッティング)をした後に
日本に送って、(ボクが不在時に)関係者の試乗会をして、
結果的にキネティックサスの先行開発の中止が決まったことを書いてきました。

今回はその時のオーストラリアの出張について他愛もない話をちょっと書いてみようと思います。

海外出張・カテゴリーの記事となると前回記事は2004年8月のプロドライブ社への出張でしたが、
今回のオーストラリア出張はそれよりも1年前の2003年7月~8月のことになります。

また、パース(Perth)は西オーストラリア州の州都、つまりオーストラリア大陸でも西の方にあり、
日本から直行便はないので、東側のシドニーから国内便で約3300kmも移動することになります。
それもあって大変な目に合うことになったのですが、まぁその話はまた後で。。。

 

で、スバルからというか日本からは実験部門のボクの他、設計部門から2名の計3名が出張しました。
設計部門の2名のうち1名はボクと同期入社のSo氏で
現場応援(会社が赤字の時に工場ラインで働かされた)の時も一緒だったよく知っている人ですが、
その時はボクが担当(係長相当)だったのに対して主査(課長相当)と役職はボクより上でした。
もうひとりの設計者は中途入社から間もないくらいのかなり若いSa氏という布陣となってました。

ただ、設計の2人とも海外出張は初めてということもあり、この出張チームのリーダーは何故かボクに。
同期でも役職がボクより上のSo氏と逆転してしまっていてなんだかややこしい状況。
ボク自身はそういう上下関係にあまり拘ることなく、業務に必要なことをやるだけというスタンスですが、
キネティック社から見るとなんだか不思議な関係に思えたんじゃないかと。。。

さらに、実際の適合作業では、走行実験をするボクとキネティック社のエンジニアが主体となるけど、
じゃぁスバルの設計者は何をするのかと言えば、少なくとも2人も必要となることはなく、
まぁ主査のSo氏も実務担当者のSa氏も勉強のためとか視察みたいな側面もあったようですが。

さらにさらに、本来はサーキット等で走行実験するのは実験部門のボクだけで十分なのですが
Sa氏が走ってみたいとか言い出して、それを制止する権限はボクにはないわけで、
まぁこのキネティック・サスの成否は設計部門の(生産性や信頼性のリスクに対する)
本気度に係っているとボクは思っていたので、設計がその気になるのなら体験するのも良いかなとも。

という3人衆だったので、傍から見ると、特に役割や権限が明確に分業されている欧米文化からすると
こいつら日本人3人はどういう集団で仕事してんだろうと疑問に思われていたことでしょうね(笑)

なお、3人ともに英会話能力がイマイチなレベルでしたが、
キネティック社には非常勤(?)の日本人社員がいて現地での通訳などもしてくれたので、
なんとか業務ができたという感じでした。
もっとも、専門用語を使った技術的な会話自体はつたない英会話力でもなんとかなるんですけどね。

 

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キネティックサスの適合などは主にサーキットを貸し切って実施しました。
ここはバルバガッロレースウェイ(Barbagallo Raceway、現ワネルーレースウェイ Wanneroo Raceway)
という筑波サーキットよりちょっと長いけどそこそこアップダウンがあって楽しめる、、、
いや評価試験にはそこそこ適したサーキットでしたね。

他にももっとタイトでバンピー路面のミニサーキットのようなコリーレースウェイ(Collie Raceway)も
使いましたけど、その時の写真はありませんでした。
またコリーレースウェイは今調べると Collie Motorplex ってな名前で
結構立派なサーキットになってるみたいですが……

まぁ、仕事の話はこのくらいにしておきましょうか(笑)

 

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近くの私有地なのかよくわかりませんが、参考にということか余興なのかもよく分かりませんが、
ウニモグなどでの悪路走破性体験みたいなのもやらせてもらいました。
もちろん、このウニモグにもキネティックサスが組み込まれていたわけですが。

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左画像はキネティック社の事務所の敷地内。
事務所といっても閑静な住宅街か別荘分譲地の一軒家みたいな佇まいな建物でしたけど。

白の2代目涙目インプレッサはキネティックサス組み込みの試作車・試験車なのですが、
それ以外のインプレッサはキネティック社の移動用社有車や社長・従業員の自家用車。
そう、社員20人ほどのキネティック社はけっこうスバル愛用者が多いのでした。

ただ、初代インプレッサにカップホルダーが標準で装備されていることは誰も知らず、
ボクが何気なく右画像の水色矢印の部分を引き出してカップホルダーを出現させたら
社員全員が仰天して大騒ぎになったという笑い話がありましたけど(笑)

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これはVWビートルにレオーネ用のEA82エンジンをぶちこんじゃってる社員さんのクルマ。
後日、右画像のようにジムカーナ競技で楽しんでいることをEメールで連絡してくれました。

他にも、最後の打ち上げパーティみたいなのはそこそこ盛大にやってくれて、
ホテルのロビーで待っていたら運転手つきロールスロイスで送り迎えしてくれたり、
社長の邸宅(といってもちょっと豪華なくらい)にお呼ばれしたりと楽しんできました(汗)

そうそう、この時の社長、当時50歳代で「もうすぐアーリーリタイアするんだ」と言ってたけど……
ボクがアーリーリタイアや早期リタイアという概念に初めて触れたのはこの時だったかな。
もっとも社長として成功してリタイアするのと、ボクみたいにショボイ早期リタイアとは違いますが。

 

さてさて、冒頭に少し話を出したシドニーでのトランジット(乗り換え)の話ですけど、
航空便の手配などはスバルの子会社のスバル興産(スバルトラベル)にお任せとしていたんですが、
往路のシドニーでの国際便→豪州国内便での乗り換えが1時間ちょっとしかなかったんですよね。

オーストラリアって入国審査がやたらと厳しくて長蛇の列になっていて
もうギリギリのタイミングとなってしまい、超焦るハメになってしまいました。
オーストラリアは検疫が厳しいのでかなり時間がかかるということを知らなかったんですよね。
というか、スバル興産に任せっきりなので自分たちで調べることもしなかったし。

ただ、それはなんとかなったしまだマシなことだったんですよ。
というのも大問題は帰りの便でのトランジットで発生したのですが……

豪州国内便でパース→シドニーまで飛んだはいいけど、
シドニー→日本の国際便がなんと翌日になってたんですよね。
なのに、ホテルとかの宿泊予約など何もされてない!

それどころか、シドニーに着いた時点で空港からのシャトルバスなども既に終了状態なので
空港から一歩も出られない状態に。
結局、空港の待合室のプラスチック製の椅子に座ったまま仮眠をとって一晩を過ごすハメに。
おまけに耳元ではフロア清掃の掃除機とポリッシャーでブォーンブォーンいってるし。

スバル興産にしてやられました。まぁ、自分たちでちゃんと確認しなかったのが悪いんですがね。

 

というわけで、オーストラリアのパースはほんとにのどかでいい感じの土地柄でしたし、
キネティック社の全員がとても温かく親切に対応してくれて仕事も順調にこなせて、
楽しい想い出も多かったのですが、最後にしてやられた出張となってしまいました。

次回のこのスバルカテゴリーの記事は、このオーストラリア出張に続くような形で
2003年10月にGMのAWDシンポジウム参加としてアメリカ・デトロイトに出張した話を
サクッとしようと思います。

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