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単行本「科学と資本主義の未来」を読了

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東洋経済新報社の「科学と資本主義の未来〈せめぎ合いの時代〉を超えて」広井良典著を読みました。

ハードカバーではないですが単行本サイズで総340ページ超なのでそこそこずっしり重い本です。
価格も2000円+税ですから無職が興味本位で買って読むには無駄な出費とも言えますが、
それでも科学の未来も資本主義の未来も揺らいできている昨今ですから
今後どうなるのか関心がありますので、勢いで買ってしまい、読んでみることになったわけです。

まず、著者の広井良典氏ですが、もちろんボクの知らない人なんですが(汗)
京都大学 人と社会の未来研究院の教授ということです。
スタンスとしては「定常型社会=持続可能な福祉社会」を提唱しているとのこと。

そして、本書の「はじめに」では次のようにはじまっていきます。
                                     (以下引用)
 私たちが生きる現在という時代は、次のような二つのベクトルの“せめぎ合い”の時代とし
てとらえることができるだろう。
 すなわち第一のベクトルは、いわば「スーパー資本主義」あるいは「スーパー情報化」とも
呼べるような方向である。(中略)
 他方、第二のベクトルは、「ポスト資本主義」あるいは「ポスト情報化」と呼びうるような方
向である。それは、一部にはなお表層的な動きも存在するが、若い世代を含め人々が地球資源
あるいは環境の有限性ということに関心を向け始めるとともに、「限りない拡大・成長」よりも
「持続可能性」に軸足を置いた経済社会のありようを志向し、併せてそこでの分配の公正という
課題や、コミュニティないし相互扶助的な価値、ひいては人間にとっての“幸福”や豊かさの
意味を再考していくような動きである。(中略)
 こうした関心を踏まえ、「科学」と呼ばれる現象と、それと表裏の関係にある資本主義/ポス
ト資本主義の展望をトータルに構想し、科学と社会の新たなビジョンを提案するのが本書の目
的である。                               (引用終わり)

一見すると小難しいことが書いてあるようにも感じますが、
今までの資本主義はこのままで未来があるのか、持続可能なのか、という問題と
科学技術というものを一緒にして考えていこうということでしょうから、
ボクの興味というか疑問に対する答えとまでいかなくても何かしらのヒントがあるのを期待しましょう。

なお、ボクは資本主義の未来を必ずしも否定しているわけでも悲観しているわけでもないですが
それでも経済成長をし続けなければならない、物価は上がり続けないと、給料も上がり続けないと、
そのために大量に生産(GDP)し続けないと、さらにそのために大量に消費し続けないと……、
さらにさらに世界人口も増加し続けないといけないという
従来からの資本主義のモデルが正しいのかどうか、疑問を持っているのは確かです。

でも一方で持続可能ないわゆるポスト資本主義が具体的にどんなものでそれが実現可能なのか、
それについてもどうなんでしょう? と懐疑的なところがあるのも確かです。

 

さて、本書の核心部分をここで紹介しちゃうとネタバレになっちゃいますので、
それは興味のある方のみ本書を読んでいただくということにして、
本論とは少し外れた枝葉末節に近いところでちょいと感じたことなどを紹介しておきましょう。

以下は所得の平等度の指標であるジニ係数を各国で比較した話です。
                                     (以下引用)
 ちなみに日本は、以前は大陸ヨーロッパと同程度の平等度だったが、90年代頃からこのグラ
フの右の方に徐々にシフトし、つまり次第に格差が拡大し、現在では先進国諸国の中でもっと
も格差が大きいグループに属しているのである。
 後の議論ともつながるが、日本において格差が大きくなっているのは、政府による税や社会
保障を通じた「再配分」が弱い(あるいはそれに対する社会的合意が弱い)ことが背景にある。
                                    (引用終わり)

昭和時代に一億総中流とか呼ばれていたのは昔のことで、そこから格差社会にまっしぐらなんですが、
それでも日本はアメリカ、イギリスに次ぐ格差社会になっていたとは知りませんでした。
北欧社会は福祉国家として格差が少ないのは理解してましたけど、
フランスやドイツなどと比べても格差が大きいというのは、ガーン!そうだったのかという感じ(驚)

高所得層がどんどん増えていって格差が大きくなったのならまだマシですが
日本の場合は貧困層がどんどん増えていった結果の格差拡大ですから問題が大きいのでしょう。
つまりは書いてある通り、政府による再配分が弱いのが問題の根源なのだと思います。

 

てな感じで、大枠としては著者の主張には納得できる部分が多いのですが、
後半の高齢者についての記述には次のようなくだりがあり、少し違和感を持ちました。
                                     (以下引用)
 まず、高齢者と一口に言っても、高齢者の間で相当な違いがあり、それを一律に論じるのは
ミスリーディングである。そして、現在の日本の年金制度では、以下に述べるように高齢者の
間において年金給付のあり方に大きな不均衡が生まれている。
 つまり一方では、高齢者のうち比較的高所得の層が(高所得者であるがゆえにそれに応じて)相
当な額の年金を受給しているかと思うと、他方では、国民年金ないし基礎年金は満額(40年加
入)で約6万5千円だが(2021年度)、満額を受けているのは一部にとどまり、(中略)
 このように、大きく言えば“本当に必要な層に十分な年金給付がなされない一方で、高所得
高齢者には現役世代からの過剰な移転を伴う給付がなされている”というのが日本の現状であ
る。                                  (引用終わり)

何が違和感かというと、相当な額の年金といっても厚生年金の理論上の最高額は月に30万円程度です。
それも、20歳から年収800万円近く以上を40年間に渡って続けてきたならば、という条件なので、
ほとんどの人(世帯ではなく1人当たり、65歳から受給)はよほど多くても20万円程度です。
※ボクはそんな額にも全然およびませんけど(憐)

確かに国民年金だけの人に比べれば相当に多いのは事実ですが、
かといって国民年金は義務(税)ですからそれを収めてない人まで持ち出して比較するのも変だし、
(それでも最後は生活保護もありますし)
少なくとも現役時代の格差に比べれば問題にならないくらいの差でしかないと思いますが。。。

むしろ、現役時代に高収入で、そのままのライフスタイルで老後に突入してしまう人たちの方が、
年金だけではとても暮らしていけず老後破産なんて事態に陥りやすいという問題があります。
まっ、それはそれで自己責任でもあるわけですけどね。

なんにせよ、「高所得高齢者には現役世代からの過剰な移転」というのはやや不適切な見解かと。
むしろ、若いとか高齢者とかは無関係に現役世代から使い切れないほどの高所得を得ている人に
きちんと社会保障費=税をたくさん払ってもらうような制度にするというのがあるべき姿かと。

あるいは、「親ガチャ」問題是正のため、高額な遺産相続はもっともっと税金を高くしてもいいし、
それを子どもたちへの教育・養育費への支援に充てるとかするべきかと。
これこそが「再配分」というものではないでしょうかねぇ。知らんけど(汗)

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