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単行本「『選択的シングル』の時代」を読了

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文響社の「『選択的シングル』の時代」エルヤキム・キスレフ著、舩山むつみ訳を読みました。
原題は「HAPPY SINGLEHOOD THE RISING ACCEPTANCE AND CELEBRATION OF SOLO LIVENG」
とかなり長ったらしくて、直訳してもよー分からんのですが……
でも最初に“HAPPY”となっているのでシングル=独身を幸せなものとして肯定的に扱っているのでしょう。

著者のエルヤキム・キスレフ(Elyakim Kislev)氏はイスラエル・ヘブライ大学の教授らしいので、
本書は生涯未婚率が高くて少子高齢化と合わせて社会問題となっている日本だけの話としてではなく
世界的な傾向として独身者、特に独身でいることを積極的に選択した人たち=「選択的シングル」について
そのような背景、問題点、メリットなど様々な視点から考察され述べられています。

なお、著者自身もシングルということであるようです。なので自己肯定の本でもあるかな。

本書の「プロローグ」ではその辺りのことも含めて本書の狙いを次のように書いてあります。
                                   (以下引用)
 私自身、現在でも独身だが、今となっては、自分たちは大胆でも美しくもなかったのだ
とよくわかる。
 私たちはただ、行ったり来たりしていただけだ。目的もなく、走り回っていただけだ。
それはまるで、毎日、地下鉄の線路で見かけた、飢えと不安にさいなまれて走り回るネズ
ミたちの姿と同じだったかもしれない。
 
(中略)                              本書が目指すの
は、読者の皆さんに、シングルの時代の到来を示す世界の動きと、その背後にあるメカニ
ズムを正しく認識してもらうことだ。
 同時にこれは、次の問いに対する答えを見つけるための旅路でもある。それは、「どう
すれば、シングルの人たちは幸せに生きられるか?」という疑問だ。
 そして、本書を執筆するにあたっての私の使命は、幸福に生きているシングルの人たち
の生活と統計を深く掘り下げて研究し、シングルで生きることを選んだ人たち、または結
果的にシングルとして生きている人たちのために道を切り開くことだ。  (引用終わり)

ボク自身もシングルであるわけですが、積極的にシングルであることを選択したというよりも
いわゆる結果的にシングルとして生きているということの方が強いかなと思うので、
つまりは「大胆でも美しくもなかった」「地下鉄の線路で見かけたネズミたち」なわけです(憐)
って、日本の地下鉄の線路でネズミを見かけることもないので比喩的表現にピンと来ませんが。

それに、本書のタイトルから「結果的シングル」ではなく「選択的シクングル」を扱っているわけですが、
それでもいちおう「結果的シングル」についても完全スルーされているわけでもないようですし、
その「結果的シングル」には死別や離婚を経ての人たちも含まれているので
ボクのような「なりゆき生涯未婚のシングル」はむしろ「選択的シングル」に近いのかもしれないです。

 

それから、ボクはだいぶ以前に「結婚しない男たち」という本を読みました。
内容的には本書もそれと通じるところもなくはないですが、
本書は日本だけでなく、先進国だけでもなく、世界的な潮流として書かれていますし、
男性だけでなく男女関係なしに話は展開されています。

むしろ、本当に積極的に「選択的シングル」をしているのは男性よりも女性の方が多いのかもしれません。
それはたぶんに社会や家族・親族との関係に置いて結婚するかどうか・子どもを産むかどうかなどが
切実な問題として否が応でも選択を迫られることが女性の方が多いからなのかもしれません。

男性がみんなそうでもないでしょうが、ボクみたいにのほほんと生きてきて気づいたら未婚中年になってて
そこからもなんとなくこのまま独身でいいかなぁと結果的シングルになったのとは違うんでしょうね。

 

それで、本書の内容は上述のようなことから、(選択的)シングルが世界的に急速に増えていること、
その(選択的)シングルは幸福=ウェルビーイングが高いこと、そのような幸福なシングルの未来、
さらに将来の社会への提言というようなことが書かれています。

ただ、一般的にシングル増加のマイナス面として語られることの多い、少子高齢化と人口減少について
(それ自体はシングル増加だけに原因があるわけでもないし、マイナス面ばかりでもないが)、
さらにそれによる社会保障費増大、労働者人口減少や経済の停滞などなどについて
真正面から対峙した議論が展開されているわけではないので、少し消化不良な感じも否めませんけどね。

まぁ、そこまで議論を広げると、個人の思想信条とも大いに関わり収拾がつかなくなるのでしょうが。。。

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