新書「量子で読み解く生命・宇宙・時間」を読了
幻冬舎新書の「量子で読み解く生命・宇宙・時間」吉田伸夫著を読みました。
タイトルからすると、生命とは何か・宇宙とは・時間とは……こんな根源的な問題に対し
量子論あるいは量子力学を用いて読み解いていくとこうなるよ、ってな内容かなと。
それで、帯にも書いてあるように「日常のあらゆる常識の理由を、量子は知っている!」と
やや大仰に書かれているのかなと思って本書を手に取ったのですが。。。
実際は、本書は量子論を解説している本でした。量子力学ではなく。
って、量子論と量子力学の違いもあんまりよく分かってなかったボクですけど、
いちおう量子論も量子力学もなんとなく聞きかじった程度で
難解だけどそういうもんなんだとモヤモヤ~と表面だけ知ってる気になっていたんですが。
本書の裏表紙には次のようなことが書かれていて、それが本書の内容になってました。
(以下引用、改行位置変更)
生命は活動し、物体は形を持ち、時間は流れる。物質や光の最小単位・量子は、これらのあら
ゆる現象と関わりを持つ。だが量子には謎が多く、運動方程式など、私たちが住むマクロ(巨
視的)な世界の物理法則が通じない。その正体すら判別できず、教科書でも「粒子であり波で
もある」という矛盾を孕む説明がなされる。本書では「粒子ではなく波である」という結論か
ら出発し、量子を巡る事象の解明に挑む。 (以下省略、引用終わり)
はい、ボクも光=光子も電子も「粒子であり波でもある」と習ったしそう聞いてきたし、
素粒子としてそういう最小単位の粒子が存在するんだとイメージしつつも
でも波なんだ、わけわからんけどそういうもんなんだ、と理解しようとしてきました。
でも、著者によれば波なんだと。波、波動として捉えれば矛盾はないんだと。
まぁだからと言って、粒子としての存在を完全に否定しているわけでもないんですけど。
そして、本書の「はじめに」でも次のように書いてあります。
(以下引用)
こうした見方を踏まえて、本書では、ハイゼンベルクらによって数学的に構築された量子論
ではなく、しばしば異端とされるアインシュタイン、シュレディンガー、ヨルダンの描像を利
用し、量子論的な現象を波動のイメージに基づいて解釈する。そうすることによって、物理現
象の根底にあるのが何かがはっきりと見えてくるはずである。 (引用終わり)
ヨルダンという人はボクは知りませんでしたが、
シュレディンガーは「シュレディンガーの猫」として有名で、
これは量子力学を説明するものではなくむしろそれを否定あるいは皮肉るものとして出されたものです。
また、アインシュタインは相対性理論として天才科学者とされているものの
こと量子力学に関してはアインシュタインの主張はことごとく否定されたいうイメージでしたけど、
本書によるとそうではないということのようです。
(以下引用) こんにちボーア=アインシュタイン論争として語られる一連の出来事は、ほと
んどがボーア側の証言に基づいて紹介されるため、保守的なアインシュタインに対して革新的
なボーア陣営が勝利したという記述が多い。しかし、論争の内容を物理学的に検討すると、む
しろ、アインシュタインの側に軍配を上げたい。 (引用終わり)
その理由については、ここで簡潔に紹介できるだけボクの理解も追いついてないし
ネタバレにもなりかねないので、興味のある人は本書を読んでいただくとして。
ただ、ボーアvsアインシュタインはそもそもアプローチの仕方がまったく違っていて
そこに面白さがあるし、またそこが量子力学(量子論ではない)のあり方にも関係しているのでしょう。
(以下引用)実際に2人の論文を読み比べてみると、それほど単純な話でないことがわかる。ア
インシュタインが具体的なイメージに基づいて量子の謎に挑んだのに対して、ボーアはさまざ
まな数式をつぎはぎしながら実験と一致する理論を模索しており、真理を探究する姿勢に大き
な違いが感じられる。結果だけを見ると、アインシュタインが自分のイメージを理論化できな
かったのに対して、ボーアは有用な原子模型の模索に成功したため、歴史的な評価に差が生じ
たようだ。 (引用終わり)
これを読むと、なぜ量子力学がイメージができなくて難解なのかが納得できてしまいますね。
もともと物理結果を形式的に数学で表現さえできればそれでいいというのが量子力学の考えなので、
イメージできなくていいし、イメージしちゃいけないし、イメージしたら矛盾だらけなわけですな。
それに、そもそも「量子」という言葉はアインシュタインが言い出したというのも意外でした。
(以下引用)
ヨルダンより20年以上も前に、アインシュタインは、光とはエネルギーの塊が集まったもの
と見なせることに気がつき、この塊をエネルギー量子とか光量子と呼んだ。「量子」という表
現は、アインシュタインの用語法に起源を持つ。 (引用終わり)
量子は英語では quantum と呼ばれ、十分な(エネルギー)量という意味を持つようです。
日本語で“子”がついてるので分子・原子・素粒子のように勝手に粒子と決めつけがちですが
そもそも量子=quantum という言葉には粒子という意味合いはほとんどなかったんですね。
そして、本書ではそうした量子論の歴史というか成り立ちとか、量子論の本質議論だけでなく、
終盤では量子コンピュータ、量子もつれ、ベルの不等式などにも言及されてますし、
本文中ではなく「おわりに」にではありますが、超ひも理論などにも言及されています。
これらについてもここで紹介しきれませんし、ボクのそこまで理解できているわけでもないですが、
なんにしてもいままでイメージできなかったこと、生理的に受け入れ難かったことが、
かなりすっきり頭の中に入ってくるような内容になっていました。
まっ、実生活ではほとんどなんの役にも立たないことなんでしょうけど、
このすっきり感を得られたというだけでも本書はボクにはかなり役に立った一冊となりました(笑)
| 固定リンク
コメント