「最新・いせさき発掘」@赤堀歴史民俗資料館を見学
10月13日から12月24日までの期間、赤堀歴史民俗資料館にて、
伊勢崎駅周辺の発掘調査で発掘されたものの展示がされているというので
ちょっくらフー太郎で行って覘いてきました。
ここ赤堀歴史民俗資料館へは今までもちょくちょく来ていますけど、
直近ではこの時の「密な古墳」展以来ということで約2年ぶりになりますかね。
もちろん、入場無料です。
この伊勢崎周辺の発掘調査はここ数年の土地区画整理事業による道路や公園等の整備にて
掘り起こされた場所での発掘ということで、ボクも何度が発掘しているのを見かけました。
ひとつは伊勢崎駅南西の曲輪町(くるわちょう)地区あたりでの発掘で、
もうひとつは伊勢崎駅北西の喜多町(きたまち)地区あたりでの発掘です。
喜多町での発掘は4年前のこの時にも見かけていたのでかなり長期間やっていた感じですね。
こんな感じで1階入り口のロビーというか常設展の入り口前に空スペースに展示してあります。
これがすべてというわけでもないのかと思いますし、ここに映っているの2倍くらい展示してあります。
超歴史的なお宝というほどの遺跡が発見されたというわけでもないみたいですけど、
それでも住んでいるすぐ近くからいろいろと発掘されたというのはなんとなくワクワクしますかね。
年代的には古墳時代のものも出土しているようですが、これらは喜多町地区からのものです。
曲輪町地区は伊勢崎(伊勢前)城(旧・赤石城)のお堀辺りに位置することもあり
戦国時代以降の様々なものが出てきており、特に江戸時代・明治時代・戦中のものが多いようです。
左:便器と厠下駄(薄緑色のもの)。厠下駄ってこれ履いて歩けないでしょと思って説明員に訊いたら、
備え付けで足の置き場を位置決めするためのものなのだそうです。
帰宅してから調べたら主に男性用便器での立ち位置決めとして昭和初期まで使われていたらしい。
一般家庭用というよりも商業施設などで使われたようで、「一歩前へ」の強制版かな(笑)
中:表札とかありますが、ど真ん中の白い石の表札。
非常に薄いので分かりづらいですが、林の下半分含めて「〇林桂助」と読めます。
これっておそらく小林桂助で、それはハッカ貿易で財をなし、旧時報鐘楼を全額寄付した人ですね。
右:茶色の不気味な塊りは、なんと何枚ものレコード盤が熱で溶けただれてしまったものです。
どうしてこうなったかというと例の伊勢崎空襲(日本降伏前夜の米軍フィナーレ爆撃)によるもの。
たかがレコード盤ですけど、それでも米軍・米国に対する怒りと腹立たしさが募りますなぁ。
なお、この曲輪町の発掘現場は、こちらの伊勢崎空襲レンガ遺構のすぐ近くです。
他にも興味深いものが幾つかありましたし、写真撮影は基本的にOKでしたけど、
すべてを紹介することはできませんので、このくらいとどめておきますかね。
これは発掘調査とはまったく関係ないのですが、屋外の入り口付近に置いてあったもの。
「毒島城(ぶすしまじょう)の毒臼(どくうす)」。
「蛇体合戦記」なる謂れがあって、簡単に言えば、
戦でブスという植物をこの石臼でついて毒物をつくらせ、沼に注いだら大蛇が現われ……
ってなことなんだそうです。
ただ、その「蛇体合戦記」は原本も写本も失われて詳細不明とのことだそうです。
それはそれですが、その「蛇体合戦記」は桐生良輔なる人が書きとめたらしく、そこは気になるかな(笑)
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