大泉町文化むらの資料館を覘いてきました
10年前まで住んでいた大泉町のアパートの裏手にあった「大泉町文化むら」という町営施設、
ちょっとした音楽ホール、芸能発表、研修などに使用されるような施設ですが、
大泉町に住んでいたころはほとんど行ったことがありませんでした。
散歩の時に通ったりしたり、この時などに(おまけ画像の)撮影などに勝手に利用したりしてましたが、
施設内に入って利用したのは、たぶんこの記事の元となった
2004年にASIMOを観に行ったときくらいだけかな。
そんな「大泉町文化むら」がいつの間にか「洋泉興行大泉町文化むら」ってなスポンサーネーム付になり、
まっどこの市町村でもスポンサー付の長い名称になってるのでそれはいいんですけど、
記憶の限りでは昔は無かった「資料館」ってのがあることに気付いたので
ちょいと覘いてみることにしました。
茶室(左)、蔵(右)、母屋、展示棟、それと厠(かわや、トイレ)がありますが、
茶室は申込みがないと入れませんし、蔵も鍵がかかったままで見学は出来ません。
管理人みたいな人は誰もいませんが、それ以外の建物には自由に無料で入れるようです。
母家は明治40年築のをここに移築したとのことです。
土間で靴を脱げば各部屋、さらに2階の部屋まで自由に入れます。
それぞれの畳の部屋には何があるわけでもないのですが、昼寝してても大丈夫そうです(笑)
2階は養蚕部屋として作られているとのことですが、それより柱・梁の太さに圧倒されますね。
民俗資料展示棟は長細くなってます。
昭和の時代、戦前・戦後くらいの暮らしを展示しているのでしょうけど、
それぞれについての説明は特にありません。
そんな中で異彩を放っているのが、最右の「500ポンド爆弾」です。
大戦末期にB29から投下されてた不発弾ですが、なんと発掘されたのは昭和41年になってからで、
しかもその時に20発も発掘されたそうですから、怖ろしいですなぁ。
というか、不発の確率もそうとうに高かったということですかね。
展示棟の端、半屋外に通称「ネコ窯」と呼ばれている焼き物の窯があります。
また、母家と展示棟の間に厠というかトイレらしきものがあって入れそうでしたけど
特に尿意もなかったのでスルーしてしまいました。
後から考えたら、今風のトイレだったのか昔風だったのか、どんな便器の形だったのか、
見ておくべきだったと後悔しましたが、まぁまた機会があれば見にいきましょうかね(笑)
そんなわけで、無料で勝手に見られるにしては、それなりに楽しめる資料館でしたよ。
おまけ画像、というかおまけ情報
大泉町の住宅街にひっそりとあった「蕎麦処 一竹」、どうやら閉業してしまったみたい。残念。
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