新書「会社のなかの『仕事』社会のなかの『仕事』」を読了
ただ、目次を眺めると、「ハドソン川の奇跡」とか「池井戸潤」とか「かりあげクン」とか出てきて、
それらと仕事がどう関係してんの? と興味が湧いてきて、買って読んでみたという次第です。
また、サブタイトルで「資本主義経済下の職業」なんて書いてあっても、
資本主義経済下の日本ではそんなの当たり前というか大前提だし、
社会主義や共産主義下の職業なんかどうでもいいと思いきや、
途中ではソ連について書かれていて、しかも戦後日本のソ連化という文脈が書かれています。
それが社会主義と会社主義という対比ともなっており、
だからこそ会社のなかの/社会のなかの仕事というタイトルともなっているというわけです。
あまり詳しく紹介すると部分的でもネタバレになってしまいますが、ちょっとだけ紹介します。
(以下引用、注釈や参照などは省略)
この本の訳者である半谷史郎は、このような後期社会主義ソ連の社会について、「社会主
義の正しさを信じ、なおかつ社会主義に反することをする――このような矛盾する要素の併
存こそ、実は後期ソ連の社会のあちこちで見られたこの時代の特徴なのだ」
と述べています。ここで、社会主義を「会社主義」(集団主義的、権威主義的で形式主義的だが
人々に安定した雇用を保障する日本型経営のあり方をよしとする考え方)と言い換えれば、同じ
ことは当時の日本にも当てはまるでしょう。バブル崩壊の前夜、「会社主義の正しさを信じ、
なおかつ会社主義に反するようなことをする」ようなふるまいが、日本の各地で見られまし
た。 (引用終わり)
なかなかユニークな視点ですし、会社主義というのはこれまたよく分かる話です。
個人的にはこの会社主義というのはもっとも忌み嫌っていたものですが、
それでも会社で仕事をする以上はある程度はその世界のなかで従わざるを得ないことでもあり、
そしてボク自身もそれをある程度は受け入れて仕事をしつつ
その会社主義に反するようなこともしていたのも事実ではありますからね。
ただし、本書では今はもうその会社主義からは変わりつつあるとしています。
(以下引用) しかし、ソ連が崩壊し、日本が本格的に「アメリカ化」す
ると、管理教育は自己責任を重視する「個性教育」=「ゆとり教育」へと、「会社主義」は
新自由主義的な「業績主義」へと変容し、「抑圧的だが安定した社会」は終わりを告げます。
(引用終わり)
まぁ、会社主義がまったくなくなったかというと、会社や業態によっても違いはあるでしょうけど、
それでも会社主義はまだまだ残っているんじゃないでしょうかねぇ。
だからブラック企業とかやりがい搾取とかはなくならないわけですし。
むしろ、会社主義が根強く残っているにも関わらず表面的には業績主義を装うことで
余計に軋轢が大きくなってよりブラックになっているようにも見えますけどね。
なお、冒頭に書いたように、早期リタイア、仕事をしてない人に対する風当りみたいな話はありません。
それどころか、「おわりに」では次のように書かれています。
(以下引用)
「元気な人はもっと元気に、そうでない人はゆるく生きられる社会」というのが、私の考え
る理想の社会のあり方で、本書は、そのビジョンを、「職業」という概念を軸にまとめたも
のと言えます。 (引用終わり)
ボクは決して元気でない人ではありませんし、少なくとも今は心身ともに健康ではありますが、
それでも仕事はもうしたくないのでゆるく生きているわけですから、
その意味では著者のビジョンに沿った生き方をしているということになりますかね(笑)
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