新書「古代史のテクロノジー」を読了
PHP新書の「古代史のテクノロジー」長野正孝著を読みました。
著者の書いた本は、以前にも「古代の技術を知れば……」と「古代史の謎は……」を読んだので
これで3冊目ということになり、内容的にもそれらと重複するようなところもありますが、
一方でより進化というか深化しているようなところもあり、なかなか興味深い内容となってます。
著者は名古屋大学工学部卒で元国交省港湾技術研究所部長を務めたバリバリの技術者であり、
その技術者目線で技術的検証をして古代の技術や古代史を研究しているので、
その主張にはかなりのリアリティと説得力があると感じられるものです。
と、少なくとも同じく元技術者だったボクにはそう思えるものです。
本書の「まえがき」には次のように書かれています。
(以下引用)
私はこの十年間、北海道から九州まで史跡と呼ばれる数多くの現場を歩きまわり、古代人
のものづくりを観察、考察してきた。この度は彼らの脳に分け入って、古代の港や建物、運
河、船、灌漑事業などについての「ものづくり」に挑戦してみた。それをまとめたものが本
書である。
ただひたすら、古代人になったつもりで愚直に「現場主義」で筆を進めた。書き終わった
とき、ひ弱くても賢い、現代の日本人の姿が重なってきた。そして改めて、「技術は嘘をつ
かない」と実感した。技術の視点で歴史を検証すれば、昨今の専門家の方々が語る、不思議
な古代史への疑問も改めて深まったのである。 (引用終わり)
ということで、本書の具体的な中身ですが、さまざまな遺跡などについて
何のために、どのようにして作られたのかなど、その周辺の状況や経緯も含めて、
考察・解説されていきます。
以前の著者の本でも、古墳は権力の象徴でも祭祀の場でもなく(それも兼ねていたけど)
運河とため池のため、浚渫土の堆積場として機能させていたという主張も出てきましたが、
本書でもそれについてさらに詳しく書かれています。
また、興味深いのは古墳時代の当時では手漕ぎ船で、その船は一日漕いだら必ず休む。
なので、一定の短い区間ごとに港が必要となり、またその港には必ず遊郭ができたとのことです。
まぁ、いきなり港→遊郭というと一瞬論理の飛躍を感じてしまいますが、
港で休むということは宿をとるということだし、漕ぎ手が屈強な男ならまぁ遊郭もできるでしょうね。
そして、その「港」についても面白いことが書かれています。
(以下引用)
中国の港は、例外的に唐の時代に万里の長城が東の海に落ちる秦皇島に海港があったが、
中国語が意味するこの「港」の字は、実は海港ではない。雄大な黄河、長江(揚子江)の二
つの流域に張り巡らされたクリークにある、交易を旨とする無数の河川の港、例えば蘇州の
町の港を想像してもらえればよい。
一方、日本では「みなと」は「み」で「水」を、「な」は古い連体助詞で「の」、「と」は
「門」で、つまり港は「水の門」という意味であった。 (引用終わり)
なるほど、大陸の平野を悠然とながれる河川の港と、
入り組んだ島国での急流の河川・河口での水の門=港という根本的な違いがあったんですね。
さらに、古墳の形、前方後円墳についても独自の解釈が展開されていて、
その説が正しいかどうかはさておき、なかなか興味深いものとなっています。
(以下引用)
なぜ、突然、三世紀後半から前方後円墳になったのか。(中略)
人間は利がないと動かない。技術もそうである。
彼ら商人は倭人、新羅人、百済人が入り混じり、古墳のある場所で宿をとった。円墳には
百済人は行けたが、方墳には足を運べなかった。新羅人はその逆であったろう。乱暴にいえ
ば、蘇我氏の勢力が方墳、その他は円墳であった。(中略)
彼の時代から「いつでも、誰でも、どこでも行ける」市場やホテルにしたのである。誰で
も商売のできる丸と四角を併せたフランチャイズ・マークのようなものである。(引用終わり)
また、埴輪についての解釈もかなり独特で、これまた正しいかどうかはさておき相当に斬新です。
(以下引用)
多くの歴史書では、埴輪は祭祀の道具であるとしか書かれていない。
哲学的な解釈は自由であるが、毎日、毎日が祭祀、祈禱では日本列島は食べてゆけない。
(中略)
私は渡来の商人たちに施設や機能を説明するピクトグラムであった、と考えた。文字がな
い時代、埴輪には二通りの役割があった。一つには、はるばる遠方から来た客人を接待する
場をつくる。二つには、場を示すことではなかったか。 (引用終わり)
ちょっと本当かいなと思えなくもないですが、それでも「祭祀、祈禱では食べてゆけない」のは事実。
だからこそ、古墳そのものにも実利があったはずだし、埴輪にも実利があったはずなのでしょう。
グローバル資本主義の時代に生きる我らと古代人はもちろん違う世界にいるわけですが、
それでも古代人の技術もそんなに低かったわけでもなくまた実利を伴う技術だったということか。
そして、本書ではもちろん古墳時代だけの話ではなく縄文時代から平安時代まで網羅されていて
どれもが興味深い内容のものばかりとなっています。
それらすべてを紹介するわけにはいきませんが、興味のある方は本書を読んで頂ければと思います。
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