小説「うちの父が運転をやめません」を読了
角川文庫の「うちの父が運転をやめません」垣谷美雨著を読みました。
もうボクには父はいませんし、母は運転免許なし(大昔に取得したけどペーパーのまま失効)ですし、
ボク自身はまだ運転がおぼつかないということはないので他人事の話題ではありますが、
いずれは完全自動運転車の普及か先か、免許返納が先かということになるかもしれませんし、
そもそも今も社会問題となっている話題ですから、小説でも興味を持って読んでみました。
帯にも書いてあるように、本小説の設定は車がないと買い物にも困るような田舎に住む父親が
なかなか運転をやめないというところからはじまっています。
そして、単に高齢者ドライバーの事故だけでなく、過疎化、買い物難民、認知症、介護などの問題、
さらに、逆に都市部での核家族化、共働き、働き方、子供の教育などにも話が及んでいきます。
で、読み進めるうちに、なんかこの今の日本の社会問題をまとめたようなストーリー展開や
この文体というか雰囲気に既視感を覚えてしまいました。
そう、これって「老後の資金がありません」と同じ(著者)じゃないの?
って確認したらビンゴでした。って、最初から気付けよってところですねorz
そして、帯にも「心温まる……」と書いてあるように、
最後はハッピーエンドで父は運転をやめるわけですが、
あまり書くとネタバレになってしまいますので、最後の方の1箇所だけ紹介しておきましょう。
(以下引用)
父だけでなく、ヒマワリ号が来てくれるからと、免許を返納する年寄りがぽつぽつ
現れ始めていた。買い物が便利になったからだけではないようだ。運転をやめたこと
で、よく歩くようになり、足腰が強くなったと教えてくれた独り暮らしのおじいさん
もいる。 (引用終わり)
※ヒマワリ号とは移動スーパーのことです。
いわゆる認知症などではグレーゾーンはあるにしても基本的に運転してはダメでしょうが
そうでなければ高齢だからという理由だけで運転するなというのはおかしな話だと思います。
テレビ番組の「ポツンと一軒家」などを観ていても、
田舎の高齢者の方が都会のテレビクルーより明らかに運転が上手かったりしますよね。
そして、この小説の設定でもそうですが、両親は田舎で野菜作りなど農作業もしていて
そもそも足腰はしっかりしていて、その点でも車の運転に問題があるとも思えません。
高齢者の運転ではペダル踏み間違えが取りざたされ、実際に大惨事となり得るのですが、
それは高齢者でなくとも起こり得ることで、でもそれは認知症だからペダルを間違えるのではなく、
足腰が弱ってきたりしてきちんと着座姿勢を維持できなくてペダル操作を間違えてしまうのでしょう。
ですから、過疎化が進んでいて公共交通機関もなく買い物含めて日常生活に車が必要な高齢者は
日頃から歩いたり農作業したりして足腰が衰えてない限りは車の運転を続ければいいと思います。
むしろ、都市部や郊外で座りっぱなしで足腰が衰えてしまったような高齢者が
それでも運転をやめずに人混みや自転車など他の交通が密集しているような場所を運転するのは
できるだけ避けていただきたいというのが本音です。
ということからすると、ちょっとこの小説の設定には無理があるというか、
キーワードとして社会問題を網羅しているようだけど
それらの関係性としては問題の本質からすこしズレているのではないかと感じてしまいましたね。
てなわけで、ボクはいつまでクルマを運転できるだろうか、いつまでクルマを運転するつもりなのか?
と考えた時には、まずはいつまで自分の足でスタスタと歩けるだろうか、
歩けるうちはクルマの運転は大丈夫でしょう。
そして、同様にバイク(自転車)にスイスイ乗れているうちはクルマの運転は大丈夫でしょう。
でも、それらが出来なくなってきた時は運転免許の返納を考えなければならないでしょう。
が、そうなると一気に移動の自由を失うことになりますね。これが問題か。
やはり、その時までに完全自動運転車が普及していることに期待しますかねぇ。
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コメント
考えさせられる内容ですね。私も前期高齢者ですから。
MTが乗れなくなったら返納します。😔
投稿: TOMO | 2023-04-29 19:45
>TOMOさん
そうですね、MT車を運転できてるうちは大丈夫ですかね。
そもそもMT車でブレーキ踏み間違いの暴走ってまず起きないでしょうけど。
でも、先日、MTのミニで若い人が暴走させた事故がありましたけどね。不可解ですが。
(アイドルストップ付車だとそういうこともあるのかな)
投稿: JET | 2023-04-30 04:56