新書「番号は謎」を読了
この本には帯がありませんが、それはブックオフで中古本を買ってきたからです。
ですから、買ったのは昨年末あたりですが、2020年8月発刊と少し古い内容です。
といっても、別にタイムリーな何かがあるわけでもないので、少々古くてもいいんですが。
その内容は、最初は数学に関する本かと思って手に取ったのですが、
数学は出てこなくて身の周りにある番号についての雑学的な内容となっています。
著者はいちおう理系で、今はサイエンスライターという肩書きだそうですが、
理系といっても元は化学の研究者だったとのことで
その辺りのことは本書の「まえがき」でも次のように書かれています。
(以下引用) どうやら自分は、1から順に番号がついているもの
が好きらしい。筆者はもともと化学の研究者であった。化学の基礎である周期表は、ま
さしく元素が1番から順に並んだものだ。野球も好きだが、選手の顔は覚えていないの
に、背番号だけ覚えていたりする。なるほど自分は番号フェチであったか、と今さらの
ように気づいたのであった。(中略)
というわけで本書では、身の回りの番号に関する謎にいろいろな角度から迫り、身近
でありながら注意を払われない番号というものについて、いろいろと考察をしてみたい
と思う。 (引用終わり)
先ほど、“雑学”みたいなものを書いてしまいましたが、
著者としては単なる“雑学”知識にとどまらず歴史的変遷や背景なども紹介されていて、
そこから部分的に著者なりの考察も交えているのですが、まぁでも肩肘張らずに読める本です。
いくつか面白いなと思ったことを断片的に紹介しておきましょう。
まずは自動車のナンバープレートに関する話です。
(以下引用)
もめた地名の代表格が、一九九九(平成一一)年に誕生した「とちぎ」ナンバーだ。
それまで栃木県では全域で漢字表記の「栃木」ナンバーが用いられていたが、県南地区
で新たに自動車検査登録事務所が置かれることになり、その場所に佐野市が選ばれたの
だ。こうした場合、普通は栃木ナンバーが消えて「宇都宮」と「佐野」の二つのナンバ
ーができるのだが、これに周囲の自治体が反発した。 (中略) よそ者
から見ればやや異様な「とちぎ」ナンバーは、政治的妥協の産物であったわけだ。
(引用終わり)
具体的ないきさつ部分は省略しましたが、当時そんなひと悶着があったんですね。
すぐ近くの大泉町に住んでいた時だし、佐野陸運局には何度もユーザー車検をしに行きましたが。
個人的には、ナンバープレートの地名なんてなんだっていいし、
それでダサイとか田舎とかマウント取ってくるような輩は軽蔑しかないですけどねぇ。
というか、これって“番号”の話なの? って思いますが。。。(笑)
次は国道に関する話です。著者も全国の国道を走り回る趣味があるそうですが。
(以下引用)
ところで、今後国道が増えることはあるのだろうか? 実は、一九九三(平成五)年
以降は新規の国道指定がなされていない。筆者が関係者に聞いた限りでは、今後国道が
増えることはどうやらなさそうだという。十分に道路網は行き渡ったということだろう
が、少々寂しい気もする話である。ということで、今後道路行政に何か大きな変化でも
ない限り、沖縄にある国道507号がラストナンバーとして残りそうだ。(引用終わり)
確かにもう道路は要らないでしょうし、個人的には別に寂しくもないですけど。
まぁ北方領土でも返還になれば新しい国道も増えるかもしれませんが、
北方領土が返還される可能性はかぎりなくゼロになりましたしね。
次はモータースポーツでのカーナンバー(ゼッケンナンバー)の話です。
なお、なんだかクルマ関連ばかりの話題を紹介していますが、
本書では別にクルマだけに限定されてるわけではなく、ボクの興味が偏っているだけです(笑)
(以下引用)
もうひとつ、伝説ともなったカーナンバーが27番だ。一九八一(昭和五六)年、この
番号をつけてフェラーリから出走したジル・ヴィルヌーヴは、闘志溢れる走りでファン
を魅了する。(中略)
その後の27番は、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、アイルトン・セナ、ジ
ャン・アレジら名ドライバーに引き継がれ、F1史上に残る輝きを放っている。
(引用終わり)
F1のカーナンバー27に特別な思いがあるのはボクもそのひとりなのですが、
アイルトン・セナのイメージはほとんどないですねぇ。
というか、やはり真紅のフェラーリに付いてこそ27は映えるというか意味を感じるものですし、
だからセナより何故にミケーレ・アルボレートの名を出さないのか、不満ですなぁ。
まぁ、アルボレートはタイトルを取っていませんが、それ言ったらアレジもそうだし……
クルマ関連ばかりの紹介で恐縮ですが、またまた「自動車の型番」の話です。
著者は“型番”なんて書いてますが、型式や開発符号ではなく内容は車名です。
つまり車名に数字を使っているクルマの話です。
(以下引用)
プジョーも一時期こうした方式で車を命名していたが、一九二九(昭和四)年発売の
「201」以降、三桁の数字を車種名とするようになる。百の位は車のクラスを表し、
十の位は0で固定、一の位が世代を表すという方式だ。200番台で始まった理由は、
100番台がバイクに使われていたからだが、一九七二(昭和四七)年発売のプジョー
104以降、100番台は自動車に使われるようになっている。 (引用終わり)
序盤の「こうした方式」とは課税馬力を車名にしたやり方(〇〇CV?)のことですが、
プジョー201以降のこの命名の方式は(フランス車乗りなら)周知のことですし、
今や世代による更新はなくなって一の位は“8”で固定となってしまいましたけど、
それよりも100番台がバイク(モーターサイクル?)で使われていたというのは初耳でした。
最後に忌み数についての話を紹介しましょう。
忌み数ってのは日本だと4とか9とか42とかですかね。
(以下引用)
13が忌み数になったのはなぜなのだろうか。裏切り者のユダがキリストの13番目の弟
子であったからとか、キリストが処刑されたのが13日であったからなどいくつかの説が
あるが、聖書にこうした記述はなく、歴史的にも根拠のある話ではないようだ。
ひとつには、 (中略) 12と
いう数字は神聖視されるようになった。その神聖な12からひとつはみ出す13は、厄介で
不吉なものと見なされたのだろう。 (中略)
キリスト教圏で嫌われる数字にはもうひとつ、ヨハネの黙示録で「獣の数字」とされ
ている666がある。例えば、アメリカのルート666は事故率が高いといった噂があ
り、「デビルズ・ハイウェイ」の異名で呼ばれていた。結局、この道は二〇〇三年に番
号が変更されてルート491となり、現在666は欠番となっている。 (引用終わり)
13と666が忌み数なのはなんとなく知ってましたけど、13の根拠がないって衝撃でしたよ。
以前に借り物のシトロエン・ピカソでの燃費表示が13.0(km/L)だけ表示されないという
この動画の事象もやはり忌み数を避けていたのでしょうかねぇ。
と、結局、最後までクルマ関連のネタとなってしまいました(笑)
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