新書「デマ・陰謀論・カルト」を読了
新潮新書の「デマ・陰謀論・カルト スマホ教という宗教」物江潤著を読みました。
本書の「はじめに」では文字通り以下の文章ではじまります。
(以下引用)
ネットが、人を殺人へと駆り立てる。
安倍晋三元首相が凶弾に倒れた今、そんなことを想起せずにはいられません。(中略)
また、容疑者は岸信介元首相が教団を日本に招いたという認識の下、岸の孫である安
倍元首相も教団を支援していると考え殺意を抱いたようです。が、当初の標的であった
教団幹部を狙うのが困難だったとはいえ、そこから安倍元首相に殺意が向けられたとい
う話には論理の飛躍が見られます。二〇二二年七月現在、同様の疑問を呈する有識者・
元信者は多く、謎は深まるばかりです。
一方、こうした突飛で不可解な話は、ネット上ではよくあることです。(引用終わり)
確かに報道されているような動機と容疑者の行動結果との間には飛躍があるし、
肯定も賛同もいっさいありませんが、
その飛躍の原動力がネットによるものであるかのようなこの書き出しには違和感を覚えました。
この次には、ネットではよくある例として、反ワクチン団体の奇行などに触れられていますし、
ネットがデマ・陰謀論・カルトを起こさせていると言わんとしてるのでしょうが、
安部元首相銃撃事件の背景はそれらのネットによるデマ・陰謀論・カルトとは別物だと感じています。
もっとも、本書の本題はその安倍元首相銃撃事件そのものを取り扱うことではないですし、
とはいえ本文中にもこの件は取り上げられていますが、
むしろ単純なネットによるデマ・陰謀論・カルトではない案件として扱われています。
さすがに、反対側の旧統一教会についてはその名称すら出てきませんが、
他方でオウム真理教については何かにつけて題材として取り上げられています。
おそらく著者がタイミングよく発生してしまったあの事件を冒頭にキャッチーに取り上げた
と見た方がいいのかもしれませんね。ちょっとあざとさを感じてしまいましたけど。
そして、では本書の本題は何か? ということになりますが、
それはサブタイトルにも書いてある「スマホ教」ということになります。
ではその「スマホ教」とは何か? 同じく「はじめに」には次のように書いてあります。
(以下引用)
しかも、この世界には神様のように崇め奉られるリーダーやインフルエンサーがいま
す。皆とともに心から信じる神に祈り、神から発せられる言葉に胸を打たれ涙し、そし
て明日への活動の糧にするのです。生きる意味・心地良い居場所・かけがえのない仲
間・そして心酔できる神のような存在まで揃っていれば、異世界での生活は充実するに
決まっています。このようなスマホの普及とともに広がった脱世俗的な世界観のことを、
本書では「スマホ教」と呼ぶこととします。この宗教を信じることで、多くの人々は救
われているのです。 (引用終わり)
デマ・陰謀論・カルトなんてのは別にネットやスマホがなくても昔からあったわけで、
おそらくリアルでハマりこんでしまう人もネットでハマりこむ人も根底は同じだと思うのですが、
それでもスマホによってより広範囲の人に一気に大きな影響=布教しやすくなったのは確かでしょう。
そして、実際に「救われている」わけではなく、それはひとときというかそんな気になるだけで、
現実には救いようがない世界へと引き込まれていってしまっているだけと著者は言います。
その通りだとボクも思いますが、そんな「スマホ教」に引きずり込まれないようにどうすべきか。
その答えというか著者の考えは、本書の最終章に書いてあります。
その最終章=第5章のタイトルは、
「いつも心に『アンパンマン』を――わたしたちができること」です(笑)
唐突にアンパンマン? ですけど、まぁ興味のある人は読んでみてください。
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