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新書「中森明菜の真実」を読了

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MdN新書の「中森明菜の真実」渡邉裕二著を読みました。
著者の渡邉裕二氏は芸能ジャーナリストという肩書だそうで、
夕刊フジで「歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡」の連載をしている方だそうです。

ボクは渡邉氏のことも夕刊フジのことも知りませんが、
本書はただその夕刊フジの連載をまとめたものというわけでもないようです。
本書とその夕刊フジとの位置関係が明確に説明されていないので、なんとも分かりませんが、
本書の「はじめに」ではその夕刊フジ連載のきっかけを次のように記しています。

                                   (以下引用)
 もっとも、ネガティブな部分から連載をスタートしたのも事実だった。
 そもそも連載を始める動機になったのは、一九九九年の「明菜追放」事件だったからだ。
当時、明菜が所属していたレコード会社の社長が、明菜の度重なるトラブルに「これ以上
の責任は持てない」と専属契約を解除したばかりか、記者会見では「業界から追放すべき」
と言い放ったのである。衝撃的な発言だった。             (引用終わり)

へぇ~、そんな事件があったのですね、記憶にないですね。

ボクは中森明菜は好きなアイドルですが、まぁアイドルというより好きな歌手というのが正しいですが、
だからといって熱狂的なファンというほどでもないし、芸能情報とかにも疎い方ですから、
中森明菜のいろいろな噂などはなんとなく耳にしていたものの、
特に興味も持たなかったというのが正直なところですかね。

中森明菜がデビューしたのは1982年で「花の82年組」の一人だったようです。
小泉今日子、新井薫子、堀ちえみ、三田寛子、早見優、石川秀美、伊藤さやか、原田知世などがいて、
その中では本書によると中森明菜は出遅れた形となっていたとのことです。

やや後年になって、中森明菜は松田聖子と比較されることが多くなったので、
ほぼ同期デビューかと勘違いしてましたけど、
松田聖子の歌手デビューは1980年と明菜より2年も早かったんですね。

そして、当時それほどアイドルや芸能情報に接していたわけではないボクですけど、
それでも「ザ・ベストテン」などの音楽番組は観ていて、
聖子を初めて見た時は「なんだこのキラキラした可愛い子は!」と衝撃を受けた記憶がありますが、
明菜についてはあまりそういう鮮烈な印象は残ってないんですよね。

でも、その後は聖子にはすぐ飽きたけど、明菜はじわじわいいなと思うようになったわけです。
ただ、今思えば、聖子のデビューはボクが高校生の時であって、
真面目な(笑)高校生だったボクは夜遊びなどせずに夜はテレビを観ていましたし、
一方、明菜がデビューしたのはボクが大学生になってからで、
夜な夜なクルマで走り回っていたり、バイトしていたりして、そんなにテレビも観てなかったからね。

 

と、ボクの話ばかり書いていて本書の紹介にもなんにもなっていませんが、
本書ではその1999年の「明菜追放」事件のことが詳しく書かれているのかというと
そうではありません。
時間軸でいうと、明菜のデビューからだいたい1989年ころまで、つまり昭和最後までというか、
「ザ・ベストテン」が終了するまでくらいを中心に書かれています。

そして、本書の「はじめに」では次のように締めくくられています。
                                   (以下引用)
 そこで、今回はプロダクション側の視点ではなく、敢えてレコード会社側の視点に立っ
て明菜を記してきた。実は、明菜に携わってきた関係者の中には、近ければ近かい人ほど、
これまで明菜について語ることを拒み続けてきた。本書では、そういった関係者も初めて
重い口を開いてくれた。
「明菜は全てが別格だった」。
 明菜の周辺に起こっていたことも含め、その真実が明かされている……。(引用終わり)

そうか、そんなに明菜は別格だったんですね。
そして、何がどんなに別格だったのかについては本書に何度も書かれています。
また、当時の秘話などについても(芸能通なら知ってたことかもしれませんが)
いろいろと暴露されていて、へぇーそんなカラクリがあったのかぁとかも多いですが、
まぁそれらをここで紹介するのはよしておきましょう。

ただ、NHKの圧力とか賞レースはコネと大金がモノを言うなんて話は、
どこの世界にもこんなことはあるんですねぇと呆れてしまうことばかりですけど。。。

 

ところで、前述の引用部分の中で「近ければ近い人」なんての出てきますが、変ですよね。
この本、結構こんな誤字・脱字とか含めて校正不足なんじゃないのってのが出てきます。
ボク自身もこのブログで誤字・脱字をやらかしたりするので、他人のことをとやかく言えませんが、
それでもジャーナリストという言葉・文章を扱う生業をしている人が著者であり
かつ製本されて新書として発行されているのに、ちょっと校正不足かなという印象が強いですね。

 

これが誤字・脱字のたぐいであれば、まぁ読みづらいと感じても内容的にはどうでもいいのですが、
中には事実がなんだか分からなくなって、書いてある内容の信憑性すら揺らぐ部分もあります。
ファーストアルバム「プロローグ<序章>」についての記述なんですが、
                                   (以下引用)
「アルバムについては、デビュー前からレコーディングをして完成していました。表向き
はロサンゼルスでレコーディングしたことになっていたと思いますが、それは単なる話題
作りで、実際には日本でレコーディングしたものでした。ただ、ロスではプロモーション
用のビデオとかジャケットの撮影はしました」。(中略)
 確かに、急いでいた面もあったのかもしれない。アルバム・ジャケットなどで使用され
た写真は、デビュー・シングル「スローモーション」のジャケットやその宣伝材料として
グアムで撮影したストック写真だった。                (引用終わり)

むむっ? 結局ジャケットはロスで撮影したの、そのともグアム?
関係者の中でも記憶がまちまちなのかも知れませんが、読んでる方は混乱しますよねぇ。

 

また、シングルの「北ウイング」のオリコンチャート初登場で2位に終わった話では、
                                   (以下引用)
 お化け――明菜の一位を阻止したのは、わらべ「もしも明日が…。」だった。(中略)
 ちなみに、その年、「もしも明日…。」は八四年のオリコン年間シングル・チャートで
も一位に輝くほどの大ヒット曲になった。               (引用終わり)

たとえ“てにをは”とは言え芸能ジャーナリストが曲のタイトルを間違えちゃダメでしょう。

まぁ、でも全体を通してはなかなか面白く読むことができましたけどね(笑)

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