新書「働く悩みは『経済学』で答えが見つかる」を読了
そして、この本は構成が独特でかなり変わっています。
そのあたりは「はじめに」に次のように書いてあります。
(以下引用)
こうした悩み、想いを抱えた20代から40代のビジネスパーソンたちが、とある場所
で出会いました。
その名はUNIVERSITY of CREATIVITY(UoC)=「創造性
の大学」。仕事を終えた夜、「ニューエコノミー」を掲げる学びの場に、毎回十数人の
有志たちが集まりました。仕事、社会、そして自らのあり方について、モヤモヤする
思いを抱えて、語り合うことになったのです。
その時、導きの礎としたのは、歴史上の「巨人」たちです。「経済学の父」アダム・
スミスに始まり、マルクス、ケインズ、シュンペーター、ハイエク、そしてヴェブレ
ンといった人々の思考から何を引き出せば、現代の問題に答えられるのか? そし
て、さらに「経済学」という枠も少し外して、「哲学」、「社会学」などと呼ばれる領
域の人々のものの見方・考え方も時にヒントにしながら、ゆるやかな対話の場を生ん
でいくことになりました。
この本は、こうした新たな学びの場の対話から生まれた壮大なる?フィクションで
す。 (引用終わり)
歴史上の経済学者や哲学者などが登場してくるわけですが、幽霊というわけでもなく(笑)
まだ生存している人も登場してきます。
そして、参加者側のビジネスパーソンも顔ぶれが多彩のようですが、
本当に集まってきた人たちなのかまったくの架空の人たちなのか、よく分かりません。
その参加者たちですが、例えば「お調子者のヤマザキさん」とか
「ファッションブランドの広報担当のアヤセさん」とか
「派手で人を驚かせるのが大好きなシンジョウさん」とかとかで、ちょっと愉快です(笑)
まぁ、でもその対話部分、フィクション部分はここでは紹介するのはやめましょうかね。
対話部分ですから、結論めいたことはないし、そこだけ取り上げても意味がないですから。
そして、最終章となる第5章だけはそのようなフィクションではなくて
実際に経済学者&哲学者の斎藤幸平氏を呼んで、著者の丸山氏も含めて数名で対話をしています。
斎藤氏はこちらの「人新世の『資本論』」の著者でもある方ですね。
その最終章の終わりの方でちょいと面白いことが出ていたので、紹介しておきましょう。
(以下引用)
斎藤 資本主義に慣れきった私たちは、脱成長社会になったら、暇が耐えられない
って思うかもしれない。でも、暇を過ごす技術がクリエイティビティだと思うんです。
僕たちって子どもの時とかって、暇だと思わなかったと思うんです。(中略)
でも私たちは何かそういう技術を大人にな
るにつれて忘れちゃっていて、暇になるとすぐに、何か物を買ったりとか、遠くに出
かけたりとか。それって結局、商品を買うことや、お金を使うってことにつながって
いて、それってあまりクリエイティブじゃないのかな、と。
もう一回どこかで私たちは、そういう余暇とか趣味みたいな遊びを取り戻すことが
コロナ後には必要なんじゃないか、と。経済が落ち込んだから、コロナの後には経済
を戻すためにいっぱい働け、みたいな圧力ってすごく強まると思うんです。もっと働
け、もっと消費しろ、みたいな。でもコロナで大変だったせいで、みんな傷ついて、
疲れている。必要なのは回復するための休息とケアです。だから、今私たちが思い出
すべきは余暇を遊んで過ごすためのクリエイティビティなのかな、なんて、思います。
丸山 良かった、その定義では、僕は子どものままで創造的です(笑)。
(引用終わり)
ボクもクリエイティビティと言えるほどたいそれたことをしているわけではないですけど
この本の記事でも書いたように、暇が耐えられないなんてことは微塵もない体質ですから、
そういう意味では丸山氏と同じで「子どものままで創造的」ですかね(笑)
ただ、今の子どもって偏見かもしれないけど、ゲームとか出来ないと退屈だーとか言いそうですけどね。
自分の身の回りのもので工夫して遊ぶってことをしなくて、
それこそ親から与えてもらって、連れて行ってもらって、
あるいは周りの子どもたちと比べて横並びになるようにって、結局消費させられてるんじゃないかと。
それでも、ボクだってモノを買ったり、どっか行ったりもしますけどね。
まぁ周りに踊らされて消費・浪費するつもりはないので、主体性がどのくらいあるかの問題でしょうけど。
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