「いせさき景観まちあるき」に参加してきた
最初は「旧時報鐘楼」です。
最近ではこの時の記事にも出てきましたが、最初に観たのは9年前のこの時ですね。
レンガ造りなんですが、実際には鉄筋コンクリート構造(ただし県内最古)なのだそうで、
そういう意味では深谷駅と同じと言えますかね。
最もレンガ造りを模倣してこうなったというより外壁も兼ねてレンガ造りとしているようですし、
構造部材としてレンガを使ってないものの、イギリス式レンガ積みで厚みのある外壁のようです。
左画像のピンク矢印のでっぱり部分が鉄骨が走っているところだそうです。
また、左画像の赤矢印部分のレンガが新しいのは修繕跡なのですが、
逆にそれ以外の部分が黒ずんでいるのは終戦前夜の伊勢崎空襲での戦火の痕と言われています。
どうやら、それと知らずに新しいレンガで修繕してしまったということらしいです。残念。
右画像の赤矢印部分、非常に見にくいのですが、「大正天皇即位記念」となっているとのことです。
まぁ、だからといって宮家が絡んでいるわけでもないんですけど、そういう時代だったんですね。
2ヶ所目は「伊勢崎空襲レンガモニュメント」です。
元々はこの記事のように少し離れたところにあったのが、
この記事のようにここに移設さたれものです。
これは元々は塀だったと思ってましたが、本日の解説では大元は倉庫の壁の一部だそうです。
また、ここ一画は今後公園として整備されていく予定とのことです。
数年前はなにやら発掘調査などしていましたが、それは今は影も形もない伊勢崎城の調査だったようで、
それもあってか新たに伊勢崎城に関する解説・案内板(右画像)も設置されていました。
3ヶ所目は「徳江製糸レンガトンネル」です。
ここは一度だけ散歩中に迷い込んでしまって通ったことがありますが、
非常に分かりづらいところにあり、かつ案内板なども何もないので、遺構とは気づきませんでした。
明治初期に徳江製糸工場が、この画像の手前側にあって、工女が宿舎との往来に通ったのだそうです。
その徳江製糸工場は世界遺産の富岡製糸場の2年後に造られたということで、
また富岡製糸場はフランス式レンガ積みですがこちらはイギリス式だったようです。
4ヶ所目は「メモリードのこぎりレンガ」です。
こんなところにのこぎり屋根のレンガなんてあるんだっけ? と思っていたら、
なんと葬儀屋さんのメモリードホールの建物の中にそのまんま残されているのでした。
これには驚きましたし、当然ながら初めて見ました。
大元は橋勝織物工場でその後に上毛撚糸工場となったものの一部をこうして残しているとのことです。
なかなかイキなことをやってますね。
なお、歩行距離の関係からか割愛されてしまっていた富士重工業伊勢崎製作所の壁ですが、
こちらも元は上毛撚糸工場だったところなんですよね。
で、割愛されてしまったのですが、ちゃんとスバル360開発・初期の製造だったこと等
解説してくれていたので、なんとなく嬉しかったですかね(笑)
5ヶ所目は「両毛線レンガアーチ橋」です。
今はJR両毛線は高架になってしまってますが、それ以前はこの橋の上が線路だったわけです。
なお、下を流れる川は輸送用運河として作られていたようです。
また、JR両毛線は元は有限責任両毛鉄道会社という私設鉄道だったのが後に国鉄になったのだそう。
それに、初期計画は前橋⇔桐生を直線的に通すもので、伊勢崎には通らなかったとのことですが、
岩宿あたりの勾配がきつくて通せなかったので伊勢崎に迂回する案となったのだそうです。
最後、6ヶ所目はレンガとは関係なく、帰り道の道草って感じですかね。
「廓新道開道記念碑」だそうです。
伊勢崎城の北側への道路がなかったので、明治44年にこの道が開通したんだそうです。
今となっては軽自動車がギリ通れるくらいの狭い裏道みたいなものですけどね。
で、また伊勢崎市図書館に戻って、アンケート記入して、集合写真撮影して解散となりました。
ちなみに、参加賞ではないですが、お茶とどらやきを頂いてきました。
本日のおまけ画像
どんつき丁字路なんですが、右折は終日禁止、左折も時間帯により禁止。
って、その時間帯にここまで来てしまったら、どうしろというのかねぇ。バックで戻る?
まぁ、正式な道路標識とは言えないようなので無視して行っちゃうのも……
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