幻の(キテレツ車?)NR1の初期開発にも携わった
少し間が空いてしまいましたが、前回までの記事のように、
GMとの共同開発車で後にスバル単独開発でB9トライベッカとなったSGX→00Xについて、
ボクは開発の初期段階に携わったのですが、台車完成後に業務から外れ、
結果的にいろいろと後悔・反省するところがあったことを書きました。
そして、00Xから外れてもAWD関連など様々な業務を並行して受け持っていたのですが、
ちょうど00Xと入れ替わるような形で、NR1という車種の開発の初期段階に携わることになります。
2003年初頭ぐらいからこのNR1というものの話が持ち上がってきたと思います。
最初から開発符号が付いていましたけど、開発期間は4年とかよりもっと長い計画だったはずです。
というより、プラットフォームを新開発してまったく新しくグローバル展開する車種として企画され、
そのプラットフォームおよびパワーユニットもフロント&リア・サスも新規開発だし、
その他諸々の新規開発機構やアイテムが盛りだくさんで、
それらの先行開発を終えてから、NR1という車種開発に実質移行するという気の長い話だったです。
この気の長い話というのは揶揄してるのではなく、きちんと先行開発してから量産開発するというのは、
今でこそスバルでも当然のことと理解しているでしょうが、当時としてはそうなっておらず、
ボクはそう主張してたけど、社内的にはやっとそんな考えも芽生えてきたという意味で、画期的でした。
NR1のプラットフォームの先行開発部分は、NPF(ニュープラットフォーム?)と呼んでいたので
正確にはNR1の開発の初期段階とNPFという先行開発の両方に携わっていたことになります。
もちろん、同時並行してAWDなどの他の先行開発もやっていたわけですが。
それにしても、NR1の構想そのものはとっても野心的というかまったく無謀なものでした。
この頃のスバルは「プレミアムブランドをめざす」などと妙な自信というか慢心だった頃ですから。
それで、そのNR1というのはどんな車だったのかというと、ざっくり言えば、
レガシィくらいの長さ×幅の大きさで少しだけ高くして3列シートをもった多人数乗用車です。
それって後のエクシーガ? いや全然違います。
デザインイメージではもっとスポーティというかクーペチックなものだったようです。
なので、3列目の居住空間は非常に狭くて+2的で小さな子供しか乗車できないくらいです。
なのに、後席ドアは(電動)スライドドアを採用しようということで、
ただ、箱型に近い形でないのにスライドドアにするのは実は難しいので、
Bピラーレスにして、さらにカッコウ重視でサイドドアレールなしにしようという無茶な構想でした。
要は一見カッコ良いスポーツカーやスポーツクーペみたいな、でもミニバンみたいに使えるという、
魔法のクルマみたいなのを作りたいという子供じみた発想です。
なので、性能でもスポーツカーみたいに走りを楽しめるとか、夢のような話になるわけです。
夢のような車ですけど、それは作る側の夢であって、そんな車を誰が欲しているかは別問題です。
単に、日本の販売店からミニバン(オデッセイなど)が欲しいと言われ続けたことへの回答として
そこに走りのスバルとかプレミアムとか変な理屈をつけて出てきたのがこのNR1構想でしょう。
こんな構想が苦し紛れに出てきたのなら哀れなわけですが、
それがなんだかイケイケで構想されていったのが、これまた当時のスバルの異常さを示しています。
なんせ、いつもはケチケチで大規模投資は渋る一方のスバルなのに、
(だからこそ水平対向エンジンと別れそこなったし、軽自動車も後手に回り続けたんですが)
前述のように、プラットフォームは完全に新開発、フロントサス&リアサスも完全に新開発、
エンジンもトランスミッション(CVT)も新開発で、巨額投資をするという構想なんです。
当然ながら工場の生産設備も大幅に入れ替え・刷新しなければ製造できないでしょうから
もし量産化に進んでいたらさらに巨額の投資が必要であったはずです。
この頃、スバル自体の業績が良かったわけでもないので、GMからお年玉でも貰ったんですかねぇ。
なんでこんなにイケイケになってたのかボクにはまったく理解できませんでしたが……
なにはともあれ、操安乗り心地の実験部署にいたボクですから、NR1の目標性能提案をしています。
その目標性能提案の報告書の中では、ボクはこんなことを書いていました。
コンセプト『ミニバンGT』及び「酔い難い3rd席」の観点から,
NR1の操安乗心地目標は21Z GT-B相当とする.
※当時は技術者として句読点は「,」「.」を使い、送り仮名はできるだけ省略してました。
まぁ、今読んでも笑っちゃうような内容ですな。
「ミニバンGT」はボクの言葉ではなく、企画部門から降りてきた言葉ですし、
「酔い難い3rd席」は別件でのボクの研究(別途記事にしようかな)に企画部門が乗っかってきた話ですし、
21Z GT-Bも企画部門から言い出されたような話ですが、
当時の課長も部長もその企画部門の構想に賛同していたので、
ボクとしては実現可能性もないし、それで売れるとも思えないけど、やけっぱちでこう書きました(笑)
なお、21Zとは4代目レガシィのことですが、
これを書いたのが2003年2月ですから、まだ21Z発売前のことです。
もっとも開発自体はもう終わっていて、試作車での性能計測も終えていますので、
それらの21Z GT-Bの性能数値をそのままNR1の目標性能にスライドして設定しています。
当時の部長も課長も陣頭指揮をとって21Zの開発に自身の進退をかけて(?)取り組んだ人なので
当たり前のことですが21Z(GT-B)の操安乗り心地には自信を持っているわけで、
まぁこの目標性能にケチをつけられることはなかったです。
が、ボクはこれで良いとも、これが実現できるともまったく思ってなかったですけどね。
なので、その報告書の所見ではさらっと次のように書いていました。
ミニバン形態の多人数乗り車で21Z GT-B並の操安性を実現することは相当なチャレンジ
であり,基本性能を21Z比大幅にアップさせなければならない.各設計部殿,ご協力をよろしく
お願いいたします.
あらら、もうほとんど他人任せのような投げやりなことを書いてますな(汗)
本音では、21Z GT-B相当の操安性というのはチャレンジというよりナンセンスと感じてましたが。
ところが、それからおよそ1年後の2004年の初頭、NR1はまだまだ構想段階が続いていたのですが、
紆余曲折を経てNR1の狙いと操安乗り心地の目標性能は次のように変わっていきます。
『マルチパッセンジャーGT』コンセプト及び『酔い難い3rd席』の観点から
21Z GTの操安+ミニバン並の乗心地
「マルチパッセンジャーGT」は企画部門の言葉ですが、
ミニバンと言いたくないのか、居住性・利便性の点からミニバンとは言えないからなのか……
それより、21Z GT-Bではなく単なるGTに操安性の目標が降格しています。
まぁ、降格なのかどうかも考え方次第ですけど、ハンドリング重視ではなくなってます。
そして、乗り心地はGT-Bではなくて(他社の)ミニバン並となってます。
21Z(4代目レガシィ)が発売されて、特にGT-Bの乗り心地の悪さが指摘されるようになり、
さすがに多人数乗りでGT-Bと同じ乗り心地じゃまずいという社内的な雰囲気となって、
ボクはこれ幸いとばかりに、それでもやっとのことで他社ミニバン並の乗り心地に修正したわけです。
ちなみに、その他社ミニバン並って何?ってことですが、プジョー307SWです!
ボクが良さそうだと判断して、プジョー307SWを購入申請して、乗り心地の計測して、
確かにトラヴィック(オペル・ザフィーラ)より断然に乗り心地良かったしね。
もちろん、21Z GT-Bの乗り心地とはまったく比較になりません。
そして、この時の報告書の所見では次のように少し毒づいてました。
Bピラーレスで快適性を追いながら走りの快適性(操安・音)を犠牲にしてはならない.閉塞感の強
い3rd席では酔い難さを誇っても喜ばれない.走りの軽快感はドラビリ等とのハーモニーが重要.
他性能とのバランス・整合性をよく吟味した上で,目標性能のFixとしたい.
まだこの時点でも全体の構想がチグハグなままなので毒づいたというわけです。
ただ、こんなことを書いて、上司承認を得られる程度には、上司や周りの雰囲気も少し変わったのかもね。
2000年代初頭のスバルは「プレミアムブランドを目指す」とか言って
その下で「走りのスバル」とか、それをまた「NBR最速ごっこ」などへと突っ走っていて、
それに反対するボクは露骨に上司から嫌われ、疎まれていたわけですが、
全社挙げて「プレミアム」や「走り」や「NBR」に邁進していたかというと、実はそうでもなく、
ボクのように反対派もちゃんといて、それらが上の方でもバチバチやりあっていた状態だったんですね。
でも、21Zを世に出してからは、「走り」や「NBR」というものは違うんじゃないの?
少なくとスバルの走り=NBR最速とは違うんじゃないの?
というそれまでの反対派の勢力が優勢になりつつあったということだと思います。
なので、ボクは相変わらず上司に嫌われ続けていましたけど、ボクの意見も無視できなくなってきた、
あるいは外部の意見も汲みいれざるを得なくなってきたという状況になってきたわけですね。
まぁ、ボク自身は上司に嫌われても自分の信念に基づいて仕事をするだけだと考えてましたから
その上司のことを好き・嫌いで判断しなかったし、逆に反対派の人にすり寄ることもしませんでしたが……
ところが、この頃から、正確には覚えていないんですが、2004年の春か夏くらいには、
GMの業績低迷が目立ってくるようになり、GMの提携解消の気運やらで、
このバブリーなNR1の企画・構想が危うくなってきて、開発凍結ということになっていきます。
実際にどの時点が開発凍結となったのか覚えていませんが
ボク自身も2004年春を機にNR1及びそれに付随していた先行開発などもやらなくなりました。
ただ、NR1はなくなったけど、一部の付随していた先行開発は、
P-21Z(ポスト21Z=5代目レガシィ)およびP-44S(3代目インプレッサ)の先行開発として
継続していたような感じですかね。
リアサスもそのひとつですけど、まぁその話もおいおいとしていくことにしましょう。
次回は、本日の記事の途中にもでてきた「酔い難い3rd席」の研究の話をしましょう。
まったく大した話ではないんですけどね。
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コメント
「酔い難い3rd席」というか、一時日産のラフェスタなども酔いにくいクルマというワードを広報資料などに使っていましたね。これは車両開発において永遠のテーマなのかな……。内臓共振に対する考え方も盛り込まれていくのでしょうか。
投稿: よっさん | 2022-10-08 23:00
>よっさん
ラフェスタ、個人的には好きなクルマでしたし、パッケージングも良かったですけど、
やたらと安っぽくてガタピシしててエンジン音もうるさかった覚えがあります。
だから、酔い難かったというか、酔ってるひまがないクルマだったかも(笑)
内臓共振も含めて、本日、早速記事にしますかね。乞うご期待。
投稿: JET | 2022-10-09 07:04