「酔い難い3rd席」の研究はやっつけ仕事だったけど……
前回記事のNR1の操安乗り心地の目標性能の中で出てきた「酔い難い3rd席」というワード、
本日の記事ではその「酔い難い3rd席」の研究について、触れてみたいと思います。
「〇〇の研究」などと題するとなんだか凄そうにも聞こえるかも知れませんが、
まったく大した内容ではなくやっつけ仕事みたいに、ちゃちゃっと資料をでっちあげて、
確か社内の先行開発発表会みたいな場で、発表=プレゼンしただけのことです。
その時のパワーポイントの資料が手元に残ってますが、総ページで20枚ほどの簡単な資料です。
それによると正式なタイトルは「車酔いし難い多人数乗り車 ~動揺病の研究~」となってます。
そうそう、車酔いのことを動揺病って言うんですよね。病気なんですよ、あれは。
なんで、動揺病の研究をすることになったのか、実はきっかけははっきりと覚えていないんですが、
正式に業務として上司から命令されたということではなかったはずです。
というか、これに限らず、そのころ上司から疎まれていたボクは面と向かって
上司から具体的な業務を命じられたという記憶はほぼないんですよね(汗)
NR1で3rd席のある多人数乗り車が企画・構想されて、みずから酔い難いものにすべきと考えたのか、
あるいはNR1のPGM(プロジェクト・ゼネラル・マネージャー、実は2度上司にもなった I氏)から
雑談交じりに酔い難くしてくれとか言われたのか、曖昧ですけど、なんかやる羽目になったんですね。
確かに「酔い難い車」といっても、定義も何もないわけですから人によって意見はバラバラです。
人によっては、臭い、ガソリン臭とか内装の接着剤や革とかの臭いだけで酔っちゃう人もいますし、
視界の良し悪しで酔いやすかったりもしますし、シートの良し悪しも影響したりもしますが、
操安乗り心地の実験部署として研究するわけなので、それらについては無視するとしても、
乗り心地が固い方が酔い難いと主張する人もいる一方で乗り心地が良い方が酔い難いという意見もあり
結局は何らかの理論的な裏付けとかがないと、議論の場にもつけないという状態になっちゃいます。
まっ、個人の好き嫌いと良し悪しの議論がごちゃまぜになっちゃうってのは、
それって突き詰めると、操安性とか乗り心地とかでも同じことなんですけどね。
ただ、操安性とか乗り心地とかも最低限の理論はあって、計測もして、数値的に判断するので、
酔い難さについても最低限の指標になればいいかなという感じでもあったわけです。
というか、操安乗の目標に「酔い難い3rd席」なんて掲げなければならなくなったから
それを何らかの数値目標に落とし込まないと目標性能とはならないし、
言葉だけだと目標達成したのかどうかも判断できずに、
周りの関係者が「これは酔いやすい、いや酔い難い」と不毛な議論が続くことになりかねませんから。
それに、これは個人的な目論みとして密かに抱いていただけですが、
当時の走りのスバル=NBR最速ごっこを冷ややかに傍観していたボクとしては
(そういう一面もあっても悪くないが)スバルのめざす操安乗はそっちではないという思いがあり
酔い難い特性にかこつけてスバルの操安乗の軌道修正を図れればいいかなとの狙いもあったのです。
そうはいっても、車酔いの研究をまじめにやろうとすると被験者に車酔いをしてもらわないといけません。
でも、車酔い=動揺病、病気なわけですから、被験者に病気になってもらうということで、
そんな簡単に自ら病気になってくれる人がいるわけないし、ボクも嫌ですから、相当な謝礼金を払って、
しかも個人差も大きいでしょうから何十人もの被験者を用意して統計処理しないといけません。
そん大々的に研究する資金も時間も工数もありません。
研究所が大学などとの共同研究で何年もかけてやっていくなら面白いテーマでしょうし、
少しはそのような研究をしている、していたという情報はありましたけどね。
なので、適当にそれっぽく「酔いやすいってこういうことですよね」ってな仮説を立てて、
そこから理論的に数式・数値を使って、車両の特性へと落とし込んでいくということをしたわけです。
先ずは、乗り心地という点では三半規管がある耳というより頭全体の振動を考えます。
頭全体が上下に振動したり前後に傾けられれば気持ち悪くなって酔いやすいだろうという仮説です。
人間の頭の重さはまぁ個人差もありますが、だいたい4~8Hzあたりに共振点がありますから
上下振動、前後のピッチング振動でその辺りの振動を抑えてやれば酔い難くなると言えるでしょう。
なお、ロール方向の振動も酔いやすさに繋がっているという指摘もあるかと思いますが、
某研究ではその影響はあまり大きくなくてピッチ方向の半分程度しかないとの話もあり、
また当時のスバルの乗り心地計測ではロール方向を加味していなかったので、そこは無視しました。
ただ、後述する操安性としての酔い難さについてはちゃんとロールも含んでますので
ロールをまったく無視しているというわけでもないんですけどね。
また、胃などの内臓が振動することで気持ち悪くなって酔いやすくなる人もいるようです。
ボクはあまりそういうことは感じないんですけど、ただ内臓の振動が不快なことには変わりません。
この内臓も(メタボに関わらず)だいたい4~8Hzあたりに共振点があると言われているので、
この辺りの振動を抑えてやれば酔い難くなると言えるでしょう。
当時のスバルでは(今もそうだと思いますが)、乗り心地を官能評価でも数値計測でも、
ユサブラレ、ブルブル、ビレ、フワフワピッチ、素早いピッチなどと分類していました。
ユサブラレは文字通り頭や内臓も含めた身体全体が上下に揺すられる4~8Hz帯の振動で、
フワフワピッチは0~2Hzのピッチング、素早いピッチは2~5Hzのピッチングです。
これが、そのまま酔い難さの評価に使えるというわけですな。
ちなみに、ブルブルはふくらはぎが文字通りブルブル震える10~20Hz帯の振動で、
ビレは足裏やハンドルを通じて手のひらにビリビリ伝わるような30~50Hz帯の振動です。
メーカーによってはこの周波数帯は、乗り心地ではなく振動騒音の分野になるようですが。
結果的には、それまでのユサブラレ、フワフワピッチ、素早いピッチで「酔い難さ」を数値化できますが
それでも「酔い難い3rd席」というわけですから、当然ながら3rd席で計測しなければなりません。
それまでは、標準積載と呼んでいた乗用車なら3人乗車相当、軽自動車なら2人乗車相当にして、
運転席だけの乗り心地を計測していたんですが、それをフル乗車相当で3rd席でも計測するわけです。
まぁ、ただそれだけのことと言えばその通りですけどね(汗)
次に、操安性の観点からの「酔い難さ」です。
個人的には操安性として車酔いの原因の大半はドライバーの運転の下手さにあると思いますが、
それを言っては元も子もないので、車として出来ることを考えましょう(笑)
人間はこう動くからこう知覚するという予想を脳内で無意識にしているのですが
そこに齟齬が生じると脳内で混乱してそれが動揺病の原因になると言われています。
だから、動きと知覚に齟齬が少なくなれば酔い難くなるはずです。
もっとも乗員は視覚情報を脳内でどう処理するかなど経験にも依るし複雑なんですが、
ここではもっと単純化して、ヨー運動(向きを変える動き)と横Gとのズレに着目しています。
ハンドルを切るとカーブを旋回していくのでヨーも横Gも一緒に発生すると思われるかもしれませんが、
実際はハンドルを切ると前輪が操舵され、前タイヤの進行方向と回転方向とに角度のズレを生じます。
そのズレをスリップアングルと呼ぶのですが、それによって前タイヤに横力が発生します。
すると前タイヤはハンドルを切った方向に動こうとして車両の向きが変わる=ヨー運動が発生します。
車両の向きが変わると、やっと後ろタイヤの進行方向と回転方向に角度のズレが生まれ、
つまり後ろタイヤにスリップアングルが付き、それによって後ろタイヤに横力が発生します。
ここにきて、やっと前タイヤと後ろタイヤともどもが横力を発生できたので、
単に向きを変えるだけでなくカーブを曲がることができて、横Gが発生するようになるのです。
つまり、一般的にはヨー運動より遅れて横Gが発生することになるのです。
ゆっくりスムーズにハンドルを切っていけばこの時間差はほとんど気になりませんが
急ハンドルを切るほど顕著になっていきますから、
乱暴な運転手の車に同乗させられるほど酔いやすくなってしまうわけで、納得しやすいでしょう。
そして、このようなヨーと横Gの関係がどうなるのかは、一般的には周波数応答特性として表現します。
オーディオのアンプの特性などでも、
入力と出力の関係を各周波数に対するゲインと位相として表示しますが同じことです。
これは表現だけの問題なので、時間軸の特性として表示することも可能ですし、
周波数領域⇔時間領域はいつでも変換可能なのでどちらでもよいのですが、
コンパクトに全体の特性を表現するには周波数応答特性として周波数領域での表現が便利です。
だけど、情けないことにこの周波数応答特性という概念をまったく理解できない技術者もいて
まぁ正直なところそういう人を技術者と呼ぶのもおかしなものなんですが……
あぁまた愚痴になってしまいました。
自動車工学として研究しているし、開発しているので、かまわず周波数応答特性で行きます。
で、当時でもその周波数応答特性は操安性の一般的な計測としてやっていたんですが、
それはあくまでも車両そのものの特性としての計測です。
言い方を変えると、車両の重心位置での特性を計測していただけです。
ところが、乗員が感じる特性はこれと同一ではありません。
先ほど、向きは変わってるけどまだ横Gが発生してないみたいな感じで書きましたが、
実際には向きが変わっていくだけでも車両の前の方は横に動いていくので横Gが出ます。
逆に車両の後ろ、後輪のさらに後ろだと向きが変わると一瞬外側に動くので逆の横Gが出ます。
つまり、前方に乗車するほど横Gの発生のズレが少なく、後方に乗車するほど大きくなるのです。
これなんかも、3rd席が酔いやすいとか、さらにはバスの最後尾席が酔いやすいとか
一般的に言われていることと整合していて、納得感のある理屈ではないでしょうか。
また、横Gによってロールするわけですが、ロールしていく時は横Gが逃げて発生が遅れます。
さらに、ロールによって乗員の姿勢が傾くと、人間は水平方向の横Gだけでなく
傾いた分の重力加速度も区別できないのでその分も加算されたG=横向きGとして感じます。
ロールが大きいほどその影響も大きくなりますが、乗車する高さ、耳石器のある頭の高さが
高いほどその影響も大きくなります。
結局、諸々を計算に入れると次のような式で乗員の横向きGの周波数応答特性を表現できるんです。
と、このブログでこの数式を書くのは大変難儀なので、パワポの画面を切り貼りしました。
ちなみに、ヨーの周波数応答特性は乗員の位置によらず変わりません。
回転はどこでも同じだけ回転しますからね。
ちなみに、軽く補足しておきますと、ヨーと横Gの位相差は横滑り角を示しているとも言えます。
なので、4WSで同相操舵をすると横滑り角は小さくなり、ヨーと横Gの位相差も小さくなります。
4WSとまで行かなくても、リアサスをちゃんと躾けて等価コーナリングパワーを上げてやると
同様に横滑り角は小さくなり、ヨーと横Gの位相差も小さくなります。
と、ちょっと小難しく書きましたが、実はコレ、ドミンゴ&サンバーの開発をやっていた時に
同じような計算をやっていて、その焼き直しに過ぎないんですね。
キャブオーバーのサンバーと普通のセダンなどとで、そのドライバー乗車位置の違いで
運転感覚がどうちがってくるのかを興味本位で調べていたんですよね。
もちろん、低速の旋回とかだと内輪差の感覚が全然違うので最初は戸惑うのは無理もないですが、
中高速域でのヨーと横向きGのズレ(位相差)という観点からすると、意外と大きな差がないんですね。
キャブオーバーでは前輪の真上くらいに着座するので位相差は少なくなるんですよ。
でも、高い所に頭があってロールもそれなりに大きいので、その点では位相差は大きくなります。
行って来いでそんなに悪くないんですね。
逆にスーパーセブンみたいに後軸のすぐ近くに着座すると位相差が大きくて運転しにくいはずです。
でも着座高さはとっても低いのでその点では位相差は小さくなり、これも行って来いですかね。
まぁ慣れの問題もあるし、後輪の滑り出しを尻で感じるみたいなことも完全否定はしませんが。
それはともかく、運転席で感じる操安特性をその時計算したりしてたので、
今回はそれを運転席ではなく3rd席にしてみただけとも言えるんですよね。
なので、それもあってちゃちゃっとやっつけ仕事だったわけです(笑)
そんなやっつけ仕事であった「酔い難い3rd席」の研究ですが、これを社内プレゼしたら、
例のI.PGM氏が「これはいい、是非論文書いて自技会で発表しろ」なんて言い出しまして、
そうNR1が量産まで行った暁にはその研究論文を新車の市場導入に利用しようなんて魂胆なわけで、
こっちとしてはこんなお粗末なやっつけ仕事で論文書くなんて恥ずかしいし、
そのためにまた余分な仕事を押し付けられたら堪ったものではありませんので、
「今後の検討課題」ということではぐらかして逃げたのでありました(爆)
では、酔っ払いの話はこの辺にして、次はまたNR1に戻って……ではなくて
NR1と併行してそのNR1の先行開発としてのNPF(ニュープラットフォーム?)の話をしましょう。
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コメント
ジェットさん、詳説ありがとうございました。とても勉強になりました。ずいぶん前に私が話を聞いた自動車開発者(メーカーは忘れました)は「胃袋のあたりに共振点があると酔いやすくなるので、それをずらした」なんてことを言ってたと記憶しています。でもジェットさんがおっしゃるとおり、クルマ酔いする要素は多岐にわたるわけで、宣伝ワードとして「クルマ酔いしにくい」を使うのは相当難しいですね。
ちなみに私は日産ラフェスタのCMソング、森高千里が歌っていたやつがとても好きでした(笑)。
https://www.youtube.com/watch?v=8xEHoHPM_eU
投稿: よっさん | 2022-10-10 14:19
>よっさん
まぁ、「車酔いしたから責任取れ」とメーカーにクレーム言われても困るし、
かといって車酔いしたからと責任の取りようもないので、
割り切ってしまえば、言ったもん勝ちのところもあるでしょうけど(笑)
森高千里の歌、イイですね。
投稿: JET | 2022-10-10 16:34