UJのYMG→TVDはまずまずに仕上がったが……
21世紀初頭のスバルのAWDの先行開発などについて書いてきましたが
今回紹介する左右トルクベクタリングがいちおう最後のアイテムとなります。
この記事などで何度もAWDの前後トルク配分なんてのはハンドリングには大した影響はなく
ただ前後輪どちらが先に空転しはじめるかだけの問題だし
空転させてドリフトコントロールするには前後トルク配分ではなく前後差回転が重要だよと書きました。
一方、左右デフ(フロント/リアデフ)は差回転制御よりトルク配分が有効だとこの記事で書きました。
左右でトルク差があれば、それが直接、車両にヨー運動(向きを変える運動)を起こさせるからです。
そこで、左右トルクベクタリングという発想が生まれてきます。
戦車などの無限軌道(クローラー)の車両が向きを変えるのと力学的には同じことですね。
三菱ランサー・エボリューションのAYC(Active Yaw Control)が有名で
ホンダもATTSとかその後も似たようなのを出してた気もしますが
ちゃんと調べて書くのも面倒なので、まぁこのくらいにしておきます。
ただ、これらは本当に左右の駆動力そのものを変えているのではなくて
左右の回転数を強制的に変えて駆動力配分が不定になって
結果的に駆動力配分が変わっているというモノです。
以前に書いたように、どうしても半クラ状態で制御しなければならないので構造的に無理があるし
滑らかさを欠いたり、ドライバーに違和感を抱かせるようなモノとなってしまいがちです。
まぁAYCなんかはその無理矢理感がかえって面白さを生んでいるとも言えなくはないですが……
そこで、スバルは別のシステムで左右トルクベクタリングをしようとします。
と考えたかというと実はそうでもなく、たまたまUJ=ユニシアジェックス社から提案された
YMG(Yaw Moment Generator) というのに飛びついた、というか沼にハマってしまったんですね。
このYMGはどうやら日産→UJで日産のFR車向けに開発しはじめたモノのようですが
ゴーン体制になって相手にされなくなったのか、スバルに売り込んできたという流れみたいです。
最初にスバルがUJからのプレゼンを受けたのは、2000年12月のことになります。
で、このYMGってのがどんな構造・原理になっているかというと
リアデフ内に油圧モーターがあって左右両輪に繋がっているモノです。
油圧モーターがあるので、これまたリアデフ内に油圧ポンプがあってその油圧で駆動するんですが。
要するにその油圧モーターで左輪に対して右輪を駆動したりして左右のトルクを直接制御するわけです。
なので、三菱AYCなどと違って、回転数制御で結果的に左右のトルクが変わっているのではなく
原理的にはこちらの方が理にかなっているモノではあるんですが、
油圧モーターをそんな風にして使うなんてのは少なくともクルマでは前例もないので
まぁ製品化するのは大変だろうな、というのがプレゼンを聴いた時の第一印象でしたね。
そして、その次に、2001年2月にはUJのある厚木まで行って
UJが所有していた試作車=FRのシルビアにYMG搭載したものに試乗させてもらいました。
ただ、一般道だったこともあって大人しく走ったので、限界特性などは未確認でしたけど、
三菱AYCみたいな無理矢理曲げているような違和感や不自然さはあまりなくて良さそうな感じでした。
けれども、その時の報告書にボクは「逆にシロウト受けしにくいか」なんて書いてましたね。
個人的には左右トルクベクタリングはそれほど一般的な技術にはならずに
インプレッサWRXなどの限られた車種にしか使われない技術だろうから
(この時点ではまだブレーキ制御によるトルクベクタリングは技術的に無理でした)
あまり乗り気ではなかったのですが、
まぁひとつの選択肢として先行開発するのはありかなぁくらいの考えでした。
その後、2001年9月に2次品といわれるものがUJ試験車のシルビアに搭載されて
それをSKCで試乗することになり、限界特性まで含めて評価をしました。
この時はボク以外にも実験部署の人が何名か試乗評価をして、まぁまぁの評価結果で、
なんとなく次はインプレッサ(AWD)で試作車を作ってみようってな話になっていきました。
でも、この時の報告書にはボクは次のようなことを書いてたんです。
「UJの『どこまでもニュートラルステアを実現』の思想にはやや疑問を感じる。」とね。
で、それ以来YMGについてはほとんど忘れてしまっていたくらいなんですが、
2004年頃になってYMG搭載の2代目インプレッサWRXの試験車が完成します。
なんで、そんなに間が空いたのかというと、まずUJが日立に吸収されてしまい宙に浮きます。
なので、名称もUJ時代のYMGではなく、この頃にはTVD(Torque Vectoring Diff.)と呼ばれ、
UJでYMGに携わっていた若手の人がスバルに転職してきたりとかもありましたけど
油圧モーター製造のノウハウなどはスバルはないので試作品を作るのにも苦労したようです。
なんせ小型で高出力の油圧モーターにするために数百MPaという
コモンレール・ディーゼル以上の油圧というか、もうウォータージェットカッター並みの圧力で、
つまりピンホールで油圧が漏れれば人間なんて簡単に切断できるほどの超高圧なので、
まぁ怖ろしいというか、それほど製造するのも大変な代物ということです。
なので、試作車が完成してからもトラブル続きでオイル漏れを起こしてばかりいました。
栃木富士のテストコートを借用して試験したときにもオイル漏れを起こして
高速周回路とハンドリングのほぼ全周に渡ってオイルを撒き散らしてしまって
必死に謝りながら全周おが屑を手作業で撒いて清掃する羽目になりましたし。
ちなみに、この時ボクが運転していたわけではないのですが、総責任者はボクでしたね。 ※この画像はおそらくその栃木富士の整備室での撮影です
油圧モーターの出力限界も問題で、それをもう少し上げようとすると、
また無理が出て油圧漏れを起こしてしまうの繰り返しだったという感じでした。
三菱AYCなどの回転数差で誤魔化すタイプのトルクベクタリングでも
強度やクラッチ性能やそもそもの回転差設定などでトルクベクタリングの限界はあるのですが、
もともとFR用でスタートしたのをAWDに応用したことと
スバルのシャシーそのものが低速大転舵で曲がりにくい決定的な欠点があるので
それを補うためには多大なトルクベクタリング量、つまり油圧モーターの出力限界が必要なんですね。
そんなこんなで、こりゃぁ量産化を目指しても品質問題でそうとうに難航するだろうなと直感したし
その油圧モーターの出力限界から車両のハンドリング特性にも悪影響が出ていたりして、
具体的にはいい感じでTVDが働いて曲がっていると、あるところで突然出力限界に達して、
急に曲がらなくなってしまうとかが発生して、ドライバーはあれれってなってしまうわけです。
それ以外でもWETなどの低μ路では曲がり過ぎてスピン誘発してしまうとかの問題もありました。
ただ、問題だらけというわけではなくて、その応答性の良さや通常領域の自然さなどは
三菱AYCなどよりは格段に良かったのも確かなことでしたけどね。
そこで、ボクは、ふと以前に抱いた疑問を思い出します。
それはUJの「どこまでもニュートラルステア」という思想というか基本的な考え方への疑問です。
実際にそれまでYMG→TVDはその思想により車両モデルを元に制御ロジックが組まれてました。
油圧モーターの出力に限界があるし、それに車両の旋回横Gだってタイヤグリップの限界はあるし、
なのにどこまでもニュートラルステアが実現できるわけはないし、
たとえ実現できたとしてもそれがドライバーにとって最高でもないし、最速でもないのでは。
と考えていたわけです。
ここから、制御ロジックを一新させるよう、ボクが自ら車両モデルを元に新たなロジックを組みます。
制御の専門家からすれば、実験屋は制御定数の設定(キャリブレーション)だけしてくれればいいのに
ロジックまで口を出して、しかも自らロジック組んで、これでやってくれとは何とも厚かましい、
って思われたかもしれませんが、そこまでしないとなかなか動いてくれなかったもので。
そして、その新しい制御ロジック、個人的には“サチュレート仕様”と名付けましたけど、
それにしたらやっと油圧モーターの出力限界での違和感もなくなり
車両の限界特性も素直で違和感なくコントロールしやすいものにすることが出来ました。
パチパチパチって感じになりましたし、それでいちおう先行開発としては完了することが出来ました。
まっ、結果的にTVDは世に出ることなく終わってしまったので、
それまでの開発でのあれこれもある意味では泡と消えてしまったわけですし、
その時の制御ロジックも個人的には良く出来ていて、おそらく特許を取れていたはずですけど
ハードウェアの量産化の目途がないのに特許出願はしませんで、何も残りませんでしたけどね。
本当はこれだけ違和感のないトルクベクタリング機構・制御が出来あがったので
リアではなくフロントでトルクベクタリングしても舵力・操舵感への悪影響がなく
さらにベクタリングの効果が高まるはずなので、挑戦してみたかったのですが、
まぁどのみち量産化の目途はないので、単なる技術的興味の範疇でしかなく、
その賛同者も得られませんでしたので、フロントTVDはボクの妄想だけで終わりました。
ただ、その後10年以上経って、スバルテクニカインターナショナルにいたときに
スバル WRX S4 tS(数量限定のSTI改造車)のブレーキ制御4輪トルクベクタリングには
その時のノウハウを入れ込んで制御定数を設定させていただきましたけどね。
STI当時は(いちおう部長だったから)ほとんどの実務は部下に任せていたので
それが唯一直接ボクが手を出して決めたコトだったかもしれませんねぇ(汗)
さて、そんな世に出ることがなかったTVDですが、
最後にちょっとだけ役員の目に留まって、その役員が旗振りをして
自動車評論家試乗とプロモーションビデオ製作をやろうということになりました。
次回はTVDの続編としてその話をして終わりたいと思います。
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