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新書「ドリフターズとその時代」を読了

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文春新書の「ドリフターズとその時代」笹山敬輔著を読みました。
本書の「はじめに」では次のように書かれています。
                                   (以下引用)
 だが、公式には二〇二四年に結成六十周年を迎えるドリフは、戦後日本において、長ら
く大衆の心性をつかんできた。いささか大仰にいえば、ドリフは国民の記憶である。ドリ
フを語ることは、戦後の日本人を語ることになるはずだ。
 本書の目的は、日本の戦後史のなかにドリフを位置づけ、日本人にとってドリフとは何
だったかを明らかにすることである。その際、一つの軸として演劇史の視点を導入したい。
一般的に言えば、ドリフはテレビのバラエティ番組で活躍するコントグループであり、演
劇のイメージはないだろう。だが、『全員集合』はテレビ番組であると同時に舞台の生中
継であり、メンバーもドリフの笑いは舞台が基本だと語る。       (引用終わり)

ドリフで日本の戦後史を語るというのは、ちょっと大袈裟すぎないかなと思いますし、
しかも演劇という視点といわれると、個人的にはあまり演劇というものとは無縁ですし、
ちょっとどうなんでしょう、という気持ちもありましたが……

もうすぐドリフ結成60周年ということは、ボクより少し若いということになりますが、
「8時だョ!全員集合」などは1969年から放送スタートですから
ちょうどボクが小学生の頃であって、当然ながらボクはドリフ世代の先頭に当たります。
なので、戦後史とか演劇史とかさておいても、ドリフには興味があるから読んでみた次第です。

 

でも、本書の著者の笹山氏は1979年生まれの演劇研究者ですから
ボクが大はしゃぎしていた頃のドリフは知らない世代になりますね。
そして、同じく「はじめに」では次のように結んでいます。
                                   (以下引用)
 ドリフは私にとって生まれて初めてのスターだった。同級生は中学、高校に上がるにつ
れてドリフから「卒業」していったが、私は「卒業」しなかった。必ずしもすべてのコン
トが面白かったわけではないが、意地でも見続けた。今ようやく、あの頃に感じていたド
リフの魅力を言語化できる。本書を通じて、ドリフの尽きせぬ魅力を読者と共有できれば
うれしい。                             (引用終わり)

ボクはやはり中学ぐらいで卒業しましたね、ドリフは。
その後もまったく観なくなったわけではないし、未だに再放送などを観たりもしてますが、
小学校の頃に大はしゃぎして観ていた感覚は当然なくて、懐かしさで観てる感じですかね。

BSフジで放送している「ドリフ大爆笑」などは、コントそのものの面白さよりも、
当時出演していたアイドルや女優などを見て懐かしさや楽しさの方が上回りますしね。

だから、ボクにとってのドリフはやっぱり荒井注がいたころのドリフであって、
加藤茶が笑いの中心にいたころのドリフであって、
志村けんがいなかったころのドリフなんですよね。

志村けんが面白くないと思ってはいないし、大いに笑わせてもらったんですけど、
ボクが小学生のときのドリフには志村けんはいなかったし、
志村けんがいたときのドリフにはもうあまり興味がなくなっていたんですよね。

 

それはボクが変わったからそう感じるようになったのかどうか分かりませんが
荒井注時代のドリフと志村けん時代のドリフとは何かが変わったような感覚はありますね。
それに関するようなことで、本書ではいかりや長介の次のような言葉を紹介しています。

(以下引用)                番組終了から八年後の一九九三年、大倉は
偶然、いかりやと二人で飲む機会があった。そのとき、「どうして全員集合から外れたん
ですか」と聞くと、いかりやは「つまりリズムが違うんだよな」と答えた(『小説新潮』
二〇〇四年五月号)。
「俺たち、4ビートで育ってるだろ。だから笑いの間も4ビートなんだよな。でもそれが
違っちゃってさ。どうしようもなくなったんだよ」
 誰とも書かれていないが、ドリフの四人は同じビートで育っている。つまりは、いかり
やと志村のリズムが違ってきたのだろう。               (引用終わり)

ボクは音楽バンドについては詳しくないので、4ビートのリズムがどうこうも分かりませんが、
そういう感覚がどこかにあったのかもしれないですねぇ。

それで、この話からも分かるように、そしてボクも概略は知ってましたけど、
ドリフターズは元々は音楽バンドとしてスタートしているんですよね。
ただ、なんとなくいかりや長介がリーダーとなってメンバー募って結成したのかと思ってましたが
そんな単純ななりたちではなく、相当に紆余曲折があって形になっていったようです。

また、戦後の音楽バンドは進駐軍を相手に演奏する仕事がもっぱら中心で、
そんな場では興行として音楽と笑いは不可分であって、音楽バンドが演奏の中に笑いを取り入れていき、
結果的にコントが生まれて、むしろコントが中心になっていったのがドリフなどだったわけです。

だから、ドリフのメンバーは最初はみんなコントや笑いのプロではなかったんですね。
本書ではそのようなドリフの成り立ちだけでなく、ドリフ以前や同時代のコント55号なども含めて
音楽バンドとコントグループの盛衰、離合集散の歴史なども事細かに紹介されています。
もちろん、人物そのものも紹介もされていて、ドリフメンバーの生い立ちも詳しく書かれています。

そういう意味では、確かに戦後史だし、演劇史に近いものがここにはありますから、
「はじめに」で感じた大袈裟さは読み進めていくとかなり緩和されて納得感が出てきますね。

 

そんな音楽バンドをルーツに持つドリフですけど、志村けんは音楽(楽器)もかじっていたものの
最初からコント師を目指していかりや長介に直談判してボーヤ(付き人)になり、
最終的には荒井注の引退を機にドリフのメンバーとなり活躍していくことになるわけです。

その辺のいきさつなども事細かに紹介されていてなかなか興味深いものがありますし、
やはりなんといっても、さいごは「日本の喜劇王」とまで言われるほどの志村けんについて
かなりの文字数を割いて、いかりや長介との対比も含めて様々な角度から書かれています。

そして、まだドリフは続いていますし、各メンバーの現状にも触れられていますが、
本書では志村けんの永眠のところまでで締めくくられています。
コロナ禍とともにひとつの時代が変わったのかもしれないですね。

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