MT用AWDから脱線してNBR最速ごっこなどの話
前回記事では、21世紀初頭にスバルの廉価MT車用というか主流となるMT車用AWDについて
50:50+ビスカスに代わる進化版として、3つの考え方が出てきて混迷を極めたことを書きました。
その3つの考えとは、前回記事のおさらいですが
(A)は、電制カップリング式、MT版新ACT-4です。ボクのイチオシでした。
(B)は、センターデフ上等、リア偏重トルク配分上等という頭から抜け出せない考えです。
(C)は、電子制御なしでトルク感応式センターデフを安く内製しようという考えです。
このうち(A)については、前回記事でも説明をしたので今回は細かくは書きませんが、
ただ10年後、20年後の今から見ると、MT/AT問わずこの方式が主流となってますから
工学的に常識的な判断をすればこれにすべきだったのは間違いないと、ボクは今でも考えています。
でも、実際にはスバルでは、その後も50:50+ビスカスが使い続けられます。
WRX STi系のDCCDもほとんどそのまま残りましたが
結局はスバルのMT車(2WDのBRZは除いて)の消滅とともにこれらAWDも消滅したわけです。
ボクはヘタなAWDに変えるくらいなら50:50+ビスカスのままでもよいと考えていたので
まぁこんな結末になったのも、悪くはなかったということになるのですが、
本音では(A)だったわけで、(B)は論外としても(C)も技術的に問題ありで、
ボクも途中でもういいやと匙を投げちゃった結果でもあるんですよね。
なんでそんなことになったのか、本日はちょっとその辺の愚痴みたいなことを書いておきましょう。
まず、(B)ですが、まぁ今でもたまにいるんですけど、
センターデフのあるフルタイムAWDってのは本格的で上等だと思い込んでいるとか
さらには後輪偏重トルク配分のAWDの方が走りが良い(スポーティなハンドリング)と決めつけている
(もっというと、FFよりFRの方が高級とかスポーティと決めつけている)
そんな人が、自動車評論家とか自称マニアの人にもいるんですけど、21世紀初頭はもっと多くて、
さらに自動車メーカーの中で開発している人たちにもそういう考えに凝り固まってた人もいたんですよね。
そう、以前のこの記事に書いたように、前後トルク配分なんてハンドリングに大した意味はないし、
ドリフトするような走りにしたってこの記事のように前後トルク配分より前後差回転が重要なので
センターデフの有無なんてどうでもいいし、
ましてやFFベースの後輪偏重トルク配分もデメリットが目立つだけなんですけど。
で、当時(21世紀初頭)のスバルの開発本部内にもそういう非工学的で思い込みの激しい人たちがいて、
なんとそれが、当時のボクの上司のT課長、さらにその上司のO部長、
そしてWRX系の商品企画のM.PGM(プロジェクト・ジェネラル・マネージャー)らだったのです。
上司のT課長なんかは、NBR最速ごっこなんかのリーダーもやっていて
とにかくNBRでタイムアタックするには後輪偏重トルク配分にしなくちゃという考えでしたし
それで、M.PGMともどもでWRX STiなどのAWDを改悪しちゃったりしてわけです。
その辺の改悪については、以前に紹介したマガジンXの記事でもズバっと指摘されてたわけですが。
さすがに、O部長は工学的にボクの意見が正しいことは理解していたようですが
それでも、スバルVTDやDCCDなどの後輪偏重トルク配分のAWDは(一部には)ウケがイイので
理屈ではなくイメージだけで後輪偏重トルク配分にすればいいんじゃないのという意見でしたけどね。
もちろん、クルマという商品はすべてが工学的に正しいことづくめで作るわけでないことは承知ですし
デザイン(設計ではなく意匠などの意味)も含め科学で説明できない人の心に訴えかけるモノは大切だし
実は個人的にはそういうところにこそクルマの魅力として惹かれるわけですが、
でもそれが走行安全性に大きく関わる問題なら、スバルとして絶対に妥協すべきでないと考えるんです。
ただ、当時は「安心と愉しさ」しかも安全・安心があってこその愉しさということよりも
「プレミアムブランドを目指す」であり、そのために速く・よく曲がる走りに突き進んでいたわけなので
その点をもってしても、ボクの主張は上司らの考えとは真反対だったと言えるでしょう。
けれど、「プレミアムブランドを目指す」といっても決して全社あげてそれに邁進していたわけでもなく
そのためのNBR最速ごっこなどについても技術部門あげてそれに邁進していたわけでもなく、
それは一部の人たちだけが一生懸命に、あるいはある面で意地になってやっていただけで、
実は大半の人はただ冷やかに横目で見ていただけという風潮だったと感じていましたけどね。
それでも、それに対して真っ向から反対していたのはこれまたボクなど一部の人間だけで、
他はやはりどちらにも巻き込まれないようにするか、長いものには巻かれろ的な風潮でしたかね。
ここで、少しAWDの議論からは外れますが、NBR最速ごっこについて書いておきましょう。
これはいちおう先行開発という形をとって、ボクの上司のT課長がチームリーダーとなって、
実験・設計などの各部署からメンバーを選出して結構な大人数で(30人とか50人くらいいたかな)
最終的にドイツNBRのラップタイムで市販車最速とか何分何秒を切ろうとかいうものでした。
まっボクはそのメンバーではなかったので詳しいことは知りませんし、知りたくもなかったけど(笑)
そして、普通、どんな社内のプロジェクトでも基本的にメンバーの選出は正式にはリーダーから
各専門部署にこういう人材を選出・推薦して欲しいということで進むのですが(スバルの場合)、
なぜかこのNBR最速ごっこだけはリーダーの好き嫌いだけで一本釣りで招集していってましたね。
プロジェクトチームのメンバー編成についてはいろいろな考え方があるので
リーダーが必要な人材を名指しで集めるというのは良い面もあり、それ自体は否定しませんが、
それでも傍からみているとイエスマンばかりというか
むしろ一部には(リーダーを教祖とする)信者のような人を優先的に招集しているみたいで、
つまりはNBR最速ごっこそのものが新興宗教化でもしているようにさえ映っていましたね。
まぁ、新興宗教団体というのは少し言い過ぎのところもありますが
それでも健全な企業組織の中では異質な集団という感じであり、
そのチームリーダーT氏もやはり企業組織の管理職というよりも
何か特別な“親分”というかお山の大将ってな存在になっていたというように見ていました。
ここで“親分”という言葉を使ってしまいましたが
もともとボクが入社時には本物の自称“親分”がいました。
T氏はその“親分”の部下だった時もあったのですが、その頃は“親分”からは可愛がられずに
本人曰く「サファリラリーにもどこにも連れて行かれず、完全に干されていた」とのことで、
それで“親分”の悪行のことをアレコレと周りに暴露して、親分の陰口ばかり叩いていた人でした。
まっ、実際に“親分”の悪行の数々については他の人からも訊いていたし、この目で目撃もしてたし、
何よりも自らを“親分”と呼ばせてそれこそ新興宗教の教祖のよんな存在になっていた人ですから
その人がどうこうよりも上場企業の会社内にそういう存在があること自体に違和感があり
なのでそのいう存在の人に対して陰口を叩くのは納得していたんですけど。。。
ところがある出来事を境にして、そのT氏はまったく“親分”のことを口にしなくなったんですよ。
その出来事とは、この記事でも書いた、79Vでのインディ速度記録挑戦です。
79Vでインディでの速度記録挑戦しようという企画そのものがボクにとって苦汁だったわけですが、
この企画の総指揮が“親分”で、何故かナンバー2とも言える立場でT氏が参画したんですよね。
あんなにケチョンケチョンに陰口を叩いていたT氏を、それを知らないわけもない“親分”が引き連れて……
いったい何があったんでしょうかねぇ。
ただ、T氏はちょうどその頃に職制試験(課長クラスになれる昇格試験)を受験していたんですよね。
そして、その職制試験の後押しと、“親分”との仲介(?)をしたのがどうやらO氏だったみたいです。
このへんは噂話の域でしかありませんが、でもなんとなくその空気は感じてましたけどね。
おそらく、O氏は“親分”の後釜のような人物が実験部には必要なんだと考えたんでしょう。
それは“親分”のような悪行をする人ではないけど、社内的に発言力があり“走りのカリスマ”(?)があり
若手実験部員の運転能力を鍛えられるような人物として、T氏を据えようとしたのでしょうね。
確かに、トヨタのマスターテストドライバーの故・成瀬弘氏や
ニッサンのテクニカルマイスターの加藤博義氏のような“走りのカリスマ”的な存在は貴重なものの、
他社の実情はしりませんが、きちんとした会社組織としての意思決定プロセスを飛び越えたような
“カリスマ”とか“教祖”とかそういうもので決まるようになったのでは
工学的にも経済的(予算や収支の意味)にも人事的にも歪みが出るのは明らかなので、
昭和の時代ならいざしらず、平成も半ばに差し掛かった頃では時代錯誤も甚だしいと思ってました。
例えば、社内での資格(と賃金)は上げても役職は上げないとか、マイスター制度とか
そういう組織で“カリスマ”であっても職域や権限に制限を設ける必要があるでしょう。
でも、実は、T氏が職制試験を受ける頃に、
「オレなんか高卒だから〇〇や〇〇より出世遅れんだよな」とか言うので、ボクは悪気なく
「マイスター制度などで役職で出世しなくても専門技術を活かせればいいのにね」と言ったら、
烈火のごとく怒って行ってしまうという出来事がありました。
あっ、この人って今まで出世ウンヌンなんて言ってなかったのに
本音では本気で出世したいというか権力欲のある人だったんだ、とその時気づいたんですよね。
高卒に引け目を感じていて、でも運転じゃ負けないって自負というか競争心は人一倍強くて、
それが権力欲に繋がっていたんだと、気づいたわけです。
そういう人に「出世しなくていい」なんていったら怒るし、以降は完全に嫌われますわな(笑)
しかも、昔は散々陰口叩いていた“親分”のような存在に自分がなろうとしているわけだし
その辺のカラクリというか裏事情も見透かしてしまったようなボクに対して
徹底的に嫌うし、避けるし、ケチョンケチョンに貶しますわな。
こっちは別に嫌いというわけではなく、ただ意見が対立すればそれを表明するだけなんですが……
だから、AWD-CoEという部署が新設された時に、これ幸いとボクは放出されたんだろうし、
その時のことはその10年ほど前に、ボクが“親分”のとこからSTIに放出されたのと同じ構図ですな。
ところが、STIから出戻ったのと同様にAWD-CoEから出戻ってT課長の部下になったわけで、
そりゃもうT課長したら厄介者が戻ってきやがってこの野郎!ってところだったでしょう(爆)
えーと、MT用のAWDの話ではなく大脱線してしまいましたが……
本日は、もともとこの話題を書くつもりで意図的にポイント(転轍機)切替えしたわけなので
道草を食うみたいなもんで、もう少しこの愚痴にお付き合い願いましょうかね。
さて、そんな上司から嫌われ者だったボクですから、またとっとと放出されそうなもんですが、
その後5年以上もそのまま操安乗り心地の実験部署に居続けることになります。
どうして、そんなことになったのでしょうか?
まっ、人事的なことですからはっきりは分かりませんが、
ひとつには引き取り手(部署)がいなかったのでしょう。
つまり、こんな厄介者を自部署に異動させるのに合意する管理職がいなかっただけのことでしょう(汗)
もうひとつの理由は、ボク自身が他部署への異動を希望しなかったからです。
異動希望や将来的なキャリアプランなどを書いて上司を経由せずに提出する自己申告制度で
ボクは「当面は現職を続けたい」として異動希望なしとしてましたからね。
上司から露骨に嫌われて干されていれば、普通の人は異動希望を出すんでしょうけど、
ボクは天邪鬼ですし、その当時のAWD関連や先行開発などの操安乗り心地業務もやりがいあったし、
上司から嫌われて干渉されないからかえって自由裁量があったし、
なにより愛しのスバルブランドの方向性を考えれば
プレミアムでもNBR最速でもないという信念からどんなに嫌われようが反骨する覚悟でしたからね。
おそらくT課長からすれば、一刻も早く自分の課からいなくなって欲しいと思ってたでしょうが、
ボクはそのころは職制試験に落ちて未だに労働組合の組合員でしたから
本人の意向をまったく無視して理不尽な異動をさせることは難しかったのでしょう。
また、その上のO部長の立場からすると、、、これは完全に推測の域を出ませんが、
それなりにボクの理論的・工学的な考え方や技術者としての一面は一定の評価をしていたと思います。
一方で、上司の意見に従わないヤツ、組織の和を乱すヤツとも認識しつつも
その上でこういうヤツもまぁ組織に必要だと思っていたのか、
それとも、そういうヤツを上手く手懐けてこそ管理職だと、T課長に言っていたのかも知れないですな。
そうそう、これとは直接関係ない話なのですが、SKC勤務中にこんなことがありました。
操安乗り心地実験部署に高卒の新卒社員が配属されたんですよ。
それ自体は特に珍しいことでもないんですが、
なんとその子(いや本当に見た目も精神的にも子ども)は運転免許すら所持していなかったんですよ。
いくらテストドライバーという職業はスバルにないとは言っても
操安乗り心地の実験するにはテストコースなどで試験車を運転しなければ務まらないわけだし、
そもそも社員寮(大泉)からSKCに車以外で通勤するのはかなり無理があります。
絶対に出来ないわけではなく、徒歩1時間を含む片道3時間くらいで行けるはずですが……
それに、運転免許の有無をさておいても、どう見ても実験部署に向くタイプでもなさそうで、
そんな子を誰がどう判断してSKC勤務の操安実験部署に配属させる判断をしたのか???
組織にとっても、先輩・同僚にとっても、そして何より本人にとっても何も良い事ないのにね。
案の定、通勤は先輩・同僚が交代で送迎する形となったけど、これまた本人の寝坊癖が酷くて……
そんな中で、仕事をしながら教習所に通って、晴れて運転免許が取れた時に、
不思議なことにその子は何故か電話でボクを名指しして最初に報告してきたんですよね。
いや、ボクはその子の直属の上司(担当=係長相当)でも、もちろん課長でもなかったですし
特にその子に優しく接していたわけでもなく、むしろ厳しいことも何度も言ったんですけどねぇ。
まぁでも、人間性を否定したり、厭味をいうようなことはしなかったので、
そういう意味では話しやすかったのかも知れませんし、
おそらく犬が家族内の人間関係はよく観察しているように(その子を犬に例えるのも失礼ですが)
最若の新入社員として課内の人間関係で何かを感じ取っていたのかも知れないですね。
あっ、何が言いたかったのかというと、そんな子がどうして配属されたのかも
本人の希望だったとは思えませんが、そういう子をちゃんと指導・教育してこそ管理職である
なんてT課長は言われたのかもしれないですし、意地の張り合いみたいなものもあったのでしょう。
なお、結局、その子はしばらくして形式的には自主退職という形で地元に帰っていきました。
T課長の下でなくても、SKC勤務でなくても、いずれは退職することになったかもしれませんし
本人の適正もあったかと思いますが、それでも少なからずとも犠牲になった部分もあるでしょうね。
まぁ、なにはともあれ、NBR最速ごっこやら、上司に徹底的に嫌われていたSKC勤務時代の話でした。
なお、今回の記事で登場した人たちについては意見の相違など含めていろいろありましたけど
当時から恨みを抱いていたわけでもないですし、今でも根に持っているわけでもありませんから、
こんな記事を書いていてもその人たちを貶めたいとか思ってるわけではないので、あしからず。
さて、次回は話しを元に戻して、MT用AWDの続きのことを書きましょうかね。
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