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分厚い文庫「悲劇の発動機『誉』」を読了

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草思社文庫の「悲劇の発動機『誉』」前間孝則著を読みました。
右の写真のように、一般的な文庫本の2冊分をゆうに超えるような分厚い本で
総ページ数も600ページ近くとなっていて、読み始めるのに相当に覚悟が必要だった本です。

なので、随分前に買っていて何年も積読状態になっていたのですが
前回紹介の「銀翼のアルチザン」からの流れもあるだろうからと思い
一念発起して読み始めた次第です。

なお、2015年発行となっていますが、もとは2007年に単行本として発行されたものの文庫化です。
なので、そんなに新しい内容ではないですが、むしろこの手の大戦中の話となると
もう他界されてしまった方なども多くなってしまいますから難しいですね。

 

なお、著者の前間孝則氏の著した本では、ボクはずいぶん前に以下の2冊の文庫を読んでいました。
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左は、だいわ文庫の「なぜ、日本は50年間も旅客機をつくれなかったのか」です。
これも370ページほどとかなり分厚い文庫本です。
しかも、上下の余白もあまりなくて、びっしり文字で埋まっている本です。

右は講談社+α文庫の「トヨタvs.ベンツvs.ホンダ 世界自動車戦争の構図」です。
これも500ページ近くもあり、これまた分厚くてびっしり文字で埋まっている本です。

どうやら、前間氏は長編ものとなるみたいですね。
なお、著者はノンフィクション作家ということですが、
石川島播磨重工でジェットエンジンの設計に携わっていたエンジニアだったとのことで
それ故に航空や自動車など機械モノを得意にしているようですし
同じ元エンジニアとして技術的には正確だし、論理的な文章になっていると感じます。

 

さて、前回紹介の「銀翼のアルチザン」でもその「プロローグ」においても
戦後、アメリカで質の良いガソリンを入れて中島飛行機の戦闘機・疾風をテスト飛行させたら
アメリカ戦闘機を凌駕するほどの高性能を発揮した、という話は書かれていて、
その疾風に搭載されていたのが、中島飛行機製の「誉」エンジンであることはよく知られています。

本書では、その「第一章」にて、次のように書いてあります。
                        (以下引用、改行位置変更)
 主任設計者は、弱冠二十六歳の中川良一。その四年前の昭和十一年に東京帝大機
械工学科を卒業し、中島飛行機に入社した。
 前例のないほどの急ピッチで作業が進められ、「誉」(海軍試作名称NK9B、
社内略称NBA)の試作一号機が完成し運転試験が行われたのは、日本開戦の半年
前。構想からわずか一年あまりで、試作までこぎつけた。
 性能は驚くべきものであった。(中略)
 海軍は絶賛して、これを「奇跡のエンジン」と呼んだ。    (引用終わり)

と、誉を褒めたたえ、中川氏を持ち上げるような書き出しとなっています。
ちなみに、中川良一氏は戦後、旧中島飛行機のひとつである富士精密工業に残り、
のちにプリンス自動車工業となるがそこで自動車用エンジンを設計し、
そしてプリンスが日産自動車に吸収されるが、最終的に日産の専務として活躍されたわけです。

あまり知られていないことですが、富士精密工業は旧中島飛行機ということで
本来ならば富士重工に合流していてもおかしくはなかった、というかそれが自然な流れなんですが、
ここで、自動車メーカー進出を目論むブリヂストン創業者の石橋正二郎氏がそれを拒み
たま自動車と富士精密工業を合併させちゃったんですよね。
にっくきブリヂストン、というか石橋氏(笑) だからブリヂストン嫌いなわけではないですけどね。

富士重工に富士精密工業が加わっていたら、もっと言えば富士重工に中川良一氏が加わっていたら、
スバルのエンジンはもっと違っていた(良くなっていた?)かも知れないですねぇ(汗)

 

さてさて、本書の冒頭では「奇跡のエンジン」ともてはやされた「誉」ですが、
この本のタイトルは「悲劇……」となってしまっています。どういうことでしょうか。

それは、確かに戦況の悪化とともに、ガソリンの質が落ち(オクタン価低下)、オイル品質も落ち、
様々な原材料も不足し、工作機械の精度も落ち、熟練作業員や整備員も不足し、、、などが重なり
当初の計画の性能も出せず、生産も滞ってしまった、ということを指して「悲劇」なのでしょうか。

いや、本書を読み進めていくと、それもあるけどそもそも「誉」の設計には無理があって
信頼性がなかったし、戦争になればガソリンその他も質が悪くなることは予想されたことだし、、、
だから「悲劇=敗戦を生んでしまった元凶の発動機」との言いたげな論調になっていきます。

そこには、入社早々の若造にいきなり新エンジンの設計主任を命じた中島知久平への批判、
さらには中島飛行機の経営体質などについての批判にも発展していきます。

個人的には、中島飛行機と富士重工はまったく別の会社で技術資産も繋がっていないと考えてるし
だから中島飛行機や中島知久平を批判していても元・富士重工社員として憤りも感じませんが、
ただ、開戦時からもう中島知久平氏は敗戦を確信していて
その中で日本のためにどうすべきかを壮大なスケールで考えていた人ですから
「誉」が悲劇でなく奇跡のままであっても、日本が奇跡の戦勝になることはないと悟っていたでしょう。

資源だけでなく、自動車などの基礎的な工業力が圧倒的になかった日本ですから勝てるわけがない。
それでも、いかに上手く負けるかということで、奮闘したのが中島知久平という人だったのでしょう。

 

けれども、著者は中川良一や中島知久平を否定しているわけではなく
上述のような時代背景なども含めて一定の理解をしつつ、様々な視点で問題点を挙げています。
それぞれは、確かに後になって見れば、あるいは欧米基準で見れば、確かに問題とも言えます。
そして、最終的には次のように書かれています。

(以下引用)     「誉」の開発に対する中島飛行機の取り組み姿勢がかなり特異
なものであるばかりか、大きな賭けの要素を孕んでいたことがあきらかとなった。
 その背景には、ワンマン社長・中島知久平の独特な経営姿勢や社内体制、加えて、そ
れを反映させた若いエリート技術者たちの資質もあげられよう。
 たしかに時代状況として、中川良一ら中島飛行機の設計技術者たちからすれば、思っ
てもみないほど早く、しかも突然、日米戦に突入したという事情があった。さらには、
そのしわ寄せを「誉」が直接被って、なにもかもが裏目に出てしまい、散々な結果にな
ったともいえる。加えて、日本の航空エンジン工業や周辺工業の後進性が足を引っ張っ
たとの見方もできる。
 だが、欧米のエンジンメーカーとの対比も含めて総合的に検証するとき、やはり第一
に問題とすべきは、海軍であるといえよう。海軍はあらゆる決定権をもち、これらの計
画を決定して、いわば中島飛行機と共同開発のようなかたちで率先して推し進めたので
ある。(中略)
 こと「誉」の試作決定とその後の取り組みに関するかぎり、戦争を遂行する主体であ
る海軍は、希望的観測に基づく表層的な見方だけで兵器開発の重要事項を決定してしま
った。また日米開戦やその後の見通しについても楽観的だった。あまりにも事実認識や
国際情勢に対する認識が欠如していたとしかいいようがない。    (引用終わり)

長々とした引用になってしまい申しわけありませんが
この超分厚い本のほとんどの部分がここに凝集されていると感じたので引用させていただきました。
と書いてしまうとネタバレ的となってしまいますが、本書の読み応えはここだけではないですから。

 

本書では、「富嶽」についても触れられています。
どちらかというと、これまた中島知久平批判という感じでの登場ですけど。
                                 (以下引用)
「富嶽」に見られる中島知久平の行動様式は、少なくとも企業(資本)の論理を優先す
る三菱や川崎航空機などではとても考えられないことである。一経営者であり、一政治
家であった知久平が、軍人としての意識をあわせもち、みずからの軍用機会社のすべて
を「富嶽」に託して、国の命運を賭けたのである。他の航空機メーカーの経営者のよう
に、軍に対して受け身ではなく、当人としては救国思想に基づき、会社の利害を抜きに
した国のためとする破天荒なまでの積極姿勢であった。       (引用終わり)

異論はないけど、知久平は富嶽が実現しても勝てるとは考えていなかったし
富嶽が完成してアメリカ本土に一発でも爆撃できれば御の字くらいしか考えてなかったでしょう。

もしかしたら、富嶽は完成しないけど、そういう計画があったという事実が
戦後の日本には有利に働くと考えたのかもしれないですしね。
富嶽は戦後に旅客機になるとか、航空技術の向上に繋がるとかそういうことも考えてた人ですから。

 

なお、話を「誉」に戻しますが、零戦の設計者の堀越二郎氏は「誉」について
かなり辛辣というかケチョンケチョンに方々で貶していたそうで、
この「誉」のせいで、零戦の後継機となるべき「烈風」の開発が遅れ完成しなかったとか
三菱が開発していた「ハ43」エンジンにすべきだったとも語っていたそうです。

この話は初耳でしたけど、どうなんでしょうかねぇ。
ちょっと恨み節というか
零戦の後継機を設計できなかったことを他人のせいにしているように聞こえちゃいますな。

零戦の設計をした天才設計家・堀越二郎がその後継機を設計できなかったとなると
じゃぁ零戦の設計はたまたまだったの?と思われちゃうのが嫌だったんでしょうか。

でも、その零戦はそもそも三菱製の「瑞星」では性能が出ずに、それで中島の「栄」を使い、
それで「ゼロファイター」として開戦当初は有名になって、戦後は堀越二郎も有名になったわけで、
それを後継機開発に当たっては、他社のエンジンのせいにするとはなんだかなぁな気分です。

堀越二郎もここ伊勢崎市の隣町・藤岡町出身の人なので悪く言うのは憚られますが
所詮は自分の売名であって、ちょいと虚しく感じられてしまいますね。

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