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ボクの愛車遍歴 その1

ランちんことマツダ・ランティスの購入はいちおう中古車屋さんで試乗させてもらってから決めました。
でも、試乗が決め手となったわけではなく9割がた購入するつもりで中古車屋に出向きました。
あまりにも気になるところがあったら修理してもらうか値引きしてもらうか
その辺の交渉をする目的というか交渉スタートに当たっての試乗ということになりますね。

元職業柄というかこのブログでもハンドリングがどうとか走り味・乗り味ウンヌンとか書いてますけど
実はボクは試乗が決め手になってクルマを購入したことってほとんどないんですよね。
というか、新車でも中古車でも試乗しないで購入したクルマばかりという気がします。

本日の記事ではそのあたりことを振り返ってみたいと思いましたが
書いているうちにあまり面白い記事になりそうもなくなってきたので
(もっともいつもの記事も大して面白いものでもないんですけどね(汗))
試乗うんぬんも含めつつボクの今までのクルマ遍歴みたいなものを書いてみましょうかね。

とはいえ、このブログがスタートした2005年以降はほぼブログ記事にしてますし
それ以前のこともちょくちょくこのブログの記事にも話は出てきてますし
JET-Photoの方や更新してないけどホームページのJETの部屋でも紹介してたりして
それらと重複する部分も多いかと思いますが、そのあたりはご容赦をお願いいたします。

大学生になって教習所に通って運転免許を取って、教習車(ギャランΣだった)を除くと
先ず最初に運転したのがその時に父親が乗っていたのを借りたスバル・レオーネ(初代)です。
たしか、4ドアセダン、1400のGLで4MTだったかな。借りものなので年式覚えてません。

アメ車を縮尺したようなデザインで視界が悪くカッコも悪くハンドルがやたら重い変なクルマです。
まぁ、親父が乗っていたクルマをけなすのもなんですが
親父自身がそうぼやいていたくらいなのでとても満足できるような出来でなかったのは事実です。
逆に言えば、その先代となるスバル1000、ff-1、1300Gの出来が良かったわけですな。

結局このレオーネはほとんど乗ることもなかったしもちろん画像などもありません。

 

そして、すぐに初のマイカーとして’72年式ニッサン・サニー・エクセレントGXを買いました。
父親のツテでスバル・ディーラーに下取りされていた廃車同然のクルマで
履いていたタイヤが4本とも別々の銘柄のサイズも違ってるという代物でした。
そんなどうでもいいクルマなので、試乗もせずに5万円ポッキリでの購入でした。
それでもお金が無かったので全額親から借りてすぐにバイトして返しましたけどね。

形としては2代目のサニー(型式B110)ということでそのGXだとなると
特にクーペではツーリングカー(TSクラス)で一時期無敵を誇ったスポーツ性のある車種ですが
ボクが買ったのはエクセレントという少し上級クラスを狙ったモデルとなっていて
型式もPB110となってボンネットが長くホイールベースも長くて
そこに名機A12型ではなく1.4LのL14型のエンジンを搭載したものとなっています。

要は大衆車サニーをちょっと手軽に高級っぽくさせたのがサニー・エクセレントという車種です。
今なら、ノート・オーラという位置づけに近いし、ローレルスピリットの前身とも言えますかね。
それでも、GXグレードなのでいちおうSUツインキャブ仕様となっているエンジンです。
ミッションは5MTですが確か5速はオーバードライブになってました。

大学の自動車部に在籍していたのでいちおうダートも走るように改造してたりしましたが
B110のサニーのパーツはいっぱいあるのにPB110には使えないものが多くて
走りも決まらないし、それ以上に運転が下手っぴだったのでよく事故って
最終的には山の中の崖から転がりながら滑り落ちて廃車になってしまいました。

また、途中で、当時のニッサンPA10バイオレットのサファリラリー仕様風のカラーに
自動車部の設備を使わせてもらって自分で全塗装してしまいました。今見ると恥ずかしいな。
Sunny
ちゃんと記録をつけてなかったのですが、1年弱で1.5万kmほど乗りました。

 

それで、次に買ったのが’75年式のミツビシ・ランサー1600GSRです。
いわゆるA73という型式でサァファリラリーやサザンクロスラリーなどで活躍したクルマで
これは大学自動車部の先輩から譲り受けたというか買わされたというかそういう経緯です。
はっきり記憶がありませんが、たしか30数万円で先輩の言い値で買いました。
いちおう試乗したような気もしますが先輩に言われるがままに運転してみただけという感じでしたね。

この型のランサーはスポーツパーツが豊富にあり元々先輩がラリー仕様に仕立てたもので
なのでそのままでダート走行も出来たし、おそらくランサーそのものが素性がよく
とても素直で運転しやすいクルマになっていたので買わされても大正解でした。
このクルマになってやっとドリフト(パワースライド)走行できるようになりました。
もっとも前車のサニーはLSD入れてなかったので原理的にドリフト出来ませんでしたけど。

もちろんミッションは5MTでラリー用のクロスレシオのものに替えられていて
さらにフアイナルも一段ローギア化されたもので4ピニオンの機械式LSDが入ってました。

ただ、ラリー仕様といってもボクは公式競技に参加するつもりはなかったので
レギュレーションどうこうとも無縁だったので
1年ほど乗った後にちょいと出来心で某所でエンジン・チューニングをしてもらいました。
1800ccにボアアップして圧縮比アップ、ハイカム、バランス取りなどひと通りですね。
まぁバイトでちょっとお金の余裕もでてきたから興味本位でやってみたんですね。

そしたらパワーそのものよりもレスポンスの鋭さにしばらく慣れないくらいでしたけど
当時の水準からすればかなり速い部類のクルマに仕上がっていたと思います。
しかし、それから1年弱でこれも事故ってしまい廃車となってしまいました。
この時は単独事故でもなかったのでかなり落ち込みましたね。
Lancer ※ほとんど画像は残っていません、これが唯一です。
結局、ランサーは2年弱で1.8万kmほど乗りました。
大元は緑色だったのを先輩が自分でアイボリーに全塗装したまま乗ってました。

 

そして、いつ頃からか正確に記憶してないのですがランサーと併行して
スバル・FFレックスコンビFL(?)を父親と共同所有という形にして乗るようになりました。
共同所有というより父親が買ったレックスにボクもお金を払って運転するようにしたわけです。
なので試乗とかそういう過程も何もなく自然と使うようになったというだけです。

というのも、ランサーはノーマルエンジンで10km/L、チューニング後で8km/Lほどと
当時のスポーツ車でイケイケで走ってたにしてはそこそこまともな燃費でしたけど
それでも有鉛ハイオクで180円/Lもしていた時代なので学生の身には財布に優しくなく
家庭教師のバイトの足としてはレックスで十分ということで乗っていたわけです。

けれど、このレックス、4輪バイアスタイヤで4輪ドラムブレーキで30PSほどしかなく
まぁスペック的にはまったくもって魅力的なところは何もないんですけど
これが非常にバランス良いハンドリングとなっていて
いつもつるんでいた仲間と3人乗車して四輪ドリフトしながらゲラゲラ笑って乗ってられましたね。
もちろん、とっても低次元・低速・低横Gでの四輪ドリフトですけど……

そして、ランサーを廃車にさせてしまった後はしばらくこのレックスだけに乗ってました。

 

そして、ついにここで学生の分際で新車を買うことになりました。
それがスバル・ジャスティRSで、5MTのパートタイム4WD車でした。
このジャスティ購入前にディーラーで試乗したのかどうか実ははっきりした記憶がありません。
1984年2月発売で納車されたのが5月ですから試乗できる機会はあったでしょうが
当時は父親のツテで購入したのでまともにディーラーに行ってない気がするんですよね。

たぶん、レックスの出来がすごくよかったのできっとジャスティも良いだろうと楽観してたのかも。
まぁジャスティはレックスの幅を広げてエンジンも1気筒足して1L3気筒にしただけですから。
いずれにせよ試乗が決め手となって購入したわけではありません。

なお新車と言っても当時で100万円ほどで決して高額車ではないですが
学生の分際なので貯金はなく(といってもかなりバイトで稼いでましたが)
ほぼ全額ローンで借りて買いました。
実態は自動車ローンではなく金利の安い手形貸付で1年ほどで完済しましたが。

それから、ボクはラリっ娘などほぼノーマルのまま乗っていることから
あまりクルマを弄って乗らない人間かと思われている方もいるかもしれませんが
このジャスティは新車で購入後にすぐにカーペットもメルシートも剥がして
ロールバーにバケットシート入れてサスもタイヤも交換してしまい
ラリー仕様というか林道走行仕様としてしまいました。

エンジンは弄ってないので全然速くはないのですが
何故かこの初期型のエンジンは推定9000rpmくらいまで平気で回るので
回してもパワーは出ないんですけどブン回して遊んでましたね。

その後、社会人になって、というか富士重工に入社してもそのまま乗っていて
終末などは群馬近辺のあちこちの林道・非舗装路を走り回っていました。
そうしたら、ボディのあちこちに亀裂や歪みが出てヨレヨレになってしまい
(ちなみに、ナンバーは40-40でした)初回車検まで持たずに廃車になりました。
まぁ廃車といっても、知人にダートラ車のベースとして売り払ったんですけどね。
860719_11 Justy ※最後はこんなになっちゃいました(笑)
結局、このジャスティは3年弱で3.5万kmほど走りました。

 

その次に購入したのが、逆輸入車でもあるスバル・ブラットGLです。
2代目レオーネ、AB型レオーネベースのピックアップトラックでブラットとしても2代目です。
会社の近くの自動車修理工場(第一工業自動車部)が逆輸入するというので
同い年の会社の先輩と一緒に見に行ってそのまま先輩ともども買ってしまいました(笑)

もちろん、登録前なので試乗もせずに現車だけ見ての購入です。
AB型レオーネ自体も一度も運転したこともないままでしたが
入社早々の時の工場実習でブラットは散々見ていましたけどね。
というか、ブラットが流れてくると力仕事でやることが多くて大変でしたな。

また、たまたまジャスティを売るタイミングとブラットを買うタイミングが合ったのですが
ジャスティを売るので次は何にしようかなと探してブラットに行きついたわけでもなく
またブラットを買うからジャスティを売らなくちゃとなったわけでもありません。

なので、このブラットはジャスティの後継車というよりちょっと別路線というか
自分の中ではちょいと背伸びしたクルマというかカッコつけのクルマという位置づけです。
ここでの背伸びというのは価格で無理をしたと言う意味ではないですが
それでも当時で330万円ほどしてほぼ全額を労金自動車ローンで借りての購入でしたから
社会人1年そこそこの人間としては金銭面でも相当に無茶なことをしたなぁというところですね。

そして、このブラットはカッコ重視でそこそこ弄って乗っていました。
上述の先輩はいわゆる「シャコアゲだ~」と言ってましたがボクはシャコタンにしてました。
リジットサスじゃないので単純に車高を上げるとただでさえポジキャンの前輪が
骨折してるみたいに鬼ポジキャンになってしまいカッコ悪いのでね。

モンテカルロラリーに参戦した(ドライバーは高岡祥朗?)レオーネRX用のサス・ダンパーを使い
ペッタペタのシャコタンにしてまししたね。リアはトーションバーの差し替えですけど。
ただ、カッコだけで走りの方はからっきしダメなクルマでしたね(笑)
そちらの方向性は求めてないしそういう改造もしませんでしたけど。
A910811_1 A890416_04 ※FHIエンブレムは撮影時に仮置き
結局、ブラットは5年8ヶ月、3.1万マイル乗って雑誌の売りたし欄に掲載してもらい
次のオーナーに引き渡すことになりました。

 

と、今回記事ではここまでとして次回つづきとさせていただきます。

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