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新書「『空気』を読んでも従わない」鴻上尚史著を読了

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岩波ジュニア新書の「『空気』を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる」鴻上尚史著を読みました。
先日紹介した「空気を読む人 読まない人」という本の記事でも書いたように
どうも「空気の研究」を読んで以来“空気”という言葉に過剰反応するようになってしまったボクです。

しかも、空気を読んで敢えて反対のことをする天邪鬼なボクですから
この本のタイトルはもうボクのようなことを指しているんじゃないかと思っちゃうわけです。

しかし、この本の帯の裏面にはこんな人に読んで欲しいと書かれています。(以下引用)

 こんな方に一度は読んで欲しい1冊!
 ・周囲の目が気になって、自分を抑えてしまう人
 ・SNSでのやり取りに気疲れしてしまう人
 ・先輩や上司の言う事に”No”と言えない人
 ・「空気」を読むことばかり考えてしまう人    (引用終わり)

あはは、ボクはどれにも該当しませんね。
まぁそういうことがこれっぽちもないわけではありませんが
それで生き苦しさを感じるということはないですからね。

それだからといってこの本を読んでいけないわけでもないし
実際に読んでみてなかなか面白い発見もあったのは事実です。

 

ところで、この著者の鴻上尚史(こうかみしょうじ)氏って帯に顔写真が載ってる人なんですね。
本文中にも書いてありますけど、NHKの「cool japan」っていう番組の司会をしている人です。
タレントか何かだと思ってましたけど、肩書は作家・演出家なんですね。

そして、その「cool japan」って番組は日本のモノや風習・文化などについて
外国人の人たちがクールだと思うかどうかを議論しあうような内容なんですが、
そういう意味では日本特有の「空気」を扱っている本書とも繋がるのはなんとなく分かります。

けれども、実はこの鴻上氏の著した本は以前にこの「不死身の特攻兵」を読んでいたんです。
その時は著者の名前と(テレビで見た)顔が繋がってなかったのですが
このブログ記事を書くのに整理していたらそのことに気づいてしまったというわけです。

まぁ、戦時中の特攻と現代の生き苦しさとは一見無関係で意外な繋がりと言う気もしますが
それでも“空気”という点では共通するものが無いとも言えなくもないというところでしょう。

 

本書で面白い視点だなと思ったのは“空気”の他に“世間”と“社会”という言葉が出てくることです。
この“世間”と“社会”というのは簡単に言うと次のような意味です。
                                  (以下引用)
 「世間」というのは、あなたと、現在または将来、関係のある人達のことです。(中略)
 「世間」の反対語は、「社会」です。
 「社会というのは、あなたと、現在または将来、なんの関係もない人達のことです。
                                 (引用終わり)

そして、欧米諸外国に対して日本はこの“世間”が重要なのだと書いてあります。
                                  (以下引用)
 日本人は、基本的に「世間」に生きています。
 自分に関係のある人達をとても大切にします。けれど、自分に関係のない「社会」に生
きる人達は、無視して平気なのです。                (引用終わり)

つまり、欧米では“世間”がないかほとんど希薄で個人は“社会”としか繋がっていないというわけです。
少し難しい感覚かも知れませんが、次のようなあるブラジル人の発言が例として挙げられています。
                         (以下引用、一部改行位置変更)
 「日本人は本当に優しい人達だと思う。3・11の東日本大震災の時、みんなが助け合っ
ていた。(中略)
 「今日、ベビーカーを抱えた女性が、駅の階段を上がろうとしていた。(中略)
どうして日本人は彼女を助けないのか?日本人は優しい人達じゃなかったのか?」
                                 (引用終わり)

こう言われると確かに思い当たるふしがあるのではないでしょうか。
ボクはこのようなことはよーく分かりますし、欧米ではそうではないこともよく知ってます。
海外に旅行や出張で行って知ったというより、なんか日本は変だなと気づいて知った感じですけど。
それでも、まだ日本人の大半はこのようなことが当たり前のことだと思っているんでしょう。

そして、欧米ではなぜ“世間”がなくて直接個人が“社会”と繋がっているのかについて
著者は一神教を理由に挙げています。
チャイナとの比較では島国で占領されたことがない(戦後のアメリカ占領はありますが)を挙げています。
逆に言えば、日本は“世間”が強力な一神教の神と同じような存在になっているということです。

もちろん、その“世間”は昔ほど強力なものではなくなってきているのも事実ですが
それでも“世間”は色濃く残っていてその中途半端さが余計に生き苦しさになっていると述べています。
これはなかなか面白い視点ですし、本書では具体例を挙げて丁寧に書かれていますから
ストンと腑に落ちるような内容となっています。

 

そして、この“世間”には5つのルールがある、というのも面白い指摘です。
                                  (以下引用)
1 年上がえらい
2 「同じ時間を生きる」ことが大切
3 贈り物が大切
4 仲間外れを作る
5 ミステリアス                         (引用終わり)

5番目のミステリアスというのは「なぜか分からないけどそういうものだ」というニュアンスです。
「昔からそうしている」とか「うちはこうしている」とかで合理的でないもののことで
無意味な校則や社則や小学生のランドセルとかリクルート・スーツなども例で挙げられてます。

ただし、著者はこの“世間”をぶっ潰せ!と本書で主張しているわけではありません。
“世間”はそうそう簡単には変わらないとしていて
だからこそこの“世間”がもとになっている“空気”を変えようという提案です。
“空気”はちょっとしたことで変えられるという主張です。

なので、空気を読んでも従わないというより空気を読んで空気を変えようの方が正しいのかも。
もっとも、空気を変えるのもそんなに簡単にいつも上手く行くわけでもないんですけどねぇ。
「長い物には巻かれろ」のことわざがああるように日本では空気に従った方が楽なことは多くて
あえて空気を変えようとすると相当な苦しさを味わうことになりますから。
というのは現役サラリーマン時代のボクの実感ですけど……

 

他にも幾つもの弱い“世間”に所属しようとかなかなか有益なことも書かれていますが
まぁ無職でほぼほぼ世間から隔絶しているボクにはあまり関係ないことですかね(爆)

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