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SKC勤務期間中に職制(昇格)試験を受けていた

2000年から5年半ほどSKC(スバル研究実験センター)に勤務していたのですが
その間の2002年冬に係長クラスから課長クラスへの資格を得るための昇格試験を受けましたので
本日の記事はそのことについて書いてみましょう。

富士重工(スバル)では昇格試験と言われるものは2つだけあることなどをこの記事で書きました。
なお、これらの試験はあくまでも役職につくことができる資格が得られるだけなので
昇進試験ではなく昇格試験ということになります。
まぁ昇格すればだいたいはすぐに昇進ということになるんですけどね。

で、係長クラスになれるようになる主事試験と呼ばれていたものは以前の記事で書いたので
今回のは課長クラスになれるようになる職制試験と呼ばれるものとなります。
職制試験の場合は主事試験と違って受かると労働組合を脱退することになる点が大きな違いですが
それ以外の試験の形式などはほとんど一緒で、筆記試験と論文試験があって後日面接という流れです。
ただし、面接官が部長クラスだったものが役員(本部長クラス)になるという差はありますが。

部門にもよるかもしれませんが新卒社員なら主事試験の受験まではほとんど横並びで昇格していって
そこで主事試験を受験してそれで一発で受かる人/そうでない人に分かれていくので
そのあたりから出世が早い人/遅い人の差が出てくるという感じですかね。
かといって主事試験で一発合格した人が次も順調に早く昇格していくわけでもなく
そこからは上司(課長・部長)の評価と推薦によって昇格していって
次の職制試験に続いていくという形になっていました。

 

そう、主事試験まではだいたい横並びなのであまり上司の評価には影響されませんが
その先は上司の評価が良くなければなかなか簡単には昇格につながらないことになるわけです。
ボクも噂では主事試験は実験部門の中ではトップクラスの成績だったと聞かされましたけど
そこからはAWD-CoEに放り出されたり出戻りしてやりたい放題やっていて
十中八九上司には疎まれてたわけですから職制試験までの昇格は遅かったですし
職制試験にも上司の推薦が必要でしたから職制試験を受けたのも同期の中ではやや遅い方でした。

まぁ、それはそれで会社というものはそういうところなんだと冷めてとらえていましたし
それを覚悟でボクも言いたいことやりたいことを主張して上司に疎まれていたわけですから
ある程度は納得というか仕方なしというところですけどね。
だいたい、社会人になってからだけでなく学生時代からその時々の上司や教師によって
激しく浮き沈みするのがボクでしたからそういうもんだと諦めてましたからね。

それに、もともとそれほど出世には興味がなかったから自分のやり方で仕事をしていて
それが昇格につながったり職制試験を受けることになれば受けるという
ある意味でそこは流されていればいいやというくらいにしか思ってませんでしたね。
それでも本音では出世はどうでもいいけど給料は上がって欲しかったですかね(笑)

それに、職制になってしまうと言いたいことややりたいこともやりづらくなると思っていたし
職制=管理職になっても現場にあれこれ口出してクルマ弄りするべきでもないと考えていたので
このまま上司に逆らいながらも好きな仕事に集中してやってるのもいいかなとも思ってました。

そういえば、ボクが職制試験を受ける頃の上司=課長はAWD-CoEに異動する少し前にも
同じ上司=担当(係長)の関係でして、その頃にその人は職制試験を受けていたようですが、
何気ない普段の会話でボクはその上司に次のようなことを口走ってしまったことを覚えています。
「昇格しても管理職じゃなくて専門職になれる人事制度があればいいのに」と。

ドイツのマイスター制度みたいなイメージですけど日本だとトヨタの成瀬氏や日産の加藤氏などかな。
まぁ成瀬氏は亡くなっちゃいましたし、会社内での位置づけはどうだか詳しく知りませんが。
いちおう人事制度上はそのような道もあり得る制度設計にはなっていましたが実態は……でした。

これは自分に対する気持ちでもあったのですが、同時にその上司への皮肉でもあったんですけどね。
何せモータースポーツ戦績もあり車を走らせれば速いし口も立つので崇める人も多い人でしたけど
所詮はそういう連中だけを周りにに集めてお山の大将でチヤホヤされたいだけで
会社組織の管理職としていわゆるマネジメントできる人だとはみていませんでしたからね。

もちろん、それ以上にボク自身がそんなにマネジメント力に優れた人間だとも思ってないし
ましてやその上の会社役員なんかに向いているとも露ほども思ってないし
そもそもそんなことよりクルマ開発に直接携わっていたいという気持ちの方が強かったんですけどね。

まぁその上司も勘が鈍い人ではなかったからボクの皮肉もしっかり見抜いたていたでしょうし
それがきっかけで自己分析や内省する人ではないから余計にボクに反感を募らせたのでしょうね。

 

さて、そんなお山の大将の上司でも普通なら周りの職制から浮いてしまって問題になりそうですが
ボクの方も上司に逆らったりしてある意味でどっちもどっちという状態に見えたでしょうし、
それよりも離れ児島のようなSKCに少部署・少人数だけ隔離されたような閉鎖環境でもあり
周りが見えずに同調圧力だけが高まり強権政治的な体制が許されてしまっていたのだと感じてました。

この辺については後年は人事制度も少しは改善されていって直接の査定ではないものの
部下が上司の評価をしたり他部署の人が第三者的立場で評価するなどの制度が導入されましたけど。

では、さらに上の上司になる部長(Oさん)はどうだったのかというと
その人はある程度分別ある人ではあったと認識していましたが、
そんなお山の大将的性格を利用してある種の象徴化・神格化をして
組織の求心力にしようとしていたフシを感じてましたね、ボクは。

Oさんはモータースポーツとは距離を置いていましたけど、昔はよく親分と懇意にしていて
要するにお山の大将的なその人に二代目親分として親分と同じ役目をさせたかったのだと思います。
確かに、人によってはその人を神格化し盲目的に崇めるようになってた人もいたし
あるいはその強権ぶりから触らぬ神に祟りなしのごとく意見もいわない人も多かったですが
それってもう質(たち)の悪い新興宗教とその悪徳教祖の構図であって
21世紀のいちおう大企業のエンジニアリング組織の在り方としては異常なはずなんですけどねぇ。

ボクは(初代)親分とその親分をボロかすに罵っていたのにあることがきっかけで
掌を返したように二代目親分になった人のどちらも身近に見てきた人間でもあり
逆に二代目親分にとってはそこのところをボクに見透かされているような気がして
余計にボクを黙らせておきたかったのかなと思ってます。あくまでも想像ですけどね(汗)

 

そんな状況であって上司(課長・部長)からは厄介者扱いで完全に干されていたボクですけど
それでも仕事はしっかりやっていたし対外的にはそこそこ仕事してると見られていた(だろうな)ので
さすがに露骨に昇格させず職制試験も受けさせないわけにもいかなくなったのか
遅ればせながら2002年冬に職制試験を受けることになったというわけです。

ちなみに、主事試験は上司や周りが組織的に事前に論文添削や面接訓練など受験指導をして
そうやって盛り上げてというか意識を高めて受験に臨むみたいな感じでして
まぁ逆にそれがプレッシャーになりメンタル潰されるような人もいるのですが……

職制試験では形式的には主事試験と同じということもありかつ受験人数も限られることともあり
主事試験のような受験指導はなく個人で勉強して意識を高めるという感じでした。
こっそり上司などに個人指導をお願いしたりしていた人もいたのかもしれませんけど。

もっとも、ボクは主事試験の時から受験指導は形式的にしか捉えていなかったので
指導してくれた人には申し訳ないですけどほぼ右から左へ受け流してました(汗)
なので、職制試験では受験指導はおろか上司・先輩らとは何らやりとりすることなく受験しましたね。

 

で、その職制試験の結果はいかに……つづく。スイマセンorz

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