新書「新しい世界」を読了
講談社現代新書の「新しい世界 世界の賢人16人が語る未来」クーリエ・ジャポン編を読みました。
クーリエジャポンとは講談社が発行する
「世界中のメディアから厳選した記事を日本語に翻訳して掲載する月額会員制ウェブメディア」
だそうです。フランス語っぽい響きで、フランス誌の発想を拝借してきたものらしいです。
本書のタイトルの「新しい世界」の新しいとは新型コロナだけではないとなっていますが
それでもやはり大半が新型コロナ後の経済、社会、政治となっており
それらが2020年春から間がないところでインタビューされたものとなっているので
それから1年以上経っていることになります。
本書は今年の1月に発行されたものであるもののタイムリーさを求めるならば
クーリエジャポンの有料会員になってウェブメディアで読むべき内容なのかもしれないです。
この本で登場する“世界の賢人”と言われる人とその主な主張は以下の通りとなります。
ユヴァル・ノア・ハラリ 私たちが直面する危機
「我々は歴史の渦に入った」
エマニュエル・トッド パンデミックがさらす社会のリスク
「新型コロナウイルス感染症が地球全体をスキャナーにかけて特権や力関係を浮き彫りにしている」
ジャレド・ダイアモンド 危機を乗り越えられる国、乗り越えられない国
「日本の足を引っ張る大きな要因はいくつかあります」
フランシス・フクヤマ ポピュリズムと「歴史の終わり」
「今回のパンデミックが明らかにするのは強力な国家への要求です」
ジョゼフ・スティグリッツ コロナ後の世界経済
「問題なのは、いちばん弱い立場にある人たちに支援を届ける能力が足りていないこと」
ナシーム・ニコラス・タレブ 「反脆弱性」が成長を助ける
「極端なリスクにはパラノイア的に警戒し、有益な小さなリスクを取るのです」
エフゲニー・モロゾフ ITソリューションの正体
「どのような制度があれば、デジタル・テクノロジーがもたらす新しい協働のかたちや
イノベーションをうまく活かせるのか」
ナオミ・クライン スクリーン・ニューディールは問題を解決しない
「私たちはどうすればスローダウンできるのか」
ダニエル・コーエン 豊かさと幸福の条件
「人間が『技術の主人にして所有者』であるべき」
トマ・ピケティ ビリオネアをなくす仕組み
「格差を作るのは、政治です」
エステル・デュフロ すべての問題の解決を市場に任せることはできない
「一番注目すべきなのは『経済成長』ではなく、『貧しい人びとの収入や教育』です」
マルクス・ガブリエル 世界を破壊する「資本主義の感染の連鎖」
「私たちは皆、他者の苦しみに責任があるのです」
マイケル・サンデル 能力主義の闇
「成功者は、ほんとうに自分の実力だけで成功したのかを問い直さなければなりません」
スラヴォイ・ジジェク コロナ後の“偽りの日常”
「私たちは資本主義のプリズムを通して考えることをやめる必要があります」
ボリス・シリュルニク レジリエンスを生む新しい価値観
「惨事の後、私たちは必ず適応し、新しい生き方を探ることになる」
アラン・ド・ボトン 絞首台の希望
「不安をコントロールするのは不可能だと、私たちは気づくべきです」
こうしてみると名前を聞いたことがある人はそこそこいますけど
著書を読んだことがある(リンク付けしてある)人は4人/16人しかいなので
“世界の賢人”のことをまだまだ知らないんですねぇ、ボクは(恥)
まぁこの16人がどれだけ客観的に世界の賢人なのかは定かではありませんけどね。
これだけでこの本の紹介記事は完結させてもいいかなとも思ったのですが
少しだけ気になったことや面白いと思ったことを紹介しておきましょう。
エマニュエル・トッド (以下引用)
個人主義的で自由な文化の国々(英米やラテン諸国)が今回のパンデミックで被害が大
きいのに対し、権威主義的な伝統がある国々(日本、韓国、ベトナム)や規律を重んじる国々
(ドイツ、オーストリア)ではさほどでもないと言えます。 (引用終わり)
フランス人のトッド氏から見ると日本は韓国と同類の権威主義的な国になるんですね。
おそらく日本人の多くは我々日本人は規律を重んじる国民だと信じているだろうけど……
実はそれは規律ではなく空気であり同調圧力だったりするわけですけど。
ナシーム・ニコラス・タレブ (以下引用)
「反脆弱性」のない大企業は倒産する
(中略)「小さいことは美しい」という価値観を通してです。ある水準を超えると、大き
いものは脆弱になり、衝撃に耐えられなくなります。
(中略)「反脆弱性」のあるものは、「ブラック・スワン」と呼ばれる巨大で予期せぬ衝撃
に、うまく持ちこたえることができます。私たちの成長を助け、強くしてくれる小さなリ
スクと、身を守らなければならない巨大で極端なリスクを区別する必要があります。
(中略) 大都市圏は単に「巨大化した村落」なのではありません。大都市圏は不
確実な衝撃に対し、村落よりも脆弱になっています。 (引用終わり)
この「反脆弱性」という概念は難しい気もしましたが
「小さいことは美しい」というのも大都市圏の話も非常に納得しやすく腑に落ちる考え方です。
ただ、それでもまだまだ「大きいものは良いことだ」とか「地方より都会が上」だという
固定観念から抜け出せない人の方が多いのだと思いますけどね、例えコロナが収束しても。
ナオミ・クライン (以下引用)
私たちはどうすればスローダウンできるのか。最近の私はそのことについてばかり考え
ています。私たちが「日常に戻る」と書かれたアクセルを力まかせに踏み込むたびに、ウ
イルスも勢いを盛り返し、こう言っているような気がするのです。「もっとスピードを落
とせ」と。 (中略) パンデミックが私たちの生活にもたらした
「優しさ」です。これまであくせくしていた社会のスピードがゆっくりになれば、いろい
ろなことを感じられるようになる。他者との競争に明け暮れていると、他者に共感を覚え
る時間はほとんどありません。 (引用終わり)
まさにその通りだなと感じるところです。
引用した前半部分のアクセルとは日本ではGOTOなんちゃらとか「経済を回そう!」てな話で
それよりもどうしたらスローダウンできるのかを考えるべきなんだと思いますし、
早期リタイアして他者との競争も何もなくなったボクからするとスローダウンに向かってるし
確かにそうすることでいろいろと感じられるようになってきている気はしますからね。
なので、経済を回すことよりも苦境に陥ってる人にどう共感できるかが問われるべきですね。
ダニエル・コーエン (以下引用)
日本の場合、1990年代の危機は深刻でしたが、その後は経済成長が続いていて、い
まも繁栄を続けています。「自分たちの国はどんな壁も乗り越えられる奇跡の国だ」とい
う神話にも見切りをつけられたのではないでしょうか。ですから1990年代については
「失われた10年」という表現は当てはまるかもしれませんが、それ以降は、日本が現実に
戻ってきたというか、経済面での現実主義に戻ったということなのだと理解しています。
(中略)この問題は、もしかすると、経済成長を無限に続けられると考えるのをあきらめ、
質素に暮らすことを受け入れ、それに合わせて経済の仕組みを変えていくほうが賢明な解
決策な場合もあるかもしれません。 (引用終わり)
コロナ禍とはあまり関係なく話は展開されていますが
これも上のクライン氏の言う「スローダウン」と共通する部分があります。
2000年以降の日本経済の低迷と言われているものもそれは現実主義に戻っただけで
それを無理にアベノミクスが目指したみたいに経済成長しなければと頑張って皺寄せを起こすより
質素に暮らすことを受け入れてスローダウンしていくのが良いのかも知れないですね。
ってボクは既にそのような方向を向いているわけですけどね(汗)
なお、コーエン氏は上記のようなことを「マルサスの法則」とか「イースタリンの逆説」などの
言葉を使って論理的に説明してくれています。
ここでそれらを紹介するのは大変なので割愛させていただきますがなかなか興味深い内容でした。
ボリス・シリュルニク (以下引用)
新しい価値観が育つはずです。私自身は、この全力疾走の連続のような生
活が終わり、社会がもっとゆっくりとしたものになるのがいいと考えています。どうして
これほどまでスピードにこだわるのでしょうか。どうしてこれほどの数の機械が必要なの
でしょうか。(中略)
いまは平均寿命が80歳を超える時代です。なぜ6~10歳の子供に全力疾走をさせるので
しょうか。親たちは、自分が感じているプレッシャーを、そのまま子供に押し付けようと
しているわけです。この競争の価値観が、コロナウイルス前の時代の過去の遺物と化すと
いいですね。 (引用終わり)
ここでももっとゆっくり、つまりスローダウンすればいいという話が出てきます。
それと同時にハッと思ったのは、寿命も増えたのだからスローダウンすればいいし
だったら子供の頃の教育もスローダウンしてゆっくり育てればいいと言うことですね。
もちろん、教育で格差ができないようにゆっくり育てるということですけど。
と、子供がいないボクが言っても説得力も実行も伴いませんけどねぇ~。。。
まぁなんにしても「のんびり、いき(行き、生き)ましょう」ってことですね。
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