文庫「本当は怖い日本のしきたり」を読了
雑学本ですから、いくつか面白そうなことをピックアップして紹介してみましょう。
先ずは花見についてで、昔は桜ではなく梅だったという話は聞いたことがありましたけど、
(以下引用)歴史は遠く、はるか古代に遡る。日本人が田畑をはじめ自然と密接に関わっ
て、ささやかに生きていたその時代。山神として古代人に崇められていた「サ神」「サ
ガミ様」が宿る「座」こそが、サクラだった。 (中略、以下改行位置変更)
1868年の戊辰戦争、1923年の関東大震災、そして1945年の東京大空襲だ。
多くの死者やケガ人が運び込まれ、いずれもこのとき、上野の山の桜は季節はずれの狂い
咲きをしたという。「桜は人の血を吸って咲く」 (引用終わり)
サクラの語源がサ神の座(クラ)だとは初めて知りました。
ましてや「桜は人の血を吸って(狂い)咲く」なんて話というか都市伝説も初めて聞きました。
それにしても上野公園がそんなに血塗られた歴史があるとは意識してませんでしたねぇ。
もっとも同時代は東京各地の公園・空き地はどこも同様なありさまだったのでしょうけど。
次は七五三についてで、昔は乳幼児の死亡率が非常に高かったから故のお祝いなのですが
そのしきたりそのものについてと言うよりその乳児死亡に関する記述での驚きです。
(以下引用) 日本の場合、2017年の乳児死亡率は出産1000
人あたり0.9人。不慮の事故や先天的な障害が死因で、世界で最も少ない。一方、最も
乳児死亡率が高かった国がパキスタンで、出産1000人あたり45.6人が死亡している。
(中略) 昭和30年頃の日本
は、いまのパキスタンと同じくらいの乳児死亡率だった。 (引用終わり)
日本とパキスタンとでは50倍もの乳児死亡率の差つまり赤ちゃんの命の格差があるわけですが
個人的にはある意味不謹慎だと意識しつつも昭和30年頃の日本と同じレベルだと聞くと
格差がありつつも世界はそんなに絶望的でもないのかもと感じてしまいましたね。
だってボクはその昭和30年代生まれだし生まれた頃の記憶はないとしても
そんなに絶望的な幼少期を生き抜いてきたという実感はないですからねぇ。
童謡・わらべうたについてもなかなか面白い話があります。
(以下引用)
リズミカルな曲調で知られる「ずいずいずっころばし」だが、この歌は遊女たちがつ
くった隠語に満ちている。茶壺とは女性器そのものだ。 (中略) 欠
けた茶碗は、はかなく散らせてしまった処女のイメージだ。(中略、以下改行位置変更)
この有名な「花いちもんめ」は身売りの歌といわれる。匁とは重さの単位だ。貧困の
中、口減らしのために、少女たちは花一匁程度の安値で取引されていたのだ。
(引用終わり)
どこかで聞いたような話かもしれませんが、怖いというより哀しい歌ですねぇ。
それを子どもたちが無邪気に口ずさんで猥褻な手遊びしているのも
考えてみれば相当にシュールな構図ですが。
こけしについてもそんな哀しいことが書かれています。
(以下引用) かわいらしい顔立ちの木彫りの像をつくり、死んだ子のかわりに悲
しんだ。こけしの由来である。その字を「子消し」と書く。女の子のこけしが多いのは、
間引きのときに労働力となる男児は残されたからだ。(中略、以下改行位置変更)
……という俗説があるが、これには異論反論も多い。 (引用終わり)
異論反論も多いとはいえ十分に説得力のある説でもあるんじゃないかな。
けれど不慮の病や事故で亡くなった子なら哀しいですが間引きで殺したのならやはり怖いですね。
子は神童扱いされることが多かったけどそれはまだ人になっていないという意味合いであり
だから子は間引きで殺されたり売買されたりもしたということでしょうが
さすがに現代の感覚では素直に受け入れがたいことですねぇ。
鎌倉の御霊神社での面掛行列という祭りについての話、というよりひょっとこ・おかめについてです。
(以下引用) 10人の仮面を被った者たちが現れるのだ。
(中略) 七番目は火吹男で、「ひょっとこ」と読む。
(中略) 九番目には、妊娠した大きな腹を抱
えて、おかめが登場する。(中略)腹の子の父親は、かの源頼朝なのだ。(引用終わり)
日本のお面というとひょっとこ、おかめ、あとは天狗、般若、狐、鬼でしょうけど
ひょっとこ・おかめにそんな由来があったとはまったく知りませんでした。
単なる陽気な酔っ払いジジイとその奥さんくらいにしか思ってませんでしたよ(恥)
ましてやここで源頼朝が出てくるとはねぇ。
最後に、鳥居についてですが、
怖いというより神聖という意味と謎が多いという意味で興味がありますし
「通りいる」から鳥居になったとか、ヘブライ語から来ているとか諸説ありますから。
(以下引用)
同じような風習を持つ民族が、東南アジアにいる。タイからミャンマー、ラオス、中
国・雲南省に住むアカ族だ。彼らが住む村の入り口には木が立てられ、その間には縄が
渡されている。これを「パトォー・ピー(精霊の門)」と呼ぶ。(中略)
そして彼らアカ族も含めたインドシナ半島北部の少数民族地帯は、「日本人の故郷」
ともいわれているのだ。日本と同じような照葉樹林の地域で、稲作を基本とし、納豆や
餅、麹、漆をつくる文化、お歯黒や鵜飼の風習、そして信仰するのは自然そのもの、ア
ニミズムである。 (引用終わり)
鳥居の興味から入りましたけど日本人のルーツの話まで発展しましたか。
納豆の起源は聖徳太子とか源義家とか言われてたので日本発祥かと思い込んでましたけど
太古の時代から東南アジアからあったものなんですね。
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