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SKC勤務中に何をしたのか(2)

前回記事で、2000年秋に操安乗り心地部署に出戻りという形でSKCに転勤して
操安乗部署なのにAWD関連の研究・実験をその取り纏めも含めてやっていたことを書きましたが、
今回の記事ではそのAWD関連の仕事の詳細の紹介ではなく(それはまた別の機会にすることとして)
それ以外の仕事のことを簡単に紹介してみましょう。

と、その前にちょっとおさらいですが、2000年2月に操安乗部署のD1担当(係相当)から
急遽、AWD-CoEというAWD関連に特化した技術開発部署に異動となり、
その後あっという間にその年の9月末にはAWD-CoEは分裂・崩壊して
ボクは操安乗部署に出戻りという形になったわけです。
出戻りですがその間に操安乗部署がSKCに勤務地変更になっていたのでボクも転勤になったわけです。

で、AWD-CoEの繋がりでAWD関連の研究・実験の仕事を引き継ぐ形になったわけですが
そもそもAWD-CoEという部署はGM(ゼネラルモータース)との関係で作られた部署なので
GMグループ内のAWD車の技術支援・開発協力という側面が強かったわけです。

そのような経緯があったこともあり、AWDと直接関連あるなしに関わらず
GMグループ関連の仕事にも携わることになります。
これはボクが積極的に手を挙げてやり出したというわけではなく
それまでの流れの中で上司から命じられたからやり出したということです。
具体的にはGMとの共同開発車(開発符号SGX→00X)の開発という業務になります。

 

このSGXは最初は、GMのポンティアック・アズテック(Pontiac AZTEC 2000年~)の後継車で
同時にスバルからは新型車・追加車種として販売するという兄弟車という企画でした。
つまり、SGXはSUBARU、GMの掛け算(×)というイメージで名付けられた仮の開発符号ですね。
A021121_009 ※この画像は一般道フィーリング評価として出張した時のもの
ちなみに、アズテックは史上最悪の車とか史上最も醜い車で1位になったりした
確かに見ても乗ってもどうしようもない車でしたね。
なのに、この研究用並行輸入車で仕事帰りに近所のスーパーに寄った時に駐車場で見知らぬ兄ちゃんに
「このクルマ、滅茶カッケーっすねぇ」と興奮気味に話しかけられたのには絶句しましたけどね(爆)

閑話休題。
実際にはSGXは紆余曲折あってアズテックの後継でもGM共同開発車でもなくなって
00Xとしてスバル単独で開発・製造・販売することになり
B9トライベッカおよび後のトライベッカとして世に出ることになりました。
00Xにコラボ(×)なんて全然しないよ、なんて意味が含まれていたかどうかは知りませんけど(笑)

さらにその後にはGMグループのサーブからサーブ9-6としてOEM販売する計画もありましたが
それも実現されることなくコレ一代で終わったというなかなか波乱万丈な車種となったわけです。

A080508_003 
トライベッカというのはこの向かって左側に見えるクルマですね。
これはこの時にアメリカのヨセミテ国立公園入り口で撮ったいちユーザー車ですが
おそらくこのトラベッカの乗員にボクらはパパラッチされたわけですが……
ちなみに、その時パパラッチされた画像は以下のものです。
Untitled2

 

また脱線してしまいました。
なお、ボクがこのSGXに関わったのは初期のGMとの企画の調整~台車製作の段階までです。
特に目標性能についてGMとの調整にも首を突っ込むことになり英語の苦手なボクは苦労しましたね。

新車開発においてどのような性能を持たせるかを目標性能と呼ぶわけで
この記事に書いたように何故かスバルでは各々の実験部署が目標性能を立案する形になってます。
一方、GMでは目標性能をVTS(Vehicle Technical Specification )と呼んでいて
実験部署ではなく独立した企画部門が立案する形になっていました。
その方が普通とも思えますが、そのために他車の膨大な性能計測データがデータベース化されていて
企画部門の人がそれらすべてを一覧できて理解できることが条件となるので
スバルとは根本的に考え方が違っていたと言えるでしょうね。

そして、その目標性能、VTSも似たような項目でもスバルとGMでは
計測条件、計測方法、表現方法が異なりそれらの変換や近似やらのすり合わせが必要になるのですが
基本的にはGMの方が親会社(筆頭株主)に当たるわけなのでGMに合わせる必要があります。
それらの調整はスバル側は車両研究実験総括部というところが中心になって進めるのですが
これまた何故か流れで勤務地がSKCにある部署は一旦ボクが取り纏めるみたいになってしまいました。

つまり、操安乗り心地だけでなくブレーキ、振動騒音、動力性能などの目標性能について
それらの取り纏めやGMとの調整を一旦ボクがやりながら総括部に上げるという形です。
なので、これまた上司を通じて仕事をするというよりも総括部やSKC内の各実験部署と
そしてGM(の企画部門の担当者)と直で仕事する形になってしまっていたわけで、
そりゃ上司としては面白くないというか勝手にやってるなということにもなるでしょう。

実際には、プレミアム・ブランドを目指そうと4代目レガシィの開発と
ニュルブルクリンクで最速をの開発にやっきになっていた上司にとっては
訳の分からないGMとの共同開発のしかも初期段階なんてどうでもよいというか
面倒くさいだけなので関わりたくないから勝手にやってろという感じも強かったでしょうから
そういう意味ではお互い様というかどっちもどっちということでしょうけどね。

 

というわけで、SKC時代はAWD関連だけでなくGM関連の仕事もやる羽目になって
そのどちらも操安乗り心地の実験という枠組みからは外れたような仕事で
かつ上司そっちのけで仕事をすることになりボクも干されたような形がより鮮明になったというわけです。
しかも、SKC時代はこのAWD関連、GM関連以外の仕事も増えて行ったので
その辺りのことを引き続き次回も書いて行こうと思います。

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