大学でもいちおう体育会系部活に入ったけどグダグダだった
前回記事で中学・高校時代に体育会系のハンドボール部に所属していたけど
体育会系とは名ばかりのグダグダの部活動および学生生活をしていたことを書きました。
そして、大学に入学したわけですが、大学では別段どこかの部活動が必須だったわけでもなく
また就職に有利だからと何かの部活動に入っておこうなどというあざとさもなかったのですが
とりあえず面白そうな部活があれば入ってみようかなということは当初から考えてました。
で、先ずは中学・高校とハンドボールをやっていたわけですから
大学でもハンドボール部はどうだろうかという自然な流れで仮入部してみました。
はっきり覚えていませんが30人以上は部員がいて驚きましたし
新入部員も10人以上はいたかなというところでこれまた驚きましたね。
そこで、サイドシュートの練習となってボクの番。
自分としては比較的得意な左サイドシュートで渾身のシュートを決めた瞬間、外野から「おー!」の声。
で、その声の主をマジマジと見た瞬間、見覚えのある顔、思い出しちゃいましたよ。
そう、高校2年生の時に暴挙で県大会まで出場しちゃってその1回戦で2点しか取れずに大惨敗した
その時の対戦相手の選手のひとりじゃないですか!
しかもその人と群れてる中にも見覚えのたる顔がちらほら。
結局その時の対戦相手のうち3人も大学のハンドボール部にボクと同じ新入部員としてそこにいたんです。
それを察した瞬間ボクはもう大学ではハンドボールをやらないと決めましたorz
実際に当時のその大学のハンドボール部がどの程度のレベルであるとか
また例の新入部員が入った後の成績がどうなったかとかまったく知りませんでしたが
仮入部したその1日で、中学・高校の時のようなグダグダで自由で遊びの延長では済まされないし
おそらくボクのレベルでは公式試合でレギュラーとなることもないだろうし
よくよく考えれば片道1時間半もかかる大学に通ってヘトヘトになるまで運動することもないかなと。
まぁなんとも後ろ向きな弱気な考え方であるのはボク自身も分かっていたけど
そもそも中学・高校とそういう考えでなんちゃって体育会系のハンドボール部にいたわけだから
大学になってからゴリゴリの体育会系には馴染めるわけないですからね。
そんなわけで、ハンドボールは1日であっさり諦めて、自動車部に行ってみました。
正直なところ自動車部って何をやってるのかまったく想像できませんでした。
同じ新入学生に聞いても、なんだか教習所に行かなくても免許取れるらしいよ、ってだけで
でもボクは既に教習所に通うことを進めてたのでそれはどうでも良かったんだけど
まぁクルマそのものは好きだからなんだか楽しめるかなという程度で行ってみたわけです。
自動車部の活動拠点は大学構内から離れた学生寮と地続きになった場所の整備場でした。
大学から先輩の車に同乗してその整備場へ行って何をするのかなと思いきや……何もなかったです(笑)
ただ車やら部品やらが転がっていてそれらを眺めてあぁだこぉだと駄弁ってるだけという感じ。
後々になってクルマ関連のオフ会に参加するようになったけど雰囲気はそれとほぼ同等かな。
先輩たちを見ていても誰が何年生なのかあまりよく分からない。
そのくらい先輩・後輩の関係が厳然としてなくていい意味でフランクな関係性で
グダグダな部活動生活に慣れ親しんできたボクにとっては居心地の良さを感じましたね。
というわけで、大学でも引き続きいちおう体育会系に分類されている自動車部に入部して
これまた引き続き体育会系精神とは無縁のグダグダの部活生活をすることになったのでした。
その自動車部では何をしていたのかというと地域や時代やあるいは各大学によって差があるでしょうが
ボクのいた大学では部全体としてまとまってやることは唯一年1回だけのラリー開催だけでした。
ラリーといってもWRCや全日本ラリーなどのようにSS(スペシャルステージ)区間があって
とにかくぶっ飛ばして速さを競うというものではなくて、いわゆる計算ラリーというものです。
事前にコースも知らされでにコマ図というものに従ってコースを間違えずに走ることと
いかに指示された速度で正確に走るかが問われる競技です。
その指示速度が特定の標識・看板・建物などによってコロコロ変わるので
それらを見逃さずに速度・時刻・距離を常に計算して正確に走ることが求められわけです。
なので、だいたい1台に3名乗車で挑むことが多かったです。
他の大学でもだいたい年に1回はこのようなラリーを開催していて
ボクらも適当にチームを組んでそれらに競技者側として参加するのですが
大学自動車部としてチーム編成するわけではなくあくまでも個人資格で参加するという感じです。
ただ、主催する側となるとやりたい人だけとはいかないので部員全員一丸となって取り組むわけです。
といっても、コース決めて、コマ図作って、速度指示を決めて、何度も試走して、
コマ図や速度指示書を参加チーム分コピーしてなんてくらいですかね。
まだコピー機によるコピーがバカ高かったのでいわゆるガリ版でやったのは面白い経験でした。
他には警察署への届け出とかスポンサー集め・景品集めなど諸々の作業もありましたな。
当然、ラリー当日は様々な役目が必要なのでそれらも分担して行うわけですが……
けれども、そのラリー開催以外は基本的に何をしていても自由ってな感じの部活でした。
大学によっては「フィギュア」という競技を大学代表の団体戦でやっていたらしいのですが
ボクらの大学自動車部では一度も誰も参加も観戦にもいかないという状態です。
なので「フィギュア」という競技がどんなものだかよく知らないのですが
自動車教習所を超難しくしたようなコースを正確に運転することを競うものだそうです。
超ムズ車庫入れ選手権に近いような競技ですね。
あとは、夜な夜な行きたい部員だけ集まって山間部の林道など砂利道のところに行って
運転訓練といいながら暴走行為を繰り返していただけですね(汗)
あるいは「闇ラリー」と呼んで無届けでSS区間を設けたラリーもどきのこともやってました。
まぁ非合法行為なので今となっては決して許されることではないですけどもう時効でしょう。
それに見張りをつけたりして一般車には迷惑をかけないように最低限の配慮してましたけどね。
他には各部員が勝手に自分のクルマをラリー仕様に改造したり整備したりあるいは全塗装して遊んだり
まぁたまにはある程度集まって要らなくなったエンジンをばらして組み上げたりして
クルマの構造や整備技術を学んだりといったこともしましたが、所詮は遊びの延長でしたね。
そんな部活動でしたから、全国大会で入賞だとかの部としての戦歴というか公の活動履歴がないので
部費なんかも大学からほとんど貰えなくてほとんど部員の自腹という貧乏部活でしたけど
まぁ整備場があるだけでも助かったというところでしたね。
そして、ただマイカーを所有したりするだけでは得られないような経験ができたのも事実で
それが後に自動車メーカーのエンジニアとして幾分は役に立ったのかもしれません。
逆に、大学で自動車部に入っていたから(バリバリのモータースポーツ経験者)と勘違いされて
入社直後にヘンテコ部署に配属されてしまったのかもしれませんが……
ところで、そんな遊びの延長でしかない自動車部の活動でボクは実家通いということもあり
夜な夜な運転スキルを磨く暴走に参加することもほとんどなくあまり部活には参加しませんでした。
それでも、計算ラリーに参加して一度だけ「最優秀ナビ賞」を受賞したことが唯一の結果でしたね。
これは、ラリー全体の順位とは関係なく指示速度の計算がやたらと複雑難解なある区間だけで
最も優秀な成績だったチームの計算ナビをしていた人に与えられる特別賞でした。
細かな話はもう曖昧ですけど、指示速度30km/hでスタートして
左側カーブミラーで+7%、右側カーブミラーで-5%、警笛鳴らせ標識で-3km/hとか
ころころと目まぐるしく指示速度が変化しかつ%や絶対値での増減が組み合わされる複雑なものでした。
ただボクは当時発売されたばかりのポケットコンピューターで予め対応プログラムを自作していたので
そんないじわるな計算にもあわてることなく完璧に対処できたので最優秀ナビ賞を獲得できたんですね。
ボクが入部するほんの直前までは計算は手回し計算機なるものでやっていたそうですが
ボクが入部した年にBASIC言語が使えるCASIO FX-702Pというポケットコンピューターが発売され
早速それを買って計算ラリー用のプログラムを作って参戦してたんですが
なんせメモリー容量が少なくて複雑なプログラムは走らせられませんでしたね。
それからすぐにSHARP PC-1500というポケットに入りきらないポケットコンピューターが発売されて
こちらは容量も大きく複雑で大規模なBASICプログラムが組めたので即行で買い替えました。
これで複雑な計算ラリー用プログラムを幾つも自作・準備していたのが前述の結果に繋がったわけです。
しかも、PC-1500は機械語も使えたので別付けのラリー用トリップメーターと同じように
距離表示がスクロールして見えるようにプログラムを自作して正確に判断できるようにしたりしてました。
と、グダグダの部活動ながらもこのBASICや機械語でのプログラミングは熱中しましたし
意外にもこれもその後のエンジニアとしてそれなりに役に立ったかなと言えるかもしれません。
少なくともボクらより上の世代の人のようなコンピューター・アレルギーは無かったですし。
というわけで、中学・高校・大学と10年以上もの間、いちおう体育会系の部活動してたことになるけど
体育会系的精神とはまったく無縁でむしろ体育会系的なものにはとことん反発する精神が育まれました。
ちなみに、「体育会系」という言葉の意味をweblio辞書で調べると次のように書かれています。
部活動の運動部などで典型的に見られる気質や体制などを意味する語。
気合いの精神、根性の重視、上下関係の絶対視などが挙げられる。
大学卒業して就職してサラリーマンとなりその会社(スバル)はゴリゴリの体育会系でもなかったですが
それでも入社後に配属されたヘンテコ部署は時に怒号が響くほどそうとうな体育会系なノリでしたし
実験部署ということで設計や企画やましてや経理や営業などよりはかなり体育会系寄りと感じましたね。
なので、体育会系精神のある人の方が馴染んだかもしれませんが
少なくとも本人に体育会系精神がなくともサラリーマンとしてそれを受け入れられる人の方が
波風立てずにやっていきやすかったのかなとも思います。
それが出来ないボクだったので……今こうして早期リタイアしているのかもしれないですな(笑)
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