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操安乗り心地部署に出戻りしてSKC勤務中に何をしたのか

さて、昔のスバルの暴露話、ではなくボクの個人的な現役時代の記憶を綴っているこのシリーズですが
2000年秋に謎のAWD-CoEという部署から操安乗り心地の実験部署に出戻りという形になり
勤務地が栃木県佐野市のSKC(スバル研究実験センター)になったところまで書きましたが、
その後の記事では与太話ばかりでなかなか先に話が進んでいませんでしたorz

いやね、なかなか筆が進まないんですよね。あっタイピングが進まないというべきか。
まぁでも今どきは“自筆”でも筆じゃなくペンを使うので慣用句としては成立してるでしょうけど……
なんにせよSKC勤務の時に何をやっていたのかよく分からないというか整理ができないんですよね。

その話の前に、SKC勤務時代の次の展開を書いておきますと
2006年2月に車両研究実験総括部という部署に人事異動となり
勤務地もSKCから元の群馬県太田市の群馬テストコース内の事務所へ戻ってきました。
ですから、SKCで操安乗り心地の実験部署にいたのは5年半くらいだったことになります。

その5年半の間で何をやっていたのかよく分からないというのはなんとも情けない話なのですが
何も窓際族となって全く仕事せずにボケーと栃木の山々を眺めていたというわけではありません。
まっ窓際族ではなかったですが上司からは干されていたという感じもありましたけどね(汗)
ただ、むしろ仕事はというか作業量としては相当にたくさんやっていたと自負してますが
どれだけ成果になったのか、どれだけ会社の利益に貢献したのかは自分でもよく分からないです。

よく分からないと言っているだけでは記事は書き進められませんから
行き当たりばったりで書き始めてその過程で整理されてくることを願いましょうかね。

 

2000年秋に操安乗り心地部署に出戻りでSKC勤務になった時
その操安乗り心地部署は車両研究実験第1部 車両研究実験第4課となっていて
略して車研実1部 車研実4課、さらに略号としてSJ14と呼ばれてました。
ここでSJのSは“車両(Syaryo)”、Jは“実験(Jikken)”のローマ字表記のイニシャルです(笑)

スバルの部署の略名ってこのように英語に訳してそのイニシャルを使うんじゃなくて
日本語をそのままローマ字表記にしてそのイニシャルを使うという
なんだかちょっとダサい呼び方をよくしていたんですよね。
社内だけなのでダサくてもいいんですけど。
それに、ボクが入社したころは実験→JでなくZを使ってました。
これまた社内だけなので別にヘボン式ローマ字を意識する必要もないんですけどね。

そして、そのSJ14では当時は操安乗り心地だけに関する研究・実験・開発をする部署となってました。
そのちょっと前までは操安乗り心地とブレーキとが同じ課の中で同居していたりしたのですが
ブレーキ部隊が先行してSKCに移るタイミングで
車種が増えてきたこともあり人員も増えてきたのと
課の中の係に相当する担当と呼んでいる組織が細分化されてきたこともあり
操安乗り心地とブレーキは別々の課ということになっていったのだと思います。

その課の中の係に相当する“担当”と呼んでいるものが、ボクがSJ14に出戻りする直前では
 第1操安乗り心地担当:略号D1=小型系(レガシィ、アルシオーネ)の操安乗り心地
 第2操安乗り心地担当:略号D2=中間系(インプレッサ、フォレスター)の操安乗り心地
 第3操安乗り心地担当:略号D3=軽系(プレオ、サンバー)の操安乗り心地
という組織構成になっていたのですが、
その時ボクは既に担当(係長相当)となる主事という資格等級になっていましたから
上記のD1~D3のうちのどれかの担当に平社員として入るわけにもいかないので、結局

第4操安乗り心地担当:略号D4ということで新設の担当(係・係長)となりました。
確か、最初は部下なしだった気がしますが、すぐに一人だけ部下がつきました。
で、何をやるかとなっても、D1~D3の車種以外にはもうありませんのでそれ以外となります。

普通の会社組織であれば上司から、つまりこの時なら課長から業務分掌が明示されて
これこれこういう仕事をしなさいと命じられるはずなんですけど
不思議なことに、というかおそらく上司からはやっかい者扱いされていたので
「何しに(操安乗り心地に)戻ってきたんだ?」ってな感じで自分で考えるしかなかったわけです。

 

そんなわけで(どんなわけ?)先ずやり始めたのは特定の車種の操安乗り心地開発ではなく
AWDに関する操安乗り心地の研究・実験です。
AWDシステムや構成部品などを開発するAWD-CoEなど東京事業所の部署や
それらの電子制御ソフトを開発する部署と直接やりとりして仕事の内容が決まってくるような形です。

ただ、AWDに関する研究・実験は操安性乗り心地だけではないし、かといって
他の部署(例えばトラクションやブレーキ)にもAWD専門の担当が出来たわけでもありません。
なのでAWD-CoEの流れもあって自ずと車両研究実験全体の窓口的な仕事も担うことになりました。

つまり、操安乗り心地の実験部署にいながらほとんど上司を通さずに
従来からすると異質な業務を今までとは違った部署や立ち位置で勝手に仕事をしている状態ですね。
ですから余計に上司としてはやっかい者だし関わりたくないという思いになったのでしょうし
こっちとしても中途半端に口出しして欲しくないと考えるようになるわけですから
必然的に干された状態は酷くなる一方でしたね。

さらに言えば、当時のスバルは「プレミアムブランドを目指そう」ということで
その上司もそのためには「NBR最速を目指す」とかいって旗振りしていたのに
こちとら「スバル開発理念」や「0次安全の思想」が根底にあり「プレミアムなんて糞食らえ」ですから
なかなか折り合いがつくはずはありませんわなぁ。

 

そんな干された状態の中でも仕事はなんだかんだと増えていきます。
AWD関連で具体的にどんな仕事をしたかはおいおいと書いていくつもりですが
それ以外の仕事も増えていったのでそれらのおおよその経緯などを次回以降に書いてみますかね。

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