関裕二著の「海洋の日本古代史」と「古代史の正体」を読了
歴史研究家ならぬ歴史評論家もしくは歴史作家の関裕二著の新書を2冊続けて読みました。
左:PHP新書「海洋の日本古代史」2021年4月29日発行
右:新潮新書「古代史の正体 縄文から平安まで」2021年4月20日発行
ほぼ同時期に初版発行ということは別々の出版社に同時並行で執筆していたんですかね。
それを2冊続けて読むボクのほうもおかしいのかもしれませんが
まぁ関裕二の本は内容が真実かどうかはさておき読み物としては面白いので
今までもこの記事で紹介したのも含めて何冊も読んでますからね。
どちらも切り口はやや異なりますが全体としては似通った内容になってますし
いつもの藤原家悪玉論は健在でその部分になると俄然熱を帯びて書いてるのが感じられて
読んでるこちらは「やっぱキタ~」ってな感じで面白がって読んでしまいます(笑)
「海洋の日本古代史」では日本人のルーツ・縄文人は海人であり漁労とともに交易を生業として
日本列島各地だけでなく半島や大陸まで先進の文物を持ちこんでいたという考えで、
これは最近は多くの人が同じようなことを言うようになってきています。
著者はここで日本列島からも半島や大陸に「何か」をもたらしたはずだとして、その何かについて
(以下引用)
いちばん説得力をもっているのは、硬玉ヒスイ(新潟県糸魚川産)なのだが
(中略) 木材(燃料)という資源を豊富に所持し、海
に囲まれた日本列島の特産品のひとつは「塩」だったのではないかと思い至る。
(中略)製塩もまた大量の燃料を必要とする。 (引用終わり)
という推考をしていますけど、どうなんでしょうかねぇ。
確かに今現在の日本はまだ森林資源を持っているのに対して半島・大陸では無くなってますが
それは古代に半島・大陸は森林資源を使い尽くしてしまったのに対して
日本列島では大切に森林資源を使いつつ再生を図っていったから残っているという面があると思うので
日本から木材を大量に半島や大陸に輸出したということや
その木材燃料を大量消費して塩を量産して輸出したというのは考えにくいなぁと思うんですけどね。
となると、やはりこの本の影響でそれは朱・水銀だったのではと考えたくなりますけど……
どうなんでしょうね。
また、神武東征については先進の北九州、東のはずれの近畿という当時の認識をもとに
著者は以下のような解釈というか推察をしています。
(以下引用)瀬戸内海(吉備)と東海(尾張)が山陰地方(タニハ、出雲)を追い詰めたという
構図が見えてくる。そして、考古学が「確かに山陰や日本海は没落していた」と太鼓判を押
す。ヤマト建国後に「瀬戸内海+東海と日本海の主導権争い」が勃発し、「瀬戸内海+東海」
が勝利したのだろう。 (引用終わり)
この引用だけだと神武東征の全体像は見えないのですが
ポイントは単に神武の軍一行が九州から大和に乗り込んだということではなく
各地の豪族が連合しながら権力抗争をするなかで大和を中心とした連合が出来あがっていったことを
出雲国譲りや神武東征の神話としてベールをかけたのだろうということです。
何のためにベールにかけたのかというと、それはいつもの藤原氏の野望ということですね(笑)
つまり、物部氏や蘇我氏の活躍を書くわけにはいかなかったから抹殺したということです。
終盤には日本古代史というより、大陸文化はなぜ滅びなかったのかとか中華思想とはなど
大陸の話が多くなり、それに対して日本はどう対応すべきかという現代の話になってきます。
そして、最後はまた縄文人に話は戻って、そこでは縄文人は文明に対する懐疑心を持っていたとか
稲作文化も急速には取り入れなかったとかの話となり
それは文明が必ずしも人びとを幸せにするわけでもないし農耕は必ず戦争をもたらすからと
縄文人は知っていたからだろうとしています。
まぁ、手放しで縄文賛美するわけではないですけど文明も冨もほどほどが良いですかね。
一方、「古代史の正体」ではこれも日本人の起源から話は始まっているのですが
弥生時代になっても縄文の文化・思想や言語が色濃く残っていたことに対して
次のような理由が挙げられているのは面白いなと思うところです。
(以下引用)
日本人の多くは虫の声や動物の鳴き声、風や水の流れる音などを、世界の人とは違っ
て「言語を司る左脳」で聞き取っているという(角田忠信『日本語人の脳』言叢社、2
016年)。そして、その原因を探っていくと、日本語を母語にしたためらしい。
(中略) 母音が優勢な言語(日本語やポリネシア諸島など)で育った人の場合、
音を処理する左右の脳が入れ替わる例が多いと、いくつかの実験方法で確かめている。
これを「感覚情報処理機構におけるスイッチ機構」と呼んでいる。(中略)
日本語の起源がいまだによくわかっていないし、孤立した言語なのだが、少なくとも
縄文時代の中ごろには、成立していたらしい。縄文的で多神教的な発想を日本人が捨て
きれなかった理由のひとつは「日本語脳」に隠されていた可能性が高い。そして、多く
の渡来人が日本列島にやってきて新来の文化を次々ともたらしたが、彼らの子や末裔は
日本語を話し、「日本語人」に変化していったことになる。 (引用終わり)
日本語って不思議だなぁと思ってましたけど、やはりよく分かってないんですね。
それでもこのような特徴があってそれが脳にどう作用しているかとか分かってくると
無性に日本語を大切にしないといけないなぁなんて思ったりしてね。
もっとも今の日本語と古代の日本語はずいぶんと違ったものになってるのかもしれませんが。
それから、著者は“邪馬台国論争”は不毛でそれよりヤマト建国の解明が重要としていますが、
その邪馬台国論争はいつも魏志倭人伝の解釈ばかり先行しているけど
それをうけた日本側資料は何もないのが不思議だなと思っていたんですが
日本書紀にはちゃんと邪馬台国が出てくるんですね。
(以下引用)
史学の通説は初代神武と10代崇神を同一とみなすが、筆者は別の考えをもつ。二人は
別人で、しかも神武(紀元前数百年)と第15代応神天皇が同一人物とみる。あまりに時
空のかけ離れた二人だが、『日本書紀』は応神の母・神功皇后の時代に「魏志倭人伝」
の邪馬台国の記事を引用している。『日本書紀』は「神功皇后は卑弥呼かもしれない」
と言っていたのだ。 (引用終わり)
なんと、そんな記述が日本書紀にあったとは今まで聞いたことがありませんでした。
日本書紀が編算された時点で魏志倭人伝の存在は知られていたはずだから
邪馬台国や卑弥呼を無視するのはあまりにも不自然だと思っていたけど
それでも“かもしれない”表現というのはなかなか微妙ですねぇ。
日本書紀に書かれているから正しいとは到底思えないから裏の裏まで読まないといけませんが。
最後にこの本の「おわりに」の冒頭で著者は次のように書いています。
(以下引用)
私事になるが、今年はちょうど、作家デビュー30年の節目にあたる。古代史の謎解き
も進捗した。旧石器時代から平安時代に至るまで、矛盾なく説明できるようになったと
自負している。 (引用終わり)
そうですかぁ。ボクは著者の本はけっこう読んでいますけどまだまだ古代史の全貌は謎だらけです。
著者は古代史研究者ではなくあくまでも作家なのですが
全体が矛盾なく説明できるようになったというなら
次はそれらを証明したりより納得しやすい説明の本を出してもらえたら嬉しいですかね。
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