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スバルの軽乗用車が四独サスだったことで辿った末路

前回記事で軽乗用車に4気筒エンジンは不要かどうかの自論というか
どうしてスバルは軽乗用車に4気筒を採用したのか
その結果以降の商品展開にどのような影響があったのかを推考してみました。
今回は軽トラの時と同じようにスバルの特徴のひとつとなっている四独サス(四輪独立懸架)についても
それが不要なのかどうか、それが商品展開にどのような影響があったのか推考してみようと思います。

先ず、スバルの自動車造りの礎を築いた百瀬晋六氏のポリシーとして
スバル車は四独サスに限るという不文律があったわけではないでしょう。
市販化は出来なかったけど幻のスバル1500(開発コードP-1)は
当時としてはオーソドックスなFRでリアサスはリーフリジッドでしたしね。

ただ、その開発経験も踏まえてプロペラシャフト、重いアクスルハウジングが上下に動きスペースを取る
いわゆるリジッドアクスル(車軸懸架)は無駄が多いということを理解したのも事実でしょう。
つまり、この時点ではサスペンションの性能として四独サスが良いというよりも
人間優先のパッケージングや軽量化という点で四独サスの理想的だとなったのでしょう。

そして、スバル360ではRRとしたので必然的にリアサスは独立懸架となったわけですし
それに続くスバルR-2、初代レックスも必然的にリアサスは独立懸架で四独となっただけのことでしょう。
RRでド・ディオンは難しいし軽トラのように過積もないのでメリットはないですからね。

 

次のFFレックス(2代目レックス)の時にリアサスをセミトレーリングアーム方式の四独にしたのが
どのような理由だったのかはボクは入社前だったし当時の話も聞いたことがなかったので知りません。
初代VWゴルフは1974年発売で既にトーションビームサスのメリットも明らかになっていたので
1981年発売のFFレックスならトーションビーム採用もあっても良かったと思いますし
その当時なら「スバルは四独に限る」なんて野暮なこと言い出す人もいなかったと思うんですけどね。

おそらく、レオーネやサンバーで使い慣れたセミトレなら設計しやすいというところだったんでしょう。
軽乗用車としてはスバルで初めてのFF車ですししかもエンジン横置きのFF車も初めてですから
それ以外のところではあまり冒険せずに使い慣れた無難な設計としたのはまぁ分からないでもないです。
それにスバルの歴史の中で黎明期のスバル360、サンバー、スバル1000を除いて
これだけ大幅なまるごと大転換をしたのはこのFFレックスが最初で最後(今現在)ですからね。
結果的にそれが功を奏してFFレックスは完成度の高いクルマになり販売も好調だったわけです。

このFFレックスの途中にFFに遅れること2年でパートタイム4WD車が追加されます。
2年差なので最初から4WDも併せて開発されていたのかどうか微妙ですけど
4WD車のリアサスはストラット形式となってますからおそらくはFFとは別設計
つまりFFを作ってから4WDはどうすんべぇとなったんだと推測されます。

ちなみに、軽トラ用としてリアリジッドサスのアクスルハウジングを持っているメーカーは
軽乗用車でも4WDのリアサス&リア駆動系にそれを流用すれば安上がりなのでそうしたし
そうなるとFF車でもリアリジッドサスにした方が作りやすいのでそうするのが多かったのでしょう。
スバルは自前のアクスルハウジングを持たないのでわざわざ性能の低いものを新規開発するのも
あるいは他社から割高で購入するのもバカらしいので4WDでリジッドサスはなかったわけです。

 

と、ここまで読んだ人はボクがトーションビームサスが理想と考えてるんじゃないかと勘繰ってるでしょう。
そうなんですよ、ボクは軽乗用車には四独サスよりトーションビームが良いと考えてます。
ただ、しつこいですが軽乗用車の開発に携わったことないのであくまでも漠然と考えてるだけです。

でも、その前にトーションビームサスについてちょっと整理しておく必要があるでしょう。
トーションビームはトレーリングアームの左右をクロスビームで繋いで
そのクロスビームが捻じれるような形式のサスペンションです。
クロスビームの取り付け位置によって以下のように三種類に分類されます。
(車両を上から見た図でフロントを上/リアを下にして描くと)
П:ピボットビーム……ピボット(支点)付近にクロスビームを接合。ほぼトレーリングアームに近い。
H:カップルドビーム……トレーリングアームの中間付近にクロスビームを接合。中間的特性。
∐:アクスルビーム……車軸付近にクロスビームを接合。かなりリジッドサスに近い。

このうち、アクスルビームはリジッドサスに近くてスペース効率も良くないですが
設計しやすいのと、上述のように4WDはアクスルハウジングのリジッドにすれば簡単に出来ます。
なので、日本の軽自動車やBセグカーなどでは好んで使われたサス形式です。

一方、ピボットビームはほぼトレーリングアームに近い特性なので軽トラの時に説明したような
バンプトーイン、横力トーインなどに設計することが難しくなります。

カップルドビームの場合、各部材の捻じれや曲げを適切に設計すればバンプ(ロール)トーインに出来、
またビーム全体のマウント方法などの工夫で横力トーアウトを抑えることも可能です。
ということを初代VWゴルフが証明してみせたのですが、設計は難しいわけです。
サスペンションの特性としては四独のトレーリングアームとリジッドのいいとこ取りも出来るし
実際にリジッドではなく独立懸架として捉えていいわけですし
上手くやればFFと4WDで共通のサスペンションとしても使えますし
何しろスペース効率はトレーリングアーム並みに良いので
人間優先のパッケージングにするのには理想的なサス形式とも言えるでしょう。

ただ、スバルはFFレックスを作るのにトーションビーム、カップルドビームは選択せずに
FFはセミトレ、4WDはストラットをリアサスとして選択したわけです。
その理由は上述のように不明ですがおそらく設計が楽だったからでしょう。

そして、3代目レックス(2代目FFレックス)は先代をそのまま踏襲、というか流用です。
ちなみに、4WDのストラットはロアアームが逆A字型のものでスバルでは前例のなかったものですが
勝手な想像ではおそらくホンダ・シティあたりのモノを模して設計されたのではないかと思われます。
初代ジャスティも同じモノなのでよく知っているのですがブッシュに負荷がかかり
経年劣化でリアサスがイニシャルトーアウトになって高速安定性が悪くなるという問題を抱えてましたね。
このことからもやっぱりノウハウ不足、あるいは急造4WD用サスだったのかなと推測されます。

ということで、次のヴィヴィオではプラットフォームから一新されて
リアサスはFFと4WDがほぼ共通のパラレルリンク・ストラットになり四独サスが継承されます。
パラレルリンク・ストラットサスは各リンクの役割がシンプルで設計しやすいですし
何しろ初代レガシィで経験済みだったのであまり苦労せずに開発できたのだと思います。
また、当時のより上級指向の軽乗用車、パーソナル指向の車両コンセプトに対しても
レガシィと同形式のサスペンションというのは謳い文句としても性能としても合致していたと言えます。
なので、ボクはここでトーションビーム、カップルドビームとはせずに
4輪ストラットの四独サスとしたことは決して間違った選択ではなかったと考えています。
つまり、この時点では四独サスでも悪くはないわけです。

 

ところが、その次の1998年10月発売のプレオとなると様相が違ってきます。
スズキ・ワゴンRが発売されたのが1993年9月
ダイハツが対抗してムーブを慌てて発売(出来は悪かったが)したのが1995年8月のことで
1998年時点では、というかそれより数年前のプレオの開発が本格化する時点では、
既に軽乗用車市場の主力車種はいわゆるトールワゴンに完全に移行してしまっています。

ボクはこちらのプラモの記事でちょっと触れたようにワゴンRが発売される前から
軽乗用車に限らずですがトールワゴン系の可能性を信じていて社内的にも提案したくらいですから
プレオ発売の時点ではトールワゴンを出さない限りスバルの軽に明日はないと確信してました。
スバル(富士重工)の企業規模では2車種もの軽乗用車を開発・販売することは出来ないのなら
背の低いセダンタイプ(?)は捨ててトールワゴンだけに絞るべきだとも確信してました。

ところが、ストラット式のリアサスのままではそのようなトールワゴンには不向きです。
性能的にはロールセンター高さの設定が困難になりますし
何よりもストラットが後席や荷室を圧迫してトールワゴンとしてのユーティリティに欠けてしまいます。

このようにボクは軽乗用車のリアサスはトーションビーム、カップルドビームを理想としてますが
一方で、スバルの技術で果たしてまともなカップルドビームサスが出来たかどうかは怪しいかもね。
なにせ、当時の(今も?)スバルのサス設計では3代目レガシィのマルチリンク・リアサスのように
サスペンション部材を捩じったり曲げたりして最適化するような設計が出来ませんでしたから。

それに、新しいサスを開発するにも基礎研究や先行開発でじっくり実験してなんてやってません。
もちろん、CAE(シミュレーション)で開発できる技術なんて確立されてませんしね。
というか、基礎研究がないのにCAEで開発できるようになるはずないですけど。

実際にプレオの開発初期に雑談の席でリアサス形式が何がいいかとボクにも尋ねられたので
当然ながらボクはカップルドビーム(トーションビーム)と答えたわけですけど
どう設計したらいいか分からないから出来ないみたいという話を聞かされましたから。。。

 

それと、もうひとつこのプレオ発売の1998年10月には大きな節目がありました。
それは衝突安全基準の引き上げと同時に軽枠が拡大されて長さが+10cm、幅が+8cmとなりました。
当時の運輸省からは軽枠拡大は衝突安全確保のための必要分として認められたのだから
それを室内空間拡大に使ってはならぬという暗黙の通達があったとかいう噂話もありましたが
(当時軽自動車を販売してなかったトヨタ、日産からの反発があったとも言われてますが)
スバルはそれを真に受けてなのかそれを社内的な口実にしたのかしりませんが
プレオで高さ方向以外の室内空間の拡大を図ろうとしませんでした。

本来なら、衝突安全向上と軽枠拡大に合わせてプラットフォームを新設計して
それに合わせてトールワゴンに適した室内空間とリアサスを新設計すべきだったのですが、
それをせずにパーソナル指向の軽乗用車であるヴィヴィオのプラットフォームの流用で誤魔化して
それ故にセダンタイプでもなくトールワゴンでもない中途半端なプレオを生み出してしまったわけです。

プラットフォーム流用といっても厳しくなった衝突安全に対応するためにかなり重くなってしまっていて
これまた本来ならプラットフォームを新設計してより合理的な構造で軽く衝突安全対応すべきだったのに
それをせずに目先のお金だけをケチって将来に先送りしてさらに問題を深刻化させてしまったのです。

貧乏な富士重工ですからプラットフォームの新設計に二の足を踏んだのは分からないではないですが
軽乗用車市場が一転し軽枠など法律も変わったこの機にやらなければいつやるのってところです。
金がないなら、人が足りないのならレガシィの開発を止めてでもこの機に軽乗用車に注力すべきでした。

でも、当時は、スバルは人気のツーリングワゴン、(WRCの)走りスバルの呪縛に囚われていたので
このような中途半端なツーリングワゴン・ライクな軽乗用車でも売れると勘違いしたのかも知れないし
あるいはその前のヴィヴィオでも晩年はビストロなどのクラシック顔が爆売れしたことから
所詮軽乗用車なんて性能なんかどうでもいいんだとこれまた勘違いしたのかも知れないです。
という噂話は実際に聞いたことがありましたしね。だからといって竹中さんをどうこう言わないですが。

それにしても、スバル360から始まった人間優先の開発姿勢はどこに行ってしまったんですかね。
スバル開発理念」はいったいどこに行ってしまったんですかね。
※もっとも「スバル開発理念」だ発表された時にはプレオの開発はもう終盤でしたけど。

 

そして、この勘違いの一部はさらに次のR2/R1にも引き継がれたとも言えますし
そこにはプレミアムブランドなる言葉も追加されてカッコだけ変わってればイイになっちゃいました。
そこには人間優先もお客様優先も何もありませんから売れるはずもありません。
で、慌てて急造でステラなんか出しましたけど、遅きに失してしまったし
何よりも古いヴィヴィオ用のプラットフォームのままではまともなトールワゴンが作れるはずもありません。

というわけで、もう四独サスかどうかの話ではなくなってきてしまいましたが
ヴィヴィオからプレオに変わる時に四独サスを捨てて新しいプラットフォームと新しいリアサスにすべきで
そこがスバルの軽乗用車の大きな分岐点であったとボクは考えているわけです。

そして、プレオからR2になる時もスバル軽乗用車生き残りの最後に残されたチャンスだったのに
それですら全く違う道、180度逆方向に進んでしまい、そのままスバル軽乗用車は逝き止まりました。
スバルの軽乗用車が逝ったということはスバルの軽商用車・サンバーもいずれ逝き詰まることを意味し
その後そうなってしまったわけです。

タイミング的にスバルの軽自動車撤退はトヨタが筆頭株主となって“選択と集中”とか言って
スバルの軽自動車はトヨタグループのダイハツのOEMとすると合意したからということですが
何もそれはトヨタから強要されて止む無くそうなったというよりも(形式上はそうであっても)
上述のようにその時はもうスバルの軽自動車は挽回不可能なほど瀕死状態になってしまってたので
それ以外に方策がなかったということなわけで、つまり自ら招いた結末なわけです。
繰り返しになりますが、その分岐点はプレオにあったわけで、最後のチャンスはR2だったのです。

なお、断っておきますが、プレオやR2がダメダメなクルマだったといいたいわけではありません。
個々にはそれぞれ良い所もあるし、ユーザーの使い方によっては良いクルマでもありますが
スバルの軽としての存在意義や戦略としては失敗だったのではないかと言いたいだけです。
そして、それが結果的にスバルの軽を終わりにしてしまったと言いたいだけなのです。
哀しいことだし悔しいことですがそういうことだったのです。

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