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軽乗用車にも4気筒エンジンは不要か?

このスバル・カテゴリーでは前回記事で軽トラには4気筒エンジンは理想でないと書きましたし
前々回記事では軽トラに四独サスが理想ではないとも書きましたが、その中で
ついつい軽トラだけでなく軽乗用車にとっての4気筒エンジン、四独サスにも少し触れてしまいました。

ボクは現役時代に軽乗用車(軽商用バンベースの乗用登録車は除く)の開発に携わったことはないので
軽乗用車の理想についてあれこれエンジニアリング的に語るほどの知見も資格も持ち合わせてませんが
あくまで個人的かつ傍観者的な率直な感覚として結論から言わせてもらえば
軽乗用車に4気筒エンジンも四独サスも不要だけどあっても悪くはないというスタンスです。

と、これだけで話は終わってしまいますけど、
それでは何故スバル(富士重工)は軽乗用車に4気筒エンジンを搭載し四独サスであり続けたのか?
それによってスバルの軽乗用車はどのような変遷を辿ったのか?
今回の記事ではこれらについて、社内の開発現場にいてそれなりに近くの傍観者としての
ボクなりの推測を含めて考えてみることにしましょう。

 

まず、4気筒エンジンですが前回にも少し触れたようにスバルが2気筒→3気筒化の波に乗り遅れて
それを一気に挽回しようと3気筒をすっ飛ばして4気筒にしてしまったというわけです。
その時にいずれ他社も4気筒になるだろうから一足飛びに4気筒化しておこうという目論みだったのか
それとも他社は3気筒止まりだろうからスバルだけ4気筒にして差別化しようとの目論みだったのか
その辺りはちょっと定かではありませんが、おそらく曖昧で漠然とした考えだったのでしょうかね。

スバルがそれまでの550cc2気筒のEK23型から550cc4気筒のEN05型に変更したのは
1989年6月の3代目レックス(2代目FFレックス)のマイナーチェンジの時からです。
ボクはこれのスーパーチャージャー付の最廉価グレードを新車で買ったのでよく覚えています。
確か、社内開発記号は69Wだったかな(笑)

ちなみにこの3代目レックスの初期型のTV-CMには小手川祐子が出演していましたけど
このマイナーチェンジを機になんと松田聖子に変わってしまいました。
この時、聞いた話では、宣伝部はそれ以前からずーと松田聖子をCMに起用したかったんだけど
なんせギャラが高過ぎて富士重工ごとき、しかも軽のCMにそんな大金はとても払えなかったのだが
この年になってギャラが急落したので念願かなってCM起用に至ったのだそうです。

そのギャラ急落の理由って、マッチとNYで密会してその後の中森明菜自殺未遂事件へと発展した件で
松田聖子はそれまでの清楚系キャラから悪女キャラに失墜し
さらに独立して個人事務所設立に至ったタイミングだったからですな(汗)
別に清楚系が良いというわけではないし個人的にはその前から中森明菜派でしたけど
それは置いとくとしてもスバルの軽乗用車のキャラとしては
絶対に悪女系でも小悪魔系でもなく清純・真面目系であるべきだったと思うんですけどねぇ。
いくらギャラが安くなったからといって安くなったのには理由があるわけですから。
しかもクルマの宣伝CMなのに“SEIKO”なんて大きく映して松田聖子自身の宣伝みたいで……

ちなみに、ちなみに、さらにこの後のマイナーチェンジで660ccになった時のCMは
山田邦子ですから、まぁクルマ自体は大して変わってないのにCMのキャラ変は激しかったですな。
あぁ4気筒エンジンから完全に脱線してしまいましたorz

 

閑話休題。
ところで、他社はいつごろに3気筒化を終えていたかというと、調べてみました。
スズキはもともと2サイクル3気筒で逆回転事件が起こっても頑張ってましたけど(笑)
1981年1月から4ストローク3気筒を初代アルトの途中から搭載しています。
ダイハツはそれより遅れて1985年8月に2代目ミラから3気筒となっています。
ミツビシはそれから遅れて1987年1月に5代目ミニカの途中から3気筒化していて
ホンダはさらに遅れて1988年2月に初代トゥディの途中で3気筒化しています。
マツダは……中身ススギなのでまぁいいかな(笑)

つまり、スバルが3代目レックスを出した時点で業界1,2位のスズキ、ダイハツはすでに3気筒で
その後ミツビシもホンダも次々と3気筒となりスバルだけがいつまでも2気筒のままだったわけです。

そのちょっと前、アルト47万円という物品税がかからない4ナンバーで安売りするのが大当たりし
他社もそれに追随して軽ボンバンブームが起こりました。
スバルFFレックスもそれに便乗しつつも当時の軽No.1のホイールベースから
4ナンバーでも唯一実用に耐える後席スペースでそれなりに人気を博したのでした。
※後席より荷室が長くないと4ナンバー登録できず必然的に後席が狭くなっていた。

それが1989年に物品税廃止、乗用/商用同一の消費税となり軽ボンバンブームは終わり
代わりに軽乗用車が乗用車らしく少し上級指向になっていくという流れになったわけです。
となると、他社は2気筒はうるさくて振動があって古臭くて乗用車らしくないよと攻めてくるわけで
実際当時のスバルの販売現場は相当につらい状態を強いられたことでしょう。

で、そんな劣勢を一挙に挽回しようとして3気筒を通りこして4気筒にしちゃったのがスバルなんですね。
とはいえ、それでもやっぱり何故3気筒でなく4気筒にしちゃったのか腑に落ちないです。
販売現場や営業からは「2気筒はやめて」とは言っても3気筒と4気筒どちらがいいかの話はないはず
というか、販売現場や営業からは売れない言い訳はでてもこれから売れる提案はまずないですからね(汗)
だから、3気筒でなく4気筒にしたのは開発部門、それもエンジン開発部門主導だったはずです。

なのに、エンジニアリング的に考えれば4気筒より3気筒の方がまっとうな選択だと思えるのに
なぜスバルは4気筒を選んでしまったのか……(軽トラは眼中になかったのはここではおいとくとして)
勝手に想像するに、おそらく当時の富士重工では3気筒/4気筒のメリット・デメリットを
きちんとエンジニアリング的に実証できてなくて机上の空論のまま
開発トップの勢いで見切り発車しちゃったのが真相かなぁ。
先行開発などで軽の4気筒をやってた話は出てきても同時に3気筒を研究してた話は聞かなかったしね。
富士重工は基礎研究・先行開発にもお金使わないので(要は貧乏会社なので)
その段階で3気筒/4気筒を同時研究・開発して比較するなんてことはやってなかったでしょうから。

 

もっとも、4気筒になったタイミングでは物品税廃止で軽乗用車の上級指向がでてきたわけで
遅ればせながらもその流れの中では3気筒ではなく4気筒になったというのも悪くはない選択です。
その意味では4気筒エンジンは要らないけどあってもいいとするボクのスタンスなわけです。
実際に、3代目レックスの後継のスバル・ヴィヴィオではより上級指向とパーソナル指向として
(軽乗用車としては)上質なモビリティとすることに成功したわけですし
そこには4気筒エンジンのメリットもきちんと活かされていたと言っていいでしょう。

また、エンジンだけでなくトランスミッションについてもスバルはAT化
(ここではトルコン有無とかではなく単にクラッチのないイージードライブとしてのAT)
でもATメーカーとの繋がりが弱くかといってホンダのように自社開発もできないので
2AT→3AT(→4AT?→CVT?)の流れの中で後手に回りつつあったのですが、
ここはECVTで一気に挽回することができたわけです。
もっともECVTの“E”の部分、つまりクリープ無しの電磁クラッチの部分は大失敗でしたけど……

そして、トランスミッションでは一足飛びにCVTまで行ったこともあって
またCVTにはトルク変動が少ない4気筒の方が耐久性では有利という面もあるので
エンジンも一気に4気筒にしちゃえという雰囲気に拍車がかかったのかも知れないですね。

ただ、ヴィヴィオの時代の軽乗用車としては4気筒でも良しとしても
個人的には4気筒を選択した時点で捨てたものが大きくて
そこを誰がどう判断したのかがまったく分からず残念だなぁと思うところなんです。

 

それはどういうことかというと2つあるのですが、まず一つ目は
軽乗用車の海外展開がほぼ絶たれてしまったということです。
前回にも書きましたが車幅の狭い軽自動車に搭載できる横置き4気筒にするには
ボアピッチをギリギリ詰めた設計にせざるを得なく、そうすると必然的にボアアップは不可能で
ストロークアップだけでは海外市場向けの800ccほどの排気量にすることはほぼ出来ません。
これは海外市場からの撤退を意味します。
※それでもヴィヴィオは660ccのまま僅かに海外市場に輸出しましたけど。

Dom0044  
ヨーロッパで見かけたスバル・レックスを載せておきましょう。
1992年にドミンゴの走行試験で出張した時です。場所はオランダですかね。
ヴィヴィオは1996年のフランス・パリ1997年のルクセンブルクで目撃してますね。

もう一つ残念なのはスバルのラインナップにおいてリッターカーの開発が困難になったことです。
初代のスバル・ジャスティは当時の2代目レックスをベースに幅を切った貼ったで広げて
それに当時の2気筒エンジンに1気筒足して3気筒にしてリッターカーにでっち上げたクルマです(笑)
サスペンションの一部や、シート骨格、ドアパネルなどもレックスの流用でしたから。
貧乏会社の富士重工はそうでもしないとリッターカーなんて作れないんですよね。

幻の2代目ジャスティの77S(日産マーチベース)の構想が出てくるのはもっと後なので
4気筒開発スタート時点では当然ながら次期ジャスティについても構想に入れるべきだったはず。
同じように車体は軽乗用車を切った貼ったでリッターカーにでっち上げればいいですが
軽乗用車用でボア&ストロークアップで800ccほどまでになる3気筒エンジンを設計しておけば
リッターカー用にはそれに1気筒足して4気筒1000ccほどにすることも可能です。
あるいは3気筒のまま無理すれば1000ccほどになるように設計しておくのも手です。
これが軽乗用車用としてギリギリの4気筒を作ってしまってはその先の展開は出来ませんからね。
まさか、リッターカーに直6やV8ってわけには行きませんしねぇ(笑)

まぁ、長期的な・多面的な戦略がないのが富士重工という会社なので驚きもしませんし
当時は、その後もつい数年前までは共通プラットフォームという概念もなかった会社なので
パワーユニットのモジュール化なんて概念もまったくなくて
たまたまお金がないからありもののの車体を弄って使いまわしたり
ありもののエンジンにあとから1気筒や2気筒足してやりくりしていただけなので
海外展開やリッターカーへの発展まで考慮して新規エンジン開発できなかったも無理はないですが……
なにせ、軽トラのことさえも眼中になく新規エンジン開発しちゃったほどですからねorz

それにしても当時まだ20代のボクがなんでこんな心配をしなきゃいけないのか不思議だったし
どうして会社の上層部や周りの人はそういう検討をしてないんだろうという疑問とともに
その頃からもうスバルの軽自動車やリッターカーはこの先どん尻になるかと危惧したものでしたね。
まぁある意味ではそれは図らずも当たってしまったわけですけど……

 

あっ、また気づくとそれなりに長文になってきてしまいましたね。
軽乗用車に四独サスの場合の話は次回とさせていただきます。

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