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単行本「ひとりをたのしむ 大人の流儀10」伊集院静著を読了

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講談社の「ひとりをたのしむ 大人の流儀10」伊集院静著を読みました。
単行本ということになってますがほぼ新書サイズとなっている本です。
ただ中身より表紙が僅かに大きかったり、スピン(しおり紐)が付いていたりしている形質の本です。
ボクは「ひとりを楽しむための10の心得」みたいななかば実用書的な本かなと思って
ひとりを楽しんでいるボクには今さらですがその検証も兼ねて読んでみようと買ったものです。
けれども、実際には週刊現代に載せたエッセイ集を単行本化したものでした。
さらに「大人の流儀」シリーズとなっていてその第10弾がこの本ということのようです。

ちなみに、ボクは伊集院静という人と名前はおぼろげに知っていましたけど
そのほとんどは夏目雅子の旦那さんだった人という認識でしかなく
今までに伊集院静著の小説もその他の書物も読んだことはありませんでした。
けど、伊集院静は伊達歩の名前で「ギンギラギンにさりげなく」などの作詞もしてたんですね。
このエッセイでもマッチが登場してきますけど今のお騒がせ事情までは予測されてなかったのでしょう。
それをいうなら、ゴルフの松山英樹への称賛も書かれてますがまだマスターズ制覇の前までのことです。

 

さて、本書の冒頭では「ひとり」ということについて次のような記述があります。
というかむしろ「ひとり」を主題に取り上げているのはこの冒頭部分だけとも言えます。

(以下引用)        人によって敢えてひとりで生きることを選ぶ人たちがい
るという前提で、その心理、そうした結果、起こることを何篇かの文章で考えようとし
てしまった点だ。
 しかし、それは大局で見ると間違いだった。敢えてひとりになるのではなく、人間に
はひとりになる状況が否応なしにやって来て、ひとりで生きることと向き合わねばなら
ないことが、実は大半なのだとわかった。              (引用終わり)

ボクはひとり暮らししてますし、おそらく誰かと一緒に暮らすことはもう考えられないし
ひとりっきりでいる時間がほとんどですし、その時間を楽しみたいとも大切だとも思っていますが、
かといって人間関係の一切が煩わしくて嫌いなものとも考えていません。
なので、敢えてひとりで生きることを選んだとも言い切れないし
かといって否応なしにひとりになったとも言えないしです。
おそらくひとり暮らししている大半の人はどちらとも言い切れない経緯でひとりになっていて
そのひとりの度合いもそれぞれ人によって違いがあるのではないでしょうかねぇ。

また、著者は「ひとりをたのしむ」ためにはということで次のように書いています。
                           (以下引用、改行位置変更)
“孤独感”や“孤愁”をごく当たり前のこととして受け入れれば済むことです。 (中略)
 では私の経験から、“ひとりで何かをたのしむ”ためにはどうすればよいのかを考える
と、それには自分を肯定できる性格と慣れを持つことが大切です。 (中略)
 だから、ひとりをたのしむことができるのは、誰かの力ややさしさが介在しているから
だ、ということを忘れないようにしましょう。            (引用終わり)

ボクは自分を全面的に肯定できるほどうぬぼれもないですが
ダメ人間ながらもこうやって生きていられるのは結果的に部分的でも自分を肯定できているのでしょう。
かといって、無人島でひとりで生きているわけでもないので誰かのおかげということも分かってます。
分かってるつもりですけど、それでもやはり日々それを忘れないようにしないといけませんね。

 

さて、エッセイの中身についてですが、著者はボクよりひと回り年上で
在日韓国人の2世でお手伝いさんのいる裕福な家庭育ちのようですが、
その両親について次のように書いているところがあります。
                                  (以下引用)
 私の父親はよく“働かざる者食うべからず”という言葉を口にした。(中略)
 父は仕事をしない人間を嫌った。
 父は物乞いをしている人に、決して物を与えるんじゃない、とも言っていた。
                                  (引用終わり)

                                  (以下引用)
「嫌だわ、あの人遊び人よ、昼っからぶらぶらしちゃって」
 と近所の女衆が言うと、母はチンピラには目もやらないで、独り言のように“働かざる者
食うべからず”と言って、近づいて遊び人を牽制していた。        (引用終わり)

まぁここだけ取り上げると、早期リタイアして無職で昼間からブラブラ散歩してる身からすると
非難されているようで嫌な思いですが、まぁ物乞いしてるわけでもチンピラでもないけどね。
それに「働かざる者食うべからず」は社会主義・共産主義から出てきた言葉ですし。

とは言え、著者はそのような両親の影響を受けているからなのか
70歳を過ぎても精力的に仕事をしているようですし
さらに1年ほど前にくも膜下出血で倒れて手術・リハビリを経て仕事も再開しているとのことです。

また、著者が「東北一のバカ犬」と書く高齢の愛犬が昨年他界してしまったそうですが
それでも「家人」と書く奥さん(後妻)やお手伝いなどもいて実際にひとり身ではないですし
そんなこんなでボクみたいな早期リタイア・独身オジサンとは似ても似つかない人生を送り
それ故に価値観・人生観もあまりにかけ離れているなと感じるところが多々あります。

 

では、この本は共感できないものばかりだったのかというとさにあらずで面白い所も多くありました。
幾つか紹介してみましょう。
                                 (以下引用)
 私はこの“郷土閥”が苦手である。 (中略)
“郷土閥”と同じかたちで“学校閥”というものもある。高校なり、大学が同じことが或る種
の共通意識を持つことがある。 (中略)
 この“学校閥”というのも、私にはまったくない。(中略)
 私は、おそらく“属する”ことが嫌いなのだろうと、自分では思っている。(引用終わり)

まったく同感です。なのでボクも属することが嫌いなのでしょうね。
生まれ育った地も今住んでる地も地方なので県人会もないでしょうし、あるかどうか探してもないし、
地元ではないからどこの中学、高校、大学出身なのかで集まることも話題にすることもないです。
同じ学校で同時期に在籍していて顔見知りなら先輩・後輩という概念は存在し得ますが
十何年も離れているのに先輩・後輩だという関係もあり得ないと思ってます。

サラリーマン時代には確かに社内に県人会や出身大学の集まりも一部にはあったようですが
ボクの場合は愛知県出身者はごく少数派で県人会はなく
ましてや名古屋工業大学出身者はボクより以前にはほぼいなくて以降でも数人のみでしたから
そのような集まりもなくそのような先輩・後輩の関係もまったくありませんでしたし
そんなものに属するのはまっぴらゴメンでしたからむしろありがたいと考えてましたからね。

 

もうひとつ、カルロス・ゴーンの国外逃亡の話です。
                                    (以下引用)
 私が何より不可解であったのは、あのようなカタチで、大人の、しかも大企業のトップで
あった人が逃亡するのだろうか、ということだった。以前、保釈された折、工事の警備員の
ような恰好であらわれた。
 自分の姿を見て、何も感じなかったのだろうか。今回はコンサートの音響のケーブルやモ
ニターを詰める箱である。穴を開けていたというが、問題はそれではなく、大の大人があの
ような所に隠れて、闇の中で、こんなことをするために生まれて来たのか? と考えなかっ
たのだろうか。このような恥辱に身を置くのなら、別の方法があった気がする。(引用終わり)

これまた全く同感です。
というか、大企業のトップだって全員が徳のある人とは限らないし
むしろ昨今の短期的儲け重視の企業のトップなんて人徳でトップになっているわけではないので
カルロス・ゴーンも所詮はそういう人間だったことを露呈しただけということでしょう。

 

と、なかなか面白い内容でしたけど、前妻・夏目雅子さんのことはひと言も出てきませんでした。
まぁいろいろあるんでしょうけど、夏目雅子が好きだったボクとしてはそこがちょっと残念でしたね。
それに著者の姿はボクからみるとひとりを楽しんでいるというよりも
たまにひとりになるけどいつもは常に誰かとつながっている・世話になっている人なんじゃないかな。

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