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新書「つながり過ぎた世界の先に」M.ガブリエル著を読了

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PHP新書の「つながり過ぎた世界の先に」マルクス・ガブリエル著
  大野和基インタビュー・編 髙田亜樹訳を読みました。
著者はドイツ在住の哲学者ですが、1980年生まれなので比較的若い方です。
NHK Eテレの「欲望の時代の哲学」などの番組にも出演していたようで
ボクも何度か見かけていて顔と名前くらいは知っていました。
といいますか、この「自由の限界」という本でもインタビューされていた方ですね。

タイトルの“つながり過ぎた”というのはグローバル資本主義を指しているのは明らかでしょうが
著者は本書の中でソーシャルメディア批判もかなりしていますからSNSによる個人のつながりも指し
またウイルスとのつながり、経済だけでなく国と国のつながり(対立)などにも言及しています。

 

まず、著者はこの新型コロナ騒動に関して以下のようなことを語っています。
                                    (以下引用)
 しかし私が知る限り最悪の知識人はウイルス学者です。社会的思想家としてはまったくダ
メなのです。研究対象がウイルスという、知能のないものだからです。(中略)
   ウイルス学者に戦略を立ててもらうべきではないのです。      (引用終わり)

また繰り返して以下のようにも語っています。
                                    (以下引用)
 ウイルス学者というのは、最近出会って初めてわかったのですが、なぜか自尊心過剰なの
ですね。驚くべきことです。ウイルス学者に権力を与えてはいけません。  (引用終わり)

いったいウイルス学者の誰と喧嘩したのか怨みでもあるのかという感じですね(笑)
もちろん、戦略を立てる権限は政治家にあるわけなのでウイルス学者でないのはその通りですけど
一括りにウイルス学者といってもウイルスそのものの研究者もいれば感染症の専門家もいるでしょうし。
逆に政治家が頓珍漢なこと言ったり決断できずに専門家を矢面に立たせちゃってる国もありますし……

 

まぁ、それはともかく新型コロナ騒動下の経済ということでは、以下のように語っています。
                                    (以下引用)
                ウイルスが発生した。新自由主義的解釈は間違っていた
のです。その上、新自由主義経済がもたらした冨は、パンデミックとの闘いですっかりなく
なってしまいました。(中略)
  つまり新自由主義に基づくグローバリゼーションの経済効果はマイナスだったというこ
とです。こんな悪い経済モデルに固執するなど考えられません。新しい経済モデルが必要と
されています。世界史はネオリベラリズムを否定したのです。       (引用終わり)

このようなことから著者は“倫理資本主義”というものを提唱しています。
倫理と資本が出てくるとなにやら流行りの渋沢栄一が出てくるのかと思っちゃいますが
さすがにドイツ人にはそんな流行りとは無縁のようで、まったく関係ないとは言えないけど
ここでいう倫理とはもっとグローバルな視点での倫理に基づいた資本主義という意味あいです。

ヨーロッパ、特にドイツではそれに近いことをしていると著者はいいますけど(ホンマかいね)
果たして一度グローバリゼーションとなった世界をご破算にすることなしに
グローバルで倫理資本主義が成立するのか個人的にはやや疑問がありますけどね。
WTO等に強力な権限を持たすなどして全世界で統制するものがない限り
倫理的より非倫理的な国や企業が得をする構図はそうそう簡単に変わらないでしょうから。

 

さらに著者は次のようなことを語っています。
                                    (以下引用)
 今後倫理資本主義がさらに進化して、どの企業にも哲学課ができると良いと思います。
(中略)      倫理規定があって、倫理学者、哲学者、人文学の教授などを雇い、毎
日仕事をしてもらうのです。(中略)
  「哲学者の観点から、このアイディアは良いアイディアだと思いますか?」と聞くわけ
です。彼らが「いいえ」と言えば、みんながそれはダメなアイディアだと了解します。
                                   (引用終わり)

いやいや、ウイルス学者をあれだけ否定して権力を持たすなといっておきながら
哲学者には権力を持たすと言うのはそれこそ自尊心過剰ではないですかね。
この本で著者も批判しているマルティン・ハイデッガーのようにナチスに加担した哲学者もいるわけで
哲学者が全員倫理的あるとは限らないわけですから権力を持たしては最悪だと思いますけど。

かといって、ボクが著者の倫理観を不審に思っているというわけではありませんし
以下のようなことからも倫理を見抜く力はちゃんとしていると感じています。
                                    (以下引用)
 人間は道徳的な生き物だと思うのです。倫理的進歩を謳っているテスラ(アメリカの電気
自動車の企業)の成功の一因はそこにあると思います。私は、テスラのアピールは口先だけ
だと思いますが、実はあくどい企業なのに、倫理的な企業を装っている。フェイスブックも
同じです。                              (引用終わり)

まったくその通りで、人の命をなんとも思っていないようなテスラが地球環境ウンヌン謳ったところで
そこに倫理のリの字もないことは明らかなんだけど、でも騙されちゃう人が多いんですよね。
ただ、仮にテスラの社内に哲学課が創設されたとしてもその口先だけなのがさらに巧妙になるだけで
本当の倫理を重視する企業に変わることは絶対にないでしょう。
少なくともE.マスクのようなペテン師がトップに君臨している限りは……

だから、そうそう簡単に倫理資本主義というものになっていくとはボクは思えないんですよね。
似非倫理資本主義がはびこり結局は今までのような際限のない欲望の資本主義のままかなと。

 

さて、一方でソーシャルメディアに関しては次のように語っています。
                                    (以下引用)
 私がいっているのは、元の自己があって、ソーシャルメディア上に歪んだ自己があるとい
うことではありません。その反対で、ソーシャルメディアは人に、本人が望まない自己を押
し付けているということです。しかもそのプロセスが不透明なのです。ソーシャルメディア
は人に新たなアイデンティティを売り付けて大儲けしているのです。    (引用終わり)

 そして、著者はこの新型コロナ騒動を機にすべてのSNSアカウントを削除したそうですが
まぁそこまで極端でなくともたまにはデジタルデトックスが必要なのでしょうね。
個人的にもソーシャルメディアが大儲けしていることはどうでもいいですけど
振り回されたり押し付けられるのは嫌ですからSNSの使用はかなり限定的にしています。
といいつつブログ書いてりゃ説得力はないですけどね(汗)
でもブログだとあまり即興的でないし短絡的にもなりにくいので弊害は小さいかなと感じてますし
そういうマイナス面も意識しつつ付き合うのが大事なことだと考えてますからね。

それにしても、倫理資本主義を持ち出すならまずはこのような巨大情報技術産業に対してではないかな。
これらの企業は伝統に基づく倫理観というものが企業側にないしユーザー側にも曖昧でしかないから
やりたい放題やってますからねぇ。

最後に著者自身の言葉ではありませんが、面白い視点に触れられていました。

(以下引用)                    ローマクラブに所属するシュテファ
ン・プリュンユーバーという有名な精神科医がいました。彼は、「一人でいること」と「孤
独」を区別していました。孤独は人に会いたいのに会えない状態を指し、痛みを伴います。
しかし一人でいること自体には何の問題もありません。          (引用終わり)

「一人でいること」と「孤独」を混同してしまうのでただ「一人でいること」すら楽しめず
我慢できずにたいして会いたくもないのに会おうとしてしまうから余計に辛くなるんですね。

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