東日本大震災から10年経ちました
2011年3月11日の東日本大震災から今日で10年経ちました。
ボクおよびボクの直接の知人・友人では幸いなことに命を奪われた方はいませんでしたが
東北に住む知人・友人の中には多大な被害を受けた方々もいます。
知人・友人に限らずとも日本中で多くの方々が亡くなり甚大な被害となってことは
10年経った今でも本当に辛い気持ちでいっぱいです。
地震についてはこのJET-LOGでも当日の記事(翌日に追記した分含めて)に書いてますが
もっと酷い目に遭っている人がたくさんいるのにあまりそのことを書くのも嫌だったのですが
10年経ってその嫌な気持ちも自分自身冷静に捉えられるようになりつつあることから
亡くなられた方々への追悼の気持ちも込めて今一度当時を振り返ってみたいと思います。
ただし、ボクは群馬県に居ましたから揺れも東北などより小さかったですし
さらに津波の心配も皆無でしたから身の危険というほどではなくまだまだマシでした。
また都内などのように帰宅困難となったわけでもないのでどうしようもなかったわけでもありません。
もっとももし都内にいたとしたら諦めて無理に帰宅しようとは思わなかったでしょうけど。
なので、誤解を恐れずに言えばどこか傍観者的であったのは確かです。
では、揺れが始まった14時46分から思い出して書いてみましょう。
その時はFM5(4代目フォレスター)のプロジェクトチームの会議の最中でした。
当時の技術本部の中では中くらいのサイズの会議室で20数名くらいが出席して
その他に東京事業所とはテレビ会議で繋がっている状況でした。
揺れ始めはなんだかふわふわとした感じでそれがゆらゆらになってきて
これ何? 地震? ってな感覚でした。
それまで体感した地震って結構直下に近いような最初からガツンと来るものばかりだったので
直観的にすぐに地震の揺れだと思えなかったです。
おそらく周りの人たちもそんな感じで目配せして「何?」って雰囲気でしたね。
少し遅れてテレビ会議越しの東京事業所でも揺れ始めたのが見てとれるようになった後
一段と揺れが大きくなった瞬間に誰かが「逃げろ!」って叫んで
あっという間にほとんどの人が会議室を飛び出して行ってしまいました。
ボクとしては揺れてる最中に屋外に飛び出していくのは危険だと冷静に判断してたので
その声に釣られることなくその会議室内で天上を見ながら何か落ちてきそうもない場所で
揺れに耐えていましたね。
地震が起きたら机の下になんていう話もありますが
あれだけ長周期でガッツンガッツン揺れると会議室の長テーブルなんてあっちこっち動き回って
その下に潜って押さえているのも困難ですし
幸いにも書棚などもない会議室ですから重いものが倒壊する心配もなかったですからね。
ただ、あまりにもテーブルがガッツンガッツン左右に動き回るから挟まれるのも危険なので
会議室を出て会議室の通路で壁につかまって揺れに耐えてました。
その通路の前は階段になっているので広い部屋より強度はあるだろうとか
揺れが収まった時に屋外に出るのにも好都合かなとも考えてました。
その時会議の出席者で逃げ遅れた(?)のはボクとボクの部下の先輩のSさんの2名だけで
そのSさんは「うわ~、逃げ遅れた。ヤバイ、死ぬかも」とか叫んでましたけど
その時居た建物はいちおう技術本部内では一番新しく新耐震基準で建てられたビルなので
免震構造ではないけどここが倒壊するなら他も壊滅してるだろうし
そうなら外に逃げても安全ではないから揺れが収まるまでここにいた方がいいと考えてましたね。
ただ、あまりにも揺れが収まる気配もなく長く続くし
壁面や天上からパラパラと細かい建材の粉が落ちてくるのはさすがに生きた心地はしなかったです。
で、長く長く続いた揺れも収まったところで状況確認して屋外に避難しました。
まぁこういう災害の時って何が正解だったのかは結果論でしかないところもあるので
なんとも言えないのですが、それでも個人的には揺れが収まるまで屋内にいる方が正解と思ってます。
避難訓練でもいちおうそのように言われてますけど
その時の状況に臨機応変にとは言え冷静に対応すべきではありますね。
自分でも不思議なくらいに冷静でいられたのはちょっとした発見というか意外でした。
なお、避難訓練では「揺れが収まったらともかく指定避難場所に移動して点呼」と言われますが
どこかのネットに書いてあったのは、「揺れが収まったらその場で状況確認」すべきとのことです。
つまり、ともかく先に避難するのではなくその職場や会議メンバーやあるいは教室や家族単位で
その場で状況確認して要救助者などがいないかを確認してから避難すべきであると。
確かにその通りでしょうね。
一度避難してからあの人がいないとかになってもどこでどんな状況になってるか分からないのに
レスキュー隊でもなければ素人には救助に向かうなんてこと出来ないですから。
避難する前に状況確認しておけば、すぐに助けられる人はその場で助けるし
それが無理でもどこにどんな状況でいるかが分かればその後の対応も適切に進められますから。
まっそのことはさておいても、あのやたら点呼に拘る体制には意味がないし辟易してましたね。
幼稚園児や小学生低学年ならある程度は意味があるかもしれないですけど
各自が身の安全を考えて行動できる大人が点呼していてもほとんど無意味です。
それは避難訓練のことだけではなく実際に東日本大震災の時も同じでした。
避難訓練時は部署ごとにあらかじめ休暇や出張など除いた避難する人数を把握しておいて
避難場所で部署ごとに並んで点呼してその人数いることを報告するなんてことやってましたが、
実際の震災時にはボクのように別の場所で打ち合わせしていることは日常ですし
行き先掲示板には書いてますけど誰がどこにいてどこに避難しているかなんて
全体を把握できる人なんて誰もいません。
そんなわけで、出先の会議室から避難してきたボクらと
別の案件でたまたまそこに避難してきた数人の実験部員らが集まって意味のない点呼をしました(汗)
その時はもう携帯電話も繋がらない状態でしたから実験部でテストコース内の事務所にいる人とは
連絡が取れませんし、連絡取れたからといっても何も出来ないので無理に連絡取る必要はありません。
でも、避難訓練では本部に点呼結果を連絡して……なんて無駄なことに固執している人達は
なんとしてでも連絡をとろうとしてその間避難した人達はずーとその場で待機させられました。
確か、1時間以上も寒空の下で待機させられましたね。
暖房の効いた会議室にいること前提での薄着でしたから凍えるほど寒かったです。
その経験から会議などの時でもコンパクトにしまえるウインドブレーカーを携帯するようになりましたが。
しかも、工場内の敷地はそんなに広い空地なんてないわけですから
避難した場所もすぐ近くに建物がありるわけです。
周りを見てみると、旧い食堂の建屋の屋根上の垂直の壁にヒビが入っていて
余震によってグラグラと動いていてそのすぐ下に避難者がいるじゃないですか。
オイオイオイってところですね。
そんなところにいるくらいなら新しい建物の中にいた方が何百倍も安全ですがね。
点呼なんてどうでもいいから早く建物内の安全確認だけして解散にして欲しかったですよ。
そういえば、東日本大震災の後日にその余震とも言える強い地震がちょうど昼休み時間にあったのですが
テストコース外にある食堂で食べている最中だったのに
わざわざテストコース内に戻って形式的な避難・点呼してた人がけっこういたのには驚きましたね。
屋外にいたらとにかく建物から離れて近くの安全な空地に避難するのが鉄則でしょう。
テストコースなんて出入口は狭く限られているので何か(火災や爆発)起きたら逃げ道が限られるのに
どうしてわざわざそんな逃げ道のない場所に向かって入っていくのかなとね。
冷静に自分で判断するってことが出来なくなってしまっていることは地震そのものより怖いよね。
結局、前述のように1時間以上待機させられた挙句に解散命令というかすぐに帰宅せよという話になり
そうは言ってもボクはその日の(テストコース内の)カギ当番だったこともあり
そうでなくても着替えなどはテストコース内にありますから一旦テストコースに戻ることにしました。
テストコース内の事務所は当時はボロボロのバラック小屋みたいなものでしたから
この記事でも書いたように所々天井や蛍光灯が落ちたり大型ブラウン管テレビまで落下してたりして
かなり酷い状態でしたし、ボクの席の上の天井も落ちていたのでそこに座っていたら
もっと身の危険を感じたかもしれないし下手したら怪我していたかもしれないですね。
それからは実験部員全員に早く帰宅を促して、カギかけて、セキュリティをセットして
ボクも真っ暗になる前に帰宅することができました。
停電してましたからクルマでの移動としても自宅内の確認という意味でも
真っ暗になってなくて助かりましたね。
ちなみに、この時はたまたま外製車(他社の比較車)のトヨタ便座を借りていたので
それに乗って帰宅したみたいです。記憶が曖昧ですが……
で、その日は部屋の片づけなど何もやる気になれずに
停電もしていて復旧見込みもまったく無かったのでそのまますぐに寝てしまいました。
避難直後から携帯電話は通じなくなっていましたけどネットには繋がっていて
そこで10mくらいの津波という予報だけは見ていたので心配でしたけど
群馬の地では関係ないし帰宅した時にはもうネットも繋がらなかったので
寝ることしかやることなかったですからね。
というわけで、3月11日の記憶は以上です。
その後の職場での避難生活や輪番停電のこともありますが記事にするのはやめておきます。
というかそれほど大したネタではないですから。
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