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新設部署のAWD-CoEはわずか数ヵ月で分裂・崩壊

前回記事に書いたように、新設されたAWD-CoE部署はあっという間に崩壊というか変質して
ボクはまたまた中途半端な尻切れトンボ状態で人事異動させられることになりました。
AWD-CoEはこの時の記事に書いたようにGM(ゼネラルモータース)との関係で
2000年2月の中ごろに急遽新設された寄せ集めみたいな小さな部署だったのですが
それから7ヶ月ちょいの9月末にはすでに崩壊してしまったというわけです。

分裂とか崩壊と書くと内部抗争が原因みたいに勘違いされそうですが
暴力団や政党とかではないのでそんな理由で会社組織が変更されるわけではありませんし
別に内部での人間関係に何か諍い(いさかい)や蟠り(わだかまり)があったわけでもありません。
かといって、計画性があって新設してすぐに解体したわけでもなく
結局は行き当たりばったりで作って、行き当たりばったりで解体・分裂しただけのようで、
新設時にも何をやるのかきちんと説明もされなかったように
解体・分裂時もほとんど何も説明されることはありませんでしたね(呆)

裏でというか上層部でどのようなやりとりがあったのかは全く聞かされませんでしたが
いちおう表向きはAWDの機構および(電子)制御は三鷹市にあるパワーユニット部門の
トランスミッション設計部と電子制御設計部が担当することになるので
それらの部分に集中する形でAWD-CoEはパワーユニット部門内に置くこととし、
車両全体のAWDに関する性能実験は従来のそれぞれの部署でやることになったとのことです。

うーん、そんなの端から分かってたことじゃないの?と
言いたくなりましたが言っても無駄なのでサラリーマンらしく会社の言いなりに従うしかありません。
もっとも、その短いAWD-CoE時代にAWDの各性能とその責任部署の紐づけを整理したので
車両全体としては後はそれぞれの部署でということが可能になったとも言えますが……

それで、ボクはどこに行くことになったのかというと、いちおう選択肢は用意されていて
A)パワーユニット部門に移動したAWD-CoEに異動する。つまり三鷹勤務になる。
B)元の操安乗り心地実験部隊に戻る。
のどちらかということでした。
ボクはこの記事にも書いたようにもともとなるべくクルマ全体に関わることがしたかったし
STI応援時代の三鷹の職場風土が肌に合わなかったので、A)の選択肢はあり得ません。

なので、元の操安乗り心地実験部隊に戻ることになりました。
後になって考えると、それよりも性能まとめをしている車両研究実験総括部という部署で
AWDに関する性能・実験・開発の総括をするという提案もありだったのかなと悔やみますが、
その当時はまだまだ総括部というのは特定の新車開発に限って性能・実験を総括する部署という
認識があったし、実際にそのような組織でしたから、ぺいぺいのボクが提案しても無理だったでしょう。

でも、その直後に総括部内にAWDやGM関連などの特命事項を総括する組織が誕生したんですが。
もっとも、組織といっても元職制が子会社の人材派遣会社・エンジニアリング会社に出向・転職して
その人がひとりで特命事項をしていただけという歪なものでしたから、
ボクがその人の下で実務に当たるということは組織的にも難しかったでしょうけどね。

というわけで、元の操安乗り心地実験部隊に戻ることになったわけですけど
覆水盆に返らずというわけで元通りに戻るわけではないんですね。
ボクの意に反してですが突如AWD-CoEへ異動となったわけですから
それまでやっていた仕事は後任の人がやっているわけなので、元の仕事はありません。
では、何をやり出したのかは新たな記事として続編にしたいと思います。

それと、もうひとつ元通りにならなかったことがあります。
それは勤務地が群馬県太田市ではなくなり栃木県佐野市(当時は葛生町)にある
SKC(スバル研究実験センター)になったことです。
まぁテストコースなど試験設備の利用部署は事務所などの施設が整い次第
随時群馬→SKCに勤務地変更することになっていて
たまたまボクがAWD-CoEに在籍していたタイミングで
操安乗り心地実験部隊がSKCへ勤務地変更となっただけのことです。

ですから、これで通勤が往復70km、車で2時間ほどと大変になってしまいましたが
もともとそれを見越して買った中古のスバル・ヴィヴィオの本領発揮ということでもあったわけです。

 

それにしても、何度も書いているようにボクはひとつの仕事を集中してやっていきたいという考えなのに
入社してここまでの14年間で8回(工場実習・工場応援は別)も人事異動させられていて
しかもその大半は本人が希望してなくむしろ望まない部署・タイミングでの突発的異動だったわけです。
さらに同じ部署であっても急にプロジェクトがなくなったり別のプロジェクトに移らされたりして
はたまた幾つもの仕事を兼任させられたりして
まったくひとつの仕事に集中する状態ではありませんでしたね。

会社にいいように使われてあちこち異動させられて翻弄されてるという印象を強く抱きましたね。
おそらく周りの人達から見てもボクはそういう境遇というか
そういうハミダシ者というレッテルを貼られた社員なのだと見なしていたのだと思います。

ボクは入社した時から終身雇用に固執するのは見苦しいと思っていたわけですが
この頃からもう本気でこの会社はまったくもって信用できないなと考えるようになりました。
“いつでも辞めてやる”という気持ちがあり、それ故に
“いつでも辞めれるから別に今でなくともよいか”となり
だったら“自分の好きなようにやっちゃえ”と考えるようになりました。

それに、あと数年でこの会社は潰れるまでいかなくても相当ヤバイことになるなとも予想してたので
自分が“もう辞めた”となる/会社が潰れる/会社から肩叩かれるかいずれが先かなとね(笑)

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