文庫「日本刀の美しさがわかる本」を読了
宝島SUGOI文庫の「日本刀の美しさがわかる本」別冊宝島編集部を読みました。
オールカラーの写真や絵図も多いので、読んだというより眺めたという感じですけど。
それでも非常に小さいフォントで書かれる部分もありますし写真もじっくり見ると時間かかるので
決してあっという間に読み終わったというわけでもありませんけど。
帯にも書いてあるように、「歴史に残る珠玉の55振り」の日本刀が画像とともに紹介されているので
後々に図鑑としても重宝するかなと思いますし
ただひと通り読むよりも折に触れて注目部分だけ読み返す方が記憶に残りやすい本ですかね。
ですから、それら一振り一振りについてここで紹介しても意味がないのでそれは止めておきましょう。
ただし、この本では僅かですが、日本刀の一般的な知識や雑学なども取り上げられています。
その中で、刀匠・河内國平(くにひら)へのインタビュー記事があり以下のような内容が語られています。
(以下引用)
江戸時代以降は大きな合戦もなく、刀は人を斬るための武器というより、武士の象徴
として、形骸化されて「階級のシンボル」となりました。
現在江戸時代の作刀技術は部分的には伝わっているようですが、室町時代の作刀方法
とは異なっていると、私は考えています。 (引用終わり)
日本刀の技術は鎌倉・室町時代に頂点に達し、武器としての切れ味を極めた結果美しくもなったと。
そして、鎌倉・室町時代の作刀技術は基本的にすべて口伝であり一門のみにだけ伝えられたので
その後の太平の世となった江戸時代にはそれらの作刀技術は忘れ去られたということだうです。
だから、現代の刀匠は、人にもよるでしょうけど伝統の作刀技術を受け継ぎ守っているというよりも
失われた室町時代以前の作刀技術の探究者・再発見者と言えるのかもしれないですね。
この本に書いてあったのではなく、最近テレビ番組(科学番組)でやっていた話ですが
中性子やミューオンを使って古刀を非破壊検査することが可能となってきているようで
それによって古刀の組成や内部構造を調査して
そこから以前の作刀技術を推測していこうというアプローチもあるみたいです。
それと、明治時代の話ですが、へぇーと思ったことをひとつ紹介しておきましょう。
(以下引用、改行変更)
明治9(1876)年には、廃刀令が出される。これ以降も警察と軍隊では刀剣が使
われたが、刀身も拵も西洋式のサーベルとなった。しかし、しだいに刀身は日本刀だが
拵のみ西洋式のサーベルという形式が広まる。 (中略)
やがて、日本刀の復権を求める機運が高まり、陸軍は昭和9(1934)年に、海軍
はその3年後に、いずれも日本刀式の拵を制式採用した。 (引用終わり)
戦時中の日本軍のイメージからずーと日本刀を使っていたのだと思ってましたし、
けれどその日本刀は大量生産式で全然切れ味が悪かったということは知識として持ってました。
刀身が日本刀で拵(こしらえ)だけサーベルというのも少々イメージしずらいですが
それ以上に剣術なんかは全然違ってくるはずですから当時の人は戸惑ったでしょうねぇ。
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コメント
日本刀は人を殺傷する武器であるにもかかわらず
芸術品とみなされる稀有な存在だと思います。
数打ちの日本刀は旧日本軍に多数採用されました。
第二次大戦当時銃剣道に絶対の自信を持つ日本陸軍は
白兵戦では1対3でも勝つと豪語してました。
こういう体質が戦争に突入していったと思います。
投稿: おおたけ | 2020-12-30 06:34
>おおたけさん
そうですね。日本刀以外でも美や贅を凝らした刀剣や銃もありますが
さすがに神や鬼が宿るといわれるようなものは日本刀くらいなものでしょうね。
そういう意味では刀剣乱舞の世界観も江戸時代の人にも違和感ないのかもしれないですね(笑)
投稿: JET | 2020-12-30 06:43